書肆短評

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[告知]アニメクリティークvol.4.5_β「ガールズ&パンツァー総特集(付:4号振り返り)(仮)」の発刊・委託販売について:2016年夏コミ #C90 #anime_critique

掲題の件、COMIC ZIN様にて委託販売開始しました。

http://shop.comiczin.jp/products/list.php?category_id=5829

 

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夏コミ3日目「東ポ15b」(アニメクリティーク刊行会)及び、1日目「西j18a」(M.O.M準備委員会さま)にて、掲題『アニメクリティークvol.4.5_β「ガールズ&パンツァー総特集号」(付:4号振り返り)』を発刊・頒布いたします。

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ついては、下記の通り情報更新しました。適宜リンク先の試し読み文章や、頁画像を参考に、ぜひ当日ご足労くださいましたら幸いです。

 

---------『vol.4.5_β』紹介

 

目次

 

0、 Outline. 戦争と(非)道の美学

戦車戦に何を「みて」いるのか?——ベンヤミン『複製芸術時代の芸術作品』から『ガルパン』へ

 Column.01. 来るべき「わだかまりのない試合」とは何か?—— 『リボンの武者』論 @Nag_Nay

 Column.02. 競技としての戦車道—— 「戦車道にまぐれなし」とスポ根批判 @Nag_Nay

 Column.03. 注解(コンメンタール)戦車戦規則——付:劇場版戦術一覧 @Nag_Nay

 

1、 Theme 1. アニメにおける〈音〉と〈輪郭〉

踏破する音と、開かれた輪郭線——アニメ『ガールズ&パンツァー』論 @tackerx

 Review.01. 西住みほの「戦車」性への共感と、「輪郭線を踏破する音」性への疑念 @yokoline

 Review.02. (無題) @totinohana

  Reply. 二者への応答 @tackerx

 Column.03. 爆音轟く無声映画---付:「極上爆音上映」トークショー @Nag_Nay

 Column.04. 0’00”  音への三つの応じ方---音、無音、騒音 @Nag_Nay

 Column.05. ラップランドの音楽論---Säkkijärven polkka @Nag_Nay

 

2、 Theme 2. 乗りと勢いの国

傷ついたのは誰の体?——延長された身体と、その消失。あるいはバイクに乗れ!バイクに! @SpANK888

 Review.01. すぱんくさんの原稿へのコメント @tackerx

  Reply.01. 輪郭線内外の「傷」 @SpANK888 

 Review.02. (無題) @totinohana

  Reply.02. とっちーさんへの「変身」? @SpANK888

 Column.06. ボコられの系譜——ボコミュージアムから大洗、「フィンランド化」まで @Nag_Nay

 Column.07. 差異、反復、期待——あるいは、デタントに向けた架橋について @nocitponap

 Column.08. なぜ何度も観に行くのか?——迷言「次こそは勝てると思った」  @Nag_Nay

 Column.09. 僕たちは繰り返す、興奮を得るために、その映画を。 @Wataruumino

 

3、 Theme 3. 「KAWAII」のは何か?

ライアン坊やにHeadshotをブチかましたとウワサのあの戦車(コ)がカワイイらしいと評判になっている件 @7kotro

 Column.10. 名前に何の意味があるのか?——集合名詞の二つの用法 @Nag_Nay

 

補、 付属冊子:「戦争と偶像」を振り返る---選挙戦×生前退位

 THE IDOLM@STER』シリーズ、『Wake Up, Girls』 、『艦これ』『GATE』『はいふり』『蒼き鋼のアルペジオ』『スカイガールズ』『ソラノヲト』について

 

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頁イメージ

 

0、 Outline. 戦争と(非)道の美学

 

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(中略)

 

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1、 Theme 1. アニメにおける〈音〉と〈輪郭〉

 

 

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(中略、レビュー、リプライ欄)

 

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(中略、コラム一部紹介)

 

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2、 Theme 2. 乗りと勢いの国

 

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(中略、以下コラム)

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3、 Theme 3. 「KAWAII」のは何か?

 

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(以下中略、コラム)

 

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今号でも寄稿文について論評・読解する相互レビュー・リプライ欄を識者(橡の花さん+ヒグチさん)の意見を取り入れ、前号より洗練させることができました。寄稿文の問題意識や議論の見取り図がよりわかりやすくなる形をとれたと思います。

あとデザインについては、少しだけ頑張りました。戦車ノンブルは全ページ違うため、本文で扱われている「あの場面」を思い出しつつ見開きでお楽しみください。画像はtacker10さん(IV号)、すぱんくさん(CV33)、こうたろうさん(97式中戦車)、橡の花さん頁 大学選抜(カール自走臼砲・自動装填装置付)、ヒグチさん頁 ひまわり中隊(黒森峰VI号Tiger I)
※(中隊は初期段階で再編成されるため)強く意識したわけではなかったのですが、今見てみると、3中隊・1小隊・大学選抜チームが一応揃っていましたね(全くの偶然です)。

今号は、コラムも充実していて計10本。羽海野渉さん、波野淵紺さんにご協力頂き、内容も色々です(詳細は目次ほか告知にて)。挿絵も画像のような感じでコンカツ氏と久瀬さんにご協力頂きました。

本文内容についてはまた追って告知しますが、おおまかなアニメクリティーク新号ガルパン総特集号、形式的なところでの特徴は以上のような感じです。夏コミ1日目にM.O.M発行準備委員会様(西j18b)、夏コミ3日目「東ポ15b」弊サークルにてお待ちしております。(既刊も出るはず)

 

 

---------以下、寄稿募集時(2015年時)情報

 

1、企画趣旨

劇場版アニメのBlu-rayの発刊に合わせ、『ガールズ&パンツァー』の振り返り総特集号を発刊いたします。

※ なお、本誌では『vol.4.0 戦争とアイドル/境界線上の〈身体〉 特集』の別綴にしていた当日配布ペーパーの続きを書いたものを、付録として採録します。取扱作品は、『THE IDOLM@STER』シリーズ、『Wake Up, Girls』 に加えて、『艦これ』『GATE』『はいふり』『蒼き鋼のアルペジオ』『スカイガールズ』『ソラノヲト』あたりを加えたものとなります。

 

2、寄稿募集要項

(1)募集原稿:

  TVアニメガールズ&パンツァー』及び劇場版ガールズ&パンツァー』についての評論

 ※vol.4.0の続刊という趣旨もあるため、vol.4.0の趣旨を引き継ぎ、各作品を論じたものも推奨→

nag-nay.hatenablog.com

 

(2)装丁・発刊時期:

 オフセット印刷、A5、60頁程度で企画しています。
 発刊時期は、2016年夏のコミックマーケットC90を想定しています。
 

(3)募集原稿様式

a. 文字数:
 ①論評・批評 : 3000字程度から15000字程度まで。
 ②作品紹介・コラム:500字程度から2000字程度まで。

b. 形式
 .txt または .doc

c. 締め切り
 第一稿:7/10
 (※ 個別に連絡いただけましたら延長することは可能です)
 (※ その後、何度か原稿の校正上のやり取りをさせていただけましたら幸いです。)
 最終稿:7月下旬

d. 送り先
 anime_critique@yahoo.co.jp
 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。
 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。


(4)進呈

寄稿いただいた方には、新刊本誌を進呈(※ 進呈冊数は2を予定)させていただきます。

 

 

3、付録(立川極上爆音上映のトークイベント記録)

 

 

先日のガルパン音響陣、岩浪(音響監督)、小山(音響効果)、山口(録音調整)らによるトークショー@立川シネマシティのメモと雑感。過去分のtogetterでのまとめもあったのですが更新はされてないっぽいので、手元のメモをとりあえずおこす形で。

 

冒頭から「こう三人で並ぶとSHIROBAKOぽくてやだね」から始まった、ガルパン音響チームによるトークショー。
極上爆音上映でおなじみ、立川シネマツーAスタジオの音響設備を用いたカール自走臼砲音で笑いをとった後、「(スターウォーズを抑えての)ガルパンの動員数勝利」、「平日朝からの圧倒的客入り」、「SW公開から1週間でのAスタジオ取り戻し劇」などなど他劇場では起こりそうにない事態を導いたスタジオ設計や音響へのこだわりについての話などなどがざっくばらんに展開された感じ。


1、遠山企画室長から極上爆音についての説明

最初はスタジオ設計について。
・シネマツーのリアルサウンドシステムについて:映画館ではなくレコーディングスタジオでの音を届ける趣旨。スタジオ、という呼称の意味はここにあるとのこと。
・スピーカーはMedia Soundの音楽用スピーカーを使用。スピーカーの配置も特徴的で、スクリーン横に配置してある。スクリーン裏に配置しないことでクリアな音を実現している。
・スタジオ設計も特徴的で、壁の傾き(× 反響)を入れたり、天井吸音システム(× 壁吸音)を導入したりと、稀有な方式を採用。

・また(素人の劇場バイトさんでも操作可能な単純なものではなく)わざわざ操作が面倒な音響調整卓を入れているというこだわり。

 → ...といったこれら諸々を活かすことで、『This Is It』での音響上映から『極上爆音ゴジラ』『マッドマックス』での極上爆音上演へとつながった。実際今年は『マッドマックス』で新規サブウーファーを導入。音響スタッフそのものが来てくれる稀有な機会をもらっている(『鉄男』『フラッシュバックメモリーズ』『進撃の巨人』etc.)、とのこと。

 ちなみにここらへんの経緯はつい先日のリアルサウンド記事や、ちょっとまえのアスキー記事にもあったところ。

 


2、岩浪音響監督からスピーカー・ウーファーとかの説明

・センター、左右、ウーファーとカーブドスクリーンの構成。「音にうるさいオーディオおじさんのシアタールーム」を大きくした感じとの概括。
・フローティングも特徴的。遮音と響きに注力した「箱の中に箱というスタジオ」なんだけど、(通常のスタジオでさえ数億かかるから)いくらかかったんだろうね、と笑い。


3、各種実演と色々

(1)実演1:カール自走臼砲音の音・実演(最初はセンタースピーカーのみ、次いで +サラウンドスピーカー、さらに +ウーファー、最後にウーファーのみの音)。
 小山さんからの補足で、アタックを出すためにセンター(センターに高い音だけを入れる)を使い、リアにきしみ音を中心に置いて、左右(LR)は空気の破裂音を入れてるとの説明。
 参考にしたのは(TV版)『プライベートライアン』か(劇場版)『マッドマックス』かとの挿話あり。

(2)実演2:(戦車ごとの戦車内反響音の違いを反映した)アンビエンスについても実演。
 くぐもった反響音をプラスすることで、狭くて硬いところでの会話であるということを感じさせることができれば成功。

(3)実演3:さらに(無線の音などの特殊効果を入れる)フィルターについて。
 無線については、周波数の真ん中を切り出して(フィルター)、ひずみを追加するというもの。

(4)実演4:これまでのまとめ。「この戦いに意味があるとは思えない」以降の継続高校活躍シーンを例に。
①セリフのみ:(物語上のシークエンスを出発させるときの)大きめの音声への変更など調節
②音楽のみ:カンテレ音とカンテレ残響
③背景のみ:戦車内音・アイドリング音・エンジン音、爆発音、破裂音
④以上の3つのあわせ
 必要音を強調しつつ、不要音を「小山さん一人で」カットすることが重要との指摘あり(例えば、まほの犬が「ハッ、ハッ」といってる音は当然カット(捨象)する。趣旨はまほのなんとも言えない表情に視聴者の目を集めたいから)。
 不要音を捨象できない例としていくつかのハリウッド作品があるかも。仕上げの時間が取れない製作スタイル・多人数製作の問題の現れか。

 

などなど。
最後は『アンツィオ戦』『TVシリーズ』もシネマシティでやりたいね、との話で了。

 

当日メモは以上。雑感はまた今度追記します。

ここさけ聖地巡礼記録+新刊資料(仮)



下記、アニクリ新刊「vol.1.5_β 心が叫びたがってるんだ。特集号」表紙のための資料的な聖地巡礼記録となります。

nag-nay.hatenablog.com

 
 
(1)冒頭、順の放課後ルート
 
11:30頃
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15:00頃(12/8追加)
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17:00前頃(12/8追加)
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参考:夕焼けが入らなかったので、羊山山頂夕焼け。秩父が山で囲まれているためか、街全体がぼんやりと暗くなっていく感じ。

16:30-17:00頃(12/8追加)
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(2)山の上、秩父遠景(※参考)
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(3)山の中腹、順と玉子の会話場面
11:30頃
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15:00頃(12/8追加)
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17:00頃(12/8追加)
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(4)通学路の玉子の寺、坂上と順の会話

13:00頃

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15:30-16:30頃(12/8追加)
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(5)横瀬駅、田崎と仁藤の会話
 
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(6)走り出しバスに飛び乗った順と坂上の遭遇場面?
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(7)ジョナサン+坂上と仁藤の帰宅路
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(8)坂上の家での曲選択+順と田崎の帰宅路
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(9)その他

 
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ドゥルーズ『襞ーライプニッツとバロック』河出書房(1998版)より抜粋

『襞ーライプニッツバロック』河出書房(1998版)「III部 身体をもつこと」より抜粋。


第7章 襞における知覚

p.147
私は身体を持たねばならない。このことは一つの道徳的な必要であり、一つの「要請」である。そして第一に私が身体をもたねばならないのは、私の中に薄暗い部分があるからである。しかし、この第一の推論から、もうライプニッツの独創性は際立っている。彼は、身体だけが精神において薄暗いものの理由になっている、というわけではない。そうではなく、精神は薄暗く、精神の底は闇に包まれている。そしてこの闇に包まれた本性こそが身体の理由であり、身体を要請するのである。
…無数の個体的モナドが存在するからこそ、各々のモナドは個体化された身体を持たねばならないのであって、この信頼は一つのモナドの上に映ったほかのモナドの影のようなものである。一つの身体をもつがゆえに、われわれの中に薄暗いところがあるのではなく、われわれの中に薄暗い場所があるがゆえに、われわれは身体をもたねばならないのだ。

p.151−152
宇宙論的なものから微視的なものへ、しかしまた微視的なものから巨視的なものへ。
ライプニッツは、ときどき全体性を示す言葉で語ることがあるとはいえ、均質な部分の和以外のものを問題にしている。問題は部分-全体の関係ではない。全体は部分と同じく、感覚し難いことがあり得るからである。あまりに慣れてしまっていると、私には水車の音も聞こえはしない。
…実はライプニッツは、小さな知覚と意識的な知覚との関係は部分と全体の関係ではなく、凡庸なものと、顕著なものあるいは注目すべきものとの関係だということを、たえず明言しているのだ。
…海鳴りを(※例に)とってみよう。少なくとも二つの波が生まれつつある、かつ異質なものとしてかすかに知覚され、それらが、ほかに「勝り」意識的になる第三の波の知覚を決定し得る関係の中に入らなくてはならない(そのためには海の近くにいなければならない)。
…巨視的なレベルの「決まった形」は、いつも微視的レベルに依存するのだ。

p.156-157
ライプニッツが保存しようとする「明晰かつ判明な」デカルト的表現の射程とは、一体何なのだろうか。それぞれのモナドの特権的帯域は混乱した出来事からなるにもかかわらず、なぜたんに明晰であるのみならず、判明でもあるといえるのだろう。要するに、このようなものとしての明晰な知覚は、決して判明ではなく、注目に値するとか、顕著であるという意味で「秀でている」のである。それは、ほかの知覚との関わりで際立っており、最初のフィルターとは、凡庸なものに働きかけて、そこから注目すべきもの(明晰にして、秀でたもの)を抽出するフィルターである。しかし判明なものとは厳密に言えば、別のフィルターを前提とし、これは注目すべきものを規則的なものとみなして、そこから特異性を抽出するのだ。これはすなわち、理念の、あるいは判明な知覚の内的特異性である。ここで特異なものから凡庸なものをひきだす第三のフィルター、十全なもの、あるいは完全なもののフィルターについて言及すべきだろうか。そうするとフィルターの組織は、たとえその最後のフィルターはわれわれの力を上回ってしまうにしても円環状のシステムになるのだ。
…特異性とは、なによりもまず屈折であり、ほかの特異性の近傍にまで延長され、距離の関係に従って宇宙の線を構成する屈折の点である。そして特異性とは、遠近法の関係に従ってモナドの観点を定義する限りでは、凹の側の曲線の中心である。最後に特異性とは注目すべきものであって、モナドの中における知覚を構成する微分的関係にしたがう。さらに、第四の特異性というものもあり、物質あるいは広がりにおいて、それが「極地」つまり「極大」と「極小」を構成する事をのちに見てみよう。

p.163−166
なぜ身体なしではすまされないのか。何がわれわれをして、現象または知覚されたものを超えさせることになるのか。もし知覚の外に身体がないとしたら、ただ知覚する実体だけが、宇宙の多様性や動物性を犠牲にして人間的であり天使であるに過ぎないだろう、とライプニッツはしばしば々述べている。知覚されたものの外に身体がないとしたら、知覚するもの自身において、これほどの多様性はないだろう(それはまさに身体に結合され「なくてはならない」)。しかし実際の推論ははるかに奇妙で複雑である。つまり、知覚されたものは何かに似ており、知覚されたものはわれわれはこの何かを考えるように強いる。
…第二に、知覚されたものが何かに似ているということは、即座に知覚が一つの対象を表象するということを意味するのではない。デカルト主義者たちは、知覚の幾何学性を強調したが、それによって明晰で判明な知覚は、広がりを表象するのに適していたのである。あいまいな、あるいは混乱した知覚の方は、表象性を欠き、それゆえ相似を欠いた慣習的な記号としてしか作用しないのである。ライプニッツの観点はまったく異なっていて、相似に関しても、同じ幾何学、同じ地位は成立しない。
…第三に、それなら相似させられたものは、先の類比に従えばどのように現れるだろうか。類似の物質的側面はどのように現れるのか。魂における心的メカニズムに一致する物質的物理的メカニズムなどを引き合いに出してはならない。モナドの内にある心的メカニズムはあらゆる外的因果性を斥けるからである。


第8章 二つの階

p.171
すでに初期の文章でライプニッツは、唯名論者たちが集合的な全体しか認識せず、そのため概念を捉えそこなってしまうと非難している。概念のない方は、配分的(distributif)であって集合的ではない。羊たちは集団的に一つの群れのメンバーであるが、人間たちはそれぞれ個別に理性的である。そこでライプニッツは、理性的存在としてのモナドたちは、みずからの概念のない方に対するように世界に対することに気づく。それぞれのモナドが、それぞれに世界全体を包摂するのである。モナドたちはおのおの(every)である、一方身体たちはone, some, any なのである。
モナドは、おのおのと全体の関係に従って配分的な単位なのであり、一方、身体はあるものと他のものという関係に従って、集合的であり、群れであり、集積なのである。

p.178-179
世界、世界の錯綜した線はモナドにおいて現働化される潜在的なもののようだからである。つまり世界は、モナドの中においてだけ現働性をもつにすぎず、おのおののモナドは世界を自分固有の観点と固有の表面において表現するのである。しかし、潜在的-現働的という対は問いを終わりにするわけではなく、さらに可能的-実在的という非常に異なる対が存在する。例えば、神は無数の可能世界から一つの世界を選ぶ。つまり、他の諸々の世界も、それらを表現するモナドにおいて等しく現働性をもっていて、アダムは罪を犯さないし、セクストゥスはルクレチアを犯さないのである。従って、必ずしも実在的ではなく、可能なままにとどまる現働的なものが存在する。現働的なものは実在的なものを構成しないのであって、それ自体実在化されなくてはならないのである。そして世界の現働化という問題に加えて、世界の実在化という問題がある。神とは、「存在化するもの」であるが、〈存在化するもの〉とは一方で〈現働化するもの〉であり、他方では〈実在化するもの〉である。世界とは、モナドあるいは魂の中で現働化される潜在性であるが、また物質や身体において実在化されなければならない可能性である。実在の問題が、諸々の身体についてたとえ外観ではないにしても単なる現象に過ぎない身体について提起されるのは奇妙なことで、反論の余地がある。(※すぐ下に続く)

p.180
しかし、厳密に言って現象とは、モナドにおいて知覚されるものである。知覚されるなんらかのもの=x に似ているおかげで、われわれはたがいに作用し合う身体が存在し、そのような身体にわれわれの内的知覚が対応するのではないかと問い、まさにこのことによって現象の実在化という問題、より正確には知覚されたものを「実在化するもの」という問題、つまり、現働的に知覚された世界を客観的に実在的な世界、客観的な〈自然〉に変形するという問題を提起するのである。実在化するのは身体ではなく、身体において何かが実在化されるのであり、それによって身体そのものが実在的あるいは実体的になるのである。

p.181
ライプニッツの哲学は、アルノーへの手紙に書いてあるように、精神的なモナドとの関連でも、物質的な宇宙との関連でも、世界があらかじめこのように理念的に実在することを要求し、出来事のあの沈黙し、陰に隠れた部分を要求するのである。出来事について語りうるとしたら、それを表現する魂と、それを実現する身体にすでに組み入れられたものとして語りうるだけである。しかし、そこから逃れてしまうあの部分がなければ、われわれは出来事についてまったく語ることができないだろう。このことがいかに困難でも、ある回線については、それを導く魂からも、それをやってのける身体からも逸脱する潜勢的なものから出発して考えなければならないのだ。

p.181
物質的宇宙も、魂も、世界に関して表現的であるといわれるのである。魂の方は、現働化しながら表現し、物質的宇宙の方は実在化しながら表現する。確かにここには、まったく異なり、実在として区別される二つの体制がある。一方は配分的であり、もう一方は集合的であるからである。それぞれのモナドは、他のモナドとは無関係に反応し合うことなく世界全体を表現するが、すべての身体は他の身体の印象や反応を受け取り、様々な身体の集合が、物質的な宇宙が、世界を表現するのである。だから予定調和はまず、二つの体制の間の一致として現れる。しかし、これらの体制は第二の相違を抱えている。魂の表現は全体から特殊に至り、つまり世界全体から特権的な帯域に至るのだが、一方宇宙の表現は部分から部分に、近いものから遠いものに至る。身体は魂の特権的な帯域に相当し、徐々に他のあらゆる身体の印象を受け取るからである。

p.185
魂と身体の予定調和は、実在的な区別を律するのだが、一方では統一がそれらの不可分性を決定する。私が死ぬときでさえも、私のモナドは身体から分離されず、そのもろもろの部分は対抗するのに甘んじている。すでに見たように、モナドはそれ自身において身体なしに知覚することなど出来ず、身体に「似ること」によって知覚する。

p.204
ライプニッツはしばしばモナドについて3つのクラスを区別している。知覚しか持たない裸のエンテレケイア、あるいは実体的形式。記憶、感情、そして注意を備える動物的魂。最後に理性的精神である。この分類法の意味はすでにみたとおりである。しかしモナドにおけるこのような「度合い」と「あるものがいろいろな度合いで、他のものを支配する」という事実の間にはどんな関係があるのだろうか。

p.207−208
世界は魂において現働化され、身体において実在化される。それゆえ世界は二度折り畳まれる。それを現働化する魂において畳まれ、それを実在化する身体においてさらに折り畳まれる。それぞれの場合に、魂の本性あるいは身体の限定に対応する法則の体制に従うのである。そして二つの襞の間には、間-襞、二襞、二つの階の折り目、蝶番、縫い目をなす不可分性の帯域がある。身体が実在化するということは、身体が実在的であるということを意味しない。魂において現働的なもの(内的作用あるいは知覚)を、何かが身体において実在化する限り、身体は実在的になるのである。われわれは身体を実在化するのではなく、魂において現働的に知覚されたものを、身体において実在化するのである。身体の実在性とは、身体における諸現象の実在化ということである。実在化するのは、二つの階からなる襞、紐帯そのもの、あるいはその代替物である。ライプニッツの超越論的哲学は、現象よりもむしろ出来事に向かい、カント的な条件付けを、超越論的な現働化と実在化という二重の操作で置き換える(アニミズムとマテリアリズム)。


第9章 新しい調和

p.219
感覚し得る対象を連続性の法則に従う形象や相の系列に変えること、これらの形象化された相に対応し命題の中に記入される出来事を指定すること、命題の概念を含み尖端あるいは観点として定義される個体的な守護に対して命題を術語化すること、概念と個体の内面性を保証する識別不可能性の原理。ライプニッツはこれを、ときに「遠近画-定義-観点」という三対として要約している。ここから出てくるもっとも重要な帰結は一と多の新たな関係に関わる。一とは客観的な意味で常に多の統一であるが、こんどは主体的な意味で、一「の」多様性と多「の」統一があるのでなければならない。こういして一にして多、多にして一という関係が、セールが示し多ように、一にして一、多にして多によって補足される限りにおいて、「万物が一つの中にある」という一つの円環が実在する。

p.233−234
物質的な宇宙は、外延における、水平的で集団的な統一性に到達するが、そこでは展開するメロディ自体が対位法の関係に入り、それぞれが自らの枠をはみ出て、別のメロディのモチーフになり、こうして〈自然〉全体が様々な身体とその流れの巨大なメロディとなる。そして外延におけるこの集合的統一性は、主体的、概念的、精神的、調和的、そして配分的な別の統一性と矛盾しないのであって、これに身体を与える限りにおいて反対にこれに依存するのだ。それはまさにモナドがまさに身体と諸器官を要求し、それなしには自然を知りえないからである。「諸感覚の符号」(メロディ)は私が現実の中に調和を識別するためのしるしである。単に和音の中に調和があるのではなく、和音とメロディの間に調和があるのだ。このような意味で、調和は魂から身体に、知性的なものから感覚的なものに至り、感覚的なものにおいて持続するのである。

p.236
ライプニッツモナドは、閉鎖と選別という二つの条件に従う。一方でモナドは、その外には実在を持たない世界全体を包摂している。他方でこの世界は、第一の収束する選別を前提とする。この世界は、当のモナドによって排除される、他の、可能ではあっても発散してしまう世界とは区別されるからである。そしてそれは、第二の共和する選別を伴う。なぜなら問題になるそれぞれのモナドは、それが包摂する世界において明晰な表現の帯域を自分のために切り開くからである(この第二の選別こそは、微分的な関係または調和的な近傍によって行われる)。ところでこれは最初に、そしていずれにしても消滅することになる。調和的なものが序列の上でのあらゆる特権を失ってしまったら、もはや不協和音は「解決」されることなく全音階を逃れるセリーの中で発散は肯定され、このセリーではあらゆる調性が解体される。しかしモナドが共可能的なものでないもろもろの世界に属して発散する系列に結ばれる時には、また別の条件が消滅するのである。いくつかの世界にまたがっていたモナドが、まるでペンチで半開きにされたかのようである。

p.237
問題はあいかわらず、世界に住み着くことである。しかしストゥックハウゼンの音楽的な住まい、デュビュッフェの造形的な住まいは、内部と外部、指摘と公的の相違を存在させない。それらは変化と軌道を一致させ、モナド論をノマド論によって二重化する。音楽は住処であり続けたが、変わったのは住処の組織とその性格である。確かにわれわれの世界とテクストを表現するのはもはや協和音ではないが、われわれはライプニッツ主義者であり続ける。新しい外皮とともに、新しい折り方を発見するが、われわれはライプニッツ主義者であり続ける。なぜなら問題はあいかわらず折ること、折り目を広げること、折りたたむことだからである。

 

 

 

告知:アニクリ新刊(3)『アニクリvol.4.1 <harmony/>, 屍者の帝国 最速レビュー』原稿募集について #bunfree

『アニメクリティーク vol.4.1 <harmony/>, 屍者の帝国 最速レビュー』募集要綱

 

・文字数: 1000字以上、10000字以内
・形式 : .txt または .doc
・テーマ: 『<harmony/>』『屍者の帝国』にかかわるものを募集。
 原稿内容につき、編集とのやりとりが発生する場合がございます。
 予め、ご了承ください。
 ※ 参加するかどうかについては予めご連絡いただければ幸いです。
  その際、書きたい内容(感想or評論、物語評論or作家論など)や
  構想なども、わかる範囲で、記載頂ければ幸いです。
 ※ 最終的な原稿の採否については編集側の判断とさせていただきます。
・〆切 : 11月19日(水)〆切

・送り先: anime_critique@yahoo.co.jp

・掲載誌の提供(2部予定)をもって、掲載料にかえさせていただきます。

 

なお、発刊につきましては、 

・発刊時期:第21回東京文フリ(11/23)

・発刊形式:コピー本/全28頁 予定

 

以上です。


よろしくお願いします。

告知:アニクリ新刊『vol.1.5 岡田麿里2012−2016/〈時〉をかけるアニメ』の発刊予定について #bunfree #anime_critique

アニメクリティーク刊行会では、2013年に発刊しました創刊号『vol.1.0 岡田麿里2008−2011』、2015年に発刊しました『vol.1.5_β 心が叫びたがってるんだ。総特集号』(2015/12/29 冬コミ頒布済 →事後報告はこちら、 →通販サイトはこちら)の続刊を発刊します。

 

『vol.1.5 岡田麿里2012−2016/物語の〈傷〉』(2016/05/01 文フリ頒布予定)

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いずれも表紙は、『vol.1.0』『vol.2.0』『vol.3.0』『vol.1.5』とアニクリを牽引していただいた yopinari くんにお願いしてあります。

目次は下記の通りです。

 

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※2016/4/30追記 ひとまず全体が校了して印刷所に回されたので、各評論冒頭を掲載します。 

 

Nag「アウトライン」

 対象作品:(1)B★RS × キズナイーバー、(2)峰不二子という女 × 絶園のテンペスト、(3)鉄血のオルフェンズ × M3 × 絶滅危愚少女、(4)心が叫びたがってるんだ × WIXOSS、(5)凪のあすから × 迷家

 岡田麿里関連作品を二作品ごとに対照させつつ、計11作を検討していくもの。

 

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tacker10「幻想の舞台から目覚めるために」

 対象作品:絶園のテンペスト

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konkatuman「ウィクロスおまけまんが」

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tacker10「アンチ・ロマンチシズム」 対象作品:機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 

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(tacker10評論へのコメント(SpANK888))

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すぱんくtheはにー「離散と忘却の孤児たち(オルフェンズ)」 対象作品:機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 

 

 

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(すぱんく評論へのコメント(tackerx))

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ふると+Nag「虚構に追いやられた痛みを引き取りにいくために」 対象作品:B★RS 

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超成瀬順を性的な視線で見る奴バスターズ(wak)「廃墟のお城で何が起きたのか」 対象作品:ここさけ

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なーる「凪のあとから 〜 自由のその先へ」 対象作品:凪のあすから

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晴れない空の降らない雨「「恋愛」「想い/語り」「家族」」 対象作品:ここさけ、オルフェンズほか各種

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※2016/4/27追記 ひとまず全体が校了して印刷所に回されたので、各評論冒頭と、一例として、ふると+Nag「ブラック★ロックシューター論」全文(画像)を掲載いたします。

 

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以上、2016/4/27追記終了。

 

 

 

 

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さて、今回は後者2についての寄稿を募集いたします(2016年5月文フリでの頒布予定)。

対象作品詳細は下記ですが、2012年の『ブラック★ロックシューター』『峰不二子という女』『絶園のテンペストや2013年の『凪の明日から』『WIXOSS』、2014年の『M3』から2015年『ここさけ』、そして現在放映中のアニメ『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(第13話記事はこちら)、2016年公開予定の劇場版『selector destructed WIXOSS』までを含めたいと考えています。

最新作として予告されている『迷家』については、文フリ後の夏コミあたりであれば、付属冊子として作成できるかもです。

 

寄稿募集文と対象作品群は、以下の通りです。

 

 

1、『vol.1.5 岡田麿里2012−2016/〈時〉をかけるアニメ』(2016年5月 文フリ頒布)

 

1、検討・寄稿募集作品例

 

ブラック★ロックシューター(2012年)

アクエリオンEVOL(2012年)

AKB0048(2012年)

LUPIN the Third -峰不二子という女-(2012年)

さくら荘のペットな彼女(2012年)

絶園のテンペスト(2012年)

がんばれ!ルルロロ(2013年)

AKB0048 next stage(2013年)

劇場版 花咲くいろは HOME SWEET HOME[5](2013年)

劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(2013年)

凪のあすから(2013年)

selector infected WIXOSS(2014年)

M3〜ソノ黒キ鋼〜(2014年)

絶滅危愚少女 Amazing Twins(2014年)

selector spread WIXOSS(2014年)

幸腹グラフィティ(2015年)

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ(2015年)

心が叫びたがってるんだ。(2015年)

映画かいけつゾロリ うちゅうの勇者たち(2015年)

selector destructed WIXOSS(2016年予定)

 

その他、2011年以前の作品についても可。(※ただし、2011年以前の作品のみの検討の場合には、下記②にあるとおり、寄稿文の文量については比較的短いコラム形式のものを想定しています。「一緒に論じることに意味がある!」という主張がある場合には、是非一報戴ければ幸いです。)

 

2、寄稿募集要項


(1)募集原稿:

 岡田麿里脚本・シリーズ構成アニメ作品(劇場版含む)のうち、寄稿募集原稿例に掲げた作品を中心として論じたもの。あるいは、アニメ作品における「時間性」「歴史性」「世代継承性」についての検討を含むもの。その両方に関わるもの。
 
(2)装丁・発刊時期:

 オフセット印刷、A5、100頁程度(¥500での頒布予定)で企画しています。
 発刊は第22回文学フリマ(2016年5月)および夏コミ(2016年8月)を想定しています。

(3)募集原稿様式

a. 文字数:
 ①論評・批評 : 2000字程度から15000字程度まで。
 ②作品紹介・コラム:500字程度から2000字程度まで。

b. 形式
 .txt または .doc

c. 締め切り
 原則として2016/3/19(土)。鉄血のオルフェンズのみ2016/4/10(日)
 (※ 個別に @anime_critique あるいは @nag_nay までご連絡いただけましたら、延長することは可能です)
 (※ その後、何度か原稿の校正上のやり取りをさせていただけましたら幸いです。)

d. 送り先

 anime_critique@yahoo.co.jp
 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。
 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。


(4)進呈

寄稿いただいた方には、新刊本誌を進呈(※ 進呈冊数は2を予定)させていただきます。

 

 

 

 

---- 以下は、既刊1.5_β に関する記録です。

 

 

2、『vol.1.5_β ここさけ特集号』(2015年12月 冬コミ頒布(※了))

 

(1)検討・寄稿募集作品

 

劇場アニメ『心が叫びたがってるんだ。』に関する批評・評論・SS等。

一作品に特化した特集ということで、原則としては作品内容に定位し、かつ、テーマ設定が明確なものでお願いできれば幸いです。

(※ なお、監督・脚本家・製作過程等に関する総論も可能ですが、こちらをご希望の場合に関しては、下記編集連絡先までご一報ください。コラム形式での執筆をお願いする場合がございます。)

以上に加え、現在、座談会を企画中です。こちらについては追って詳細をご連絡させていただきます。

  

(2)装丁・発刊時期:

 表紙カラー・オフセット印刷、A5、80-100頁程度で企画しています。
 発刊は冬コミ(2015年12月)を想定しています。

 

(3)募集原稿様式

 

a. 文字数:

 

 ① 座談会1「定型の反復」(仮題)、座談会2「演出・表現・物語」(仮題)

 

 ② 論評・批評・SS:3000字程度から15000字まで。

  内容は、本作から読み取れるテーマの設定が明確になされているものでお願いできれば幸いです。

 

 ③ キーワードコラム :200字程度から800字まで。

 ※コラムについては、若干募集要項を修正しました。各評論の合間に、挿入していければ幸いです。現状では暫定的に以下の各キーワードを設定しました。これ以外にも追加は可能です。各キーワードに沿って、本作から読み取ったことを、まとめていただければ幸いです。

 1. 言葉について:
 「お喋り」(ex.ドロドロ、沈黙、殻)
 「妄想」(ex.王子/玉子、お城、物語、愛)
 「定型/定型外」(ex.母による命令/祖父母-孫関係(=父抜き))
 「夢」(ex.トラウマ、夢(物語)のトレース、妄想、長引く夢(恋愛))
 「主語」(ex.主語の曖昧化、「言いたいことあるならはっきりいえばいいのに」、伝染)
 「翻訳」(ex.漢字の点、外国語による距離化)

 「呪い」(ex.因果応報:「いないと困るの!」、成瀬自身に自覚された夢=幻想)
 「吊るし玉子」(ex.空っぽの玉子、溢れ出る中身、スクランブル、詰められた玉子)

 2.身体について:
 「小走り」(ex.お喋りな身体・動作表現、不自然な走り)
 「掌」(ex.手を合わせた祈り、歌、ミュージカル)
 「痛み」(ex.心、身体、過去の記憶)
 「カット」(ex.髪、コマ、傷、息)
 「涙」
 「押し/引き」(ex.押し倒す成瀬、押しに弱い坂上、引きのショット)

 3.繰り返しと定型句について:
 「代役」(ex.DTMミント、ミュージカルの代役)
 「ミュージカル」(ex.こっぱずかしい台詞、坂上だけがなしうる(?)こと)
 「定型句」(ex.仁藤の褒め言葉、坂上の言い訳、行き場を失った言葉)
 「主語の欠如」(ex.全ての呪いの言葉が全部自分に返ってくる)
 「時差」(ex.延期する仁藤、瞬時に切断する坂上、遅延する成瀬・田崎)
 「名前」 
 「罵倒」(ex.定型句としての罵倒、それだけしかない罵倒)

 4.人間関係について:
 「罪」(ex.無知の成瀬の二つの罪、目の前の相手を見ない田崎)
 「馴れ合い」(ex.三嶋→田崎/田崎→三嶋という閉じた関係、「田崎だけの問題じゃん?」)
 「お前ら」(ex.阻害された山路、私たちという輪)
 「靴」
 「過去/現在」(ex.「あなたがくれたこの世界」、「あなたのとなりに」)

 5.視線について:
 「見る/見られる/眉庇効果」(ex.内観/外観/一部しか見えない)
 「心の中」
 「メール」(ex.お守りとしての携帯=繋がったメール)
 「封印」
 「格好よさ」(ex.ピアノ、勘違い、行為に対する気づかないふり)
 「狡さ」(ex.坂上が成瀬に頼られる快楽を悪用した振る舞い) 

 以上どうぞよろしくお願いします。

 

b. 形式
 .txt または .doc

 

c. 締め切り
 第一稿:2015/11/29(日)
 (※ 個別に連絡いただけましたら延長することは可能です)
 (※ その後、何度か原稿の校正上のやり取りをさせていただけましたら幸いです。)
 最終稿:2015/12月6日(日)

 

d. 送り先
 anime_critique@yahoo.co.jp
 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。
 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。


(4)進呈

寄稿いただいた方には、新刊本誌を進呈(※ 進呈冊数は2を予定)させていただきます。

 

  

サンプル画像1、『vol.1.5_β 心が叫びたがってるんだ。特集号』表紙(2015/12/29 冬コミ頒布)

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サンプル画像3、『vol.1.0 岡田麿里2008−2013』(2015/12/29 冬コミ頒布)

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(旧告知文) 

nag-nay.hatenablog.com

 

 

告知:アニメクリティーク新刊(1)『vol.4.0 アイドルと戦争/境界線上の〈身体〉』発刊について(第21回文フリ、冬コミC89) #bunfree #C89

※ 2015/11/12(木):下記のとおり、表紙や本文の中身が概ね出揃いましたので、内容紹介を追記しました。

取り扱い作品のみ先に掲げておきますと、以下のとおりです。

OUTLINE
 0_0_【概要】THE IDOLM@STERシリーズ、艦これガルパンソラノオト

第1章 戦争と身体
 1_1_【生体】RED GARDEN革命機ヴァルヴレイヴ
 1_2_【死体】悪の華プリキュアアイカツ、Wake Up, Girls ! 論(付:GOD EATER

第2章 戦争と媒体
 2_1_【切断】ガッチャマンクラウズ インサイト論(付:GOD EATER
 2_2_【偶像】WHITE ALBUM2、冴えない彼女の育て方、クラスルームクライシス論

第3章 戦争と社会
 3_1_【接続】空の境界
 3_2_【抵抗】ガッチャマンクラウズ インサイト

第4章 戦争と叙述
 4_1_【慰霊】結城友奈は勇者である、ファフナー
 4_2_【希望】スカイクロラ

 

 

------------------ 

目次

0、内容紹介(←New)

1、検討・寄稿募集作品例
2、寄稿募集要項
3、企画趣旨: なぜいま「アイドルと戦争」なのか? また〈身体〉とそれらは如何なるかかわりをもつのか?

------------------ 

 

0、内容紹介

 

(1)表紙

 

アイドルマスターシンデレラガールズを採用しました。

今号は、前号、前前号で挿絵を担当くださったあめいも先生 @konkatsuman )が表紙担当となります。

反対に、前号までの表紙担当のyopinari先生(@yopinari)は挿絵担当となります。

 

f:id:Nag_N:20151112190018p:plain

 

 

取り扱い作品および掲載評論は、以下の通りとなります。ヤマカッコ内の副題は、編集の方で付したまとめです。

 

OUTLINE

0_0_【概要】THE IDOLM@STERシリーズ、艦これガルパンソラノオト
 Nag「異日常の異言使用(ゼノグラシア)―THE IDOLM@STERシリーズと艦これにおける系譜語り」


第1章 戦争と身体

1_1_【生体】RED GARDEN革命機ヴァルヴレイヴ
 tacker10「世界を信頼するために―松尾衡監督作品が描く身体」

1_2_【死体】悪の華プリキュアアイカツ、Wake Up, Girls ! 論(付:GOD EATER
 すぱんくtheはにー「Dance of the Dead―自然主義的フィクショナリズムと、殺せる身体の行方」
 

第2章 戦争と媒体

2_1_【切断】ガッチャマンクラウズ インサイト論(付:GOD EATER
 tacker10「風穴を開ける―『ガッチャマンクラウズ』シリーズと、アニメの「再起動(リ・ブート)」」

2_2_【偶像】WHITE ALBUM2、冴えない彼女の育て方、クラスルームクライシス論
 羽海野渉「白の記憶と冴えない彼女と―丸戸史明の描く虚像が地に落ち天に上るまで」


第3章 戦争と社会

3_1_【接続】空の境界
 ケンイチ「俯瞰風景、身体が開く世界と境界」

3_2_【抵抗】ガッチャマンクラウズ インサイト
 あんすこむたん「「同調圧力」からの逃れ方―事実の二重化、視点転換、時間」 

第4章 戦争と叙述

4_1_【慰霊】結城友奈は勇者である、ファフナー
 あんすこむたん「『ゆゆゆ』は何を残したか―語り直される歴史の「継承」」

4_2_【希望】スカイクロラ
 makito×Nag「「真実の希望」はどこにあるのか」

 

 

 

(2)本文

 

0_0_目次

f:id:Nag_N:20151112190607p:plain

 

第1章 戦争と身体

 

1_1_【生体】RED GARDEN革命機ヴァルヴレイヴ
 tacker10「世界を信頼するために―松尾衡監督作品が描く身体」

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1_2_【死体】悪の華プリキュアアイカツ、Wake Up, Girls ! 論(付:GOD EATER
 すぱんくtheはにー「Dance of the Dead―自然主義的フィクショナリズムと、殺せる身体の行方」

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第2章 戦争と媒体

 

2_1_【切断】ガッチャマンクラウズ インサイト論(付:GOD EATER
 tacker10「風穴を開ける―『ガッチャマンクラウズ』シリーズと、アニメの「再起動(リ・ブート)」」

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2_2_【偶像】WHITE ALBUM2、冴えない彼女の育て方、クラスルームクライシス論
 羽海野渉「白の記憶と冴えない彼女と―丸戸史明の描く虚像が地に落ち天に上るまで」

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第3章 戦争と社会

 

3_1_【接続】空の境界
 ケンイチ「俯瞰風景、身体が開く世界と境界」

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3_2_【抵抗】ガッチャマンクラウズ インサイト
 あんすこむたん「「同調圧力」からの逃れ方―事実の二重化、視点転換、時間」

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第4章 戦争と叙述

 

4_1_【慰霊】結城友奈は勇者である、ファフナー
 あんすこむたん「『ゆゆゆ』は何を残したか―語り直される歴史の「継承」」

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4_2_【希望】スカイクロラ

 makito×Nag「「真実の希望」はどこにあるのか」

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・最後に構成について

文章の構成は、各評論につき、ほぼ「本文→Review→Reply」形式を採用することができました。

Review→Replyは以下のような感じです。

 

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------以上、2015/11/12(木)追記事項。

 


1、検討・寄稿募集作品例

※ あくまで例示であり作品を限定する趣旨ではありません。掲載されていない作品でも特集テーマとの関連が認められそうでしたら、是非お申し出ください。


・「特集1 アイドルと戦争」取り扱い作品例


①戯画化された戦争 / ゲーム化された政治のその後

ガッチャマンクラウズ インサイト
『結城友奈は勇者である』
艦隊これくしょん
虐殺器官』『 <harmony/> 』『屍者の帝国
革命機ヴァルヴレイヴ』『STAR DRIVER』『蒼穹のファフナー』『輪廻のラグランジェ』など学園系ロボットアニメ系
スカイクロラ』『今、そこにいる僕


②「誰か」にとっての偶像(アイドル)になる契機、また偶像から降りる契機

THE IDOLM@STER』『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ』
アイドルマスターシンデレラガールズ
アイドルマスター XENOGLOSSIA
『Wake up, Girls』
『少年ハリウッド』
『プリパラ』
アイカツ
WHITE ALBUM』『WHITE ALBUM 2』


・「特集2 境界線上の〈身体〉」取り扱い作品例


①視聴する身体、統御された身体

『スペース☆ダンディ』
メカクシティアクターズ
花とアリス殺人事件』
悪の華


②身体性の拡張と統治性の露出、人形としての身体

RED GARDEN』『ローゼンメイデン』(など松尾監督作品)

『ソードアートオンライン』

かんなぎ
『ファンタジスタドール』
『キャプテンアース』
ガンダム』シリーズ

GOD EATER

 

 ※ なお、『GOD EATER』については、アニクリ読者の方から以下のような趣旨の質問をいただいており、寄稿にあたってはいくつかやり取りをさせていただく予定です。「GEアニメは、これまでのアニメの肌で一色、影で一色といったセオリーを覆すことで3Dモデリングされたアラガミとセル画(2D)で描かれたキャラが共存したアニメーション画面を構成しているとのことですのでその点をアニクリの著者様の主観を以て寄稿していただきたい」。

またこれまでも、アニクリでは「色」そのものについて明示的に扱ったことはなかったため、編集側としても一つの検討軸として考えていきたいと考えています。

 

2、寄稿募集要項


(1)募集原稿

 アニメ作品のうち、寄稿募集原稿例に掲げた作品を中心として、「アイドルと戦争」または「境界線上の〈身体〉」に絡めて論じられるもの。二つの特集を接続するものも可(むしろ推奨)です。
※ なお、特集のうち「アイドル」については、テーマ選択との関係で、関連する3次元アイドルに言及することは可能であるものの、文章全体に占める当該言及箇所の割合を限定的にする旨、お願いしたいと思います。
 
 
(2)装丁・発刊時期

 オフセット印刷、A5、100頁程度で企画しています。
 発刊は第21回文学フリマ(11/23)を想定しています。
 冬コミC89(12/29 ?)にも申し込み中ですので、そちらでも頒布したいと考えています。


(3)募集原稿様式

a. 文字数:
 ①論評・批評 : 3000字程度から15000字まで。
 ②作品紹介・コラム:500字程度から2000字まで。

※  なお寄稿にあたっては一つ、可能であれば、コラム・アンケートへのご協力をいただけましたら幸いです。内容は、以下の読者様からの『GOD EATER』にかんする質問・要望についてです。同作の色彩設定について思うところがありましたら、是非、短評いただけましたら幸いです。「GEアニメは、これまでのアニメの肌で一色、影で一色といったセオリーを覆すことで3Dモデリングされたアラガミとセル画(2D)で描かれたキャラが共存したアニメーション画面を構成しているとのことですのでその点をアニクリの著者様の主観を以て寄稿していただきたい」。

b. 形式
 .txt または .doc

c. 締め切り
 第一稿:10/15(水)
 (※ 個別に連絡いただけましたら延長することは可能です)
 (※ その後、何度か原稿の校正上のやり取りをさせていただけましたら幸いです。)
 最終稿:11月初旬

d. 送り先
 anime_critique@yahoo.co.jp
 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。
 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。


(4)進呈

寄稿いただいた方には、新刊本誌を進呈(※ 進呈冊数は2を予定)させていただきます。

 


3、企画趣旨: なぜいま「アイドルと戦争」なのか? また〈身体〉とそれらは如何なるかかわりをもつのか?


(1)総論: テーマ設定の趣旨: グロテスクな偶像化を回避するために

「アイドルと戦争」という対を見た際、おそらく読者は一瞬奇異な印象を受けつつも、その対を受け入れる語彙もまたあるはずだと落ち着くかもしれない。というのも、「アイドル戦国時代」という呼称や、戦争時における天皇の偶像化の問題、ヴァーチャル化した近時の戦争、(常態化した戦争としての)政治におけるポピュリズムの問題などなど、アイドルと戦争をつなぐパスは複数描きうるためである。

しかし、『アニクリ』次号では、そのような現実の戦争や偶像化の問題自体をトレースしたり、露出させたりしたいわけではない。
例えば、近時の『GATE』において顕著であるが、戦争をある種素朴な形で描くフィクション作品は既に数多くあるかもしれない。『進撃の巨人』は壁によって隔てられた支配・被支配構造が、神山版『攻殻機動隊』ではタチコマの特攻が、『シドニアの騎士』は種としての人類の不気味な生存が描かれることになる。或いは、戦争をアイドル的な装いとともに提示した作品という点では、典型的には『マクロス』シリーズや『戦姫絶唱シンフォギア』『アクエリオン』『AKB0048』などにおいて描かれるところのようにも思える。その他、『ソラノオト』『ストライクウィッチーズ』『ガルパン』『ろこどる』などは、部活動といった日常や萌え要素とともに戦争を「見易い」ものにするものであるし、また『ローリングガールズ』はまさにご当地戦争をネタに変じて表現したものである。

『アニクリ』次号の関心は、もちろんこれらテーマとして戦争を取り扱った作品の読解にもあるものの、その一方で、一回的で凄惨な出来事を寓話的に語り直す、アニメのもつ潜勢力にこそある。
アニメはその戯画表現を通じて、過去に起こった凄惨で痛ましい「リアル」な戦争について生真面目に議論しなければならないという規範を逃れ、当時から現在まで連綿と続く戯画化された戦争について語り直すことを可能にする。というのも、戦争というテーマについての語りは過度に規範化されることで議論の方向を変え難いものにし、戦争についての語り直しを困難にするのみならず、戦後70年を経た現在において戦争についての語り継ぎを袋小路に追いやっているように思えるためだ。
本誌が提唱するように、アニメという媒体はリアリティを与える目的の下、リアルを抽象化し、偶像という装置を用いて構築された人工物である。その媒体こそが、偶像化され、フィクション化されつつある戦争の実態や戦争の歴史を示すとともに、偶像化の作用を通じて新たに戦争や歴史とのフィクショナルな関係を形づくる契機をなすものと考えうる。
アニメという媒体を通じて、我々は第一に、根拠づけられるはずの基礎を欠いた歴史や戦争の構造に開かれるとともに、第二に、時に崇高さを与えるような偶像性を通じて既に失われた過去の存在や今まさに失われつつある脆弱な存在へとアクセスする異言(XENOGLOSSIA)を学びうるのではないだろうか。


(2)第一部「戦争」パートについて:『結城友奈は勇者である』『ハーモニー』『屍者の帝国』『艦これ』における歴史の語り直し

例として、『結城友奈は勇者である』をあげよう。
丁度『結城友奈は勇者である』は、偶像(アイドル)と戦争という二つのテーマの折り返しをなす作品である。そこでは、「勇者」という偶像を自ら選びとった勇者部の面々が、他者にとっての「勇者」という崇高な供犠へと処されつつもなお、「誰か」にとっての勇者であることを求めて戦いに身を投じつづける。その動機の純粋さと結果のグロテスクさの双方がとりわけ際立っていた作品である。
みなの奇跡を願うあまりにひとり苛烈な絶望に身を窶し、「誰か」の偶像へと昇華するとともにみなの有用性のための婢に堕してしまう彼女らは、(敢えてこの言葉を用いれば)古今のあらゆる「英霊」と偶像(アイドル)に対峙する我々の無邪気な言語化・解釈に伴う暴力を露出させているのである。
(※ 同じく、自らを供儀に捧げた『まどか☆マギカ』もまた、我々の語りが縮減してしまった歴史の複数性を教える点では、同様に言語化・解釈に伴う暴力を露出させるものでもある。ただし『まどか☆マギカ』においては、より神話的な世界改変(開闢)の契機を巡って争いが繰り広げられていた。これに対して、『結城友奈は勇者である』や『艦これ』では、より政治的な歴史解釈を巡って物語外部のコミュニケーションが紛糾していた点に、最も大きな違いがあるだろう。)

勿論この点は、上記のような言語化・解釈が行われる言論空間・政治的環境に対する反省をも強いるものである。この点では、有用性が至高の基準として通用することになる市場的な言論空間についての『ハーモニー』の描写は未だに鮮烈であり、『サイコパス2』や『楽園追放』もまた同様の位置付けをもつものとして把握しうる。そこで問われているのは、全てを開示し、リスクを未然に除去しようとする環境に抗して、「秘密」を保全し、「秘密」を作り上げることを、いかに積極的に位置付けるかという課題である。

※ 蛇足ながら付け足せば、この点はアニメ自体の評判は芳しくない『艦隊これくしょん』に対する我々の語り方にも関わってくるだろう。本作は第二次世界大戦をネタ化し、鎮守府名や戦地名、少女のイメージとともに艦船に加えられたビジュアルディテールに至るまで、史実へのフェティッシュな言及を数多くなしたことで、政治的な批判やフェミニズム的な批判を現在まで受けている。しかし、その批判の多くは戦争への語り方をリアルな過去に結び付けられたモノへと限定し、戦争への語り直しに蓋をすることで、戦争をむしろ偶像化しているともいえる。やや穿った見方をすれば、『艦これ』は、死の一回性の擬制(轟沈システム)や兵站・指揮命令権限の物理的限定、敗戦の歴史を反復するしかないゲーム的拘束を強調する点で、決して歴史修正的ではない歴史への関わりを教示しうるのではないかと、示唆のみくわえておきたい。

 

(3)第一部「アイドル」パートについて:『THE IDLEM@STER』『Wake up, Girls !』:供儀から解き放たれるアイドルたち

この偶像化の問題は、「アイドル」を直接に扱った作品においても当然現れてくる。
現代のアイドル戦国時代にあって、アイドルはとりもなおさず商業的道具としてまずは見られることは避けられない。例えばアイドルには、他者の目線を先取りした過剰なキャラ付けが最初から求められ、そこに自らを適合させることで、自己を延命させることが求められる。
しかし、いくつかの作品では、アイドル自身によってこのような道具化を外れるような契機が見出されることだろう。前号『アニクリvol.3』では『プリパラ』のファルルをつうじて、いかにして非実在の虚無でしかないはずのキャラクターが自律した人格を形成するかが論じられていたし、なにより『THE IDLEM@STER』では、キャラクターはゲームプレイヤーと製作側の共同制作ともいえる過程を経て形成されたものでもある。なぜなら『THE IDLEM@STER』が結びつけられるべき繋留点は物理的な歴史や環境要因ではなく、最初からファンコミュニティの歴史にあるためだ。
『Wake up, Girls』や『THE IDLEM@STER』をはじめとしたいくつかのアイドル作品では、彼女らを取り巻く偶像化の圧力の中にあって、なぜ自らがなぜアイドルであらねばならないか、また誰にとってのアイドルであらねばならないか、そしていかにアイドルであらねばならないか、を描いている。そこにこそ、他者からの目線によって成立する偶像とはまた異なる意味合いが付与され、自ら足を踏み入れ、また自らそこから足を踏み出すアイドルという像が浮かび上がってくるように思える。
偶像に入り込む契機に加え、偶像を脱して「輝きの向こう側へ」と飛び出すという二つの側面に着目することで、偶像性と向き合う別の術が見出せるのではないかと考え、テーマとした。

※ この点では、近時のアイドルアニメの中では『ラブライブ』はやや特殊なようにおもえる。『ラブライブ』においては、アイドルというのは廃校の危機を救うための手段であり、自分自身の道具化である。もちろん、アイドルである自己は次第に彼女らのアイデンティティと化していくものの、本作では最終的になぜスクールアイドルでなければならなかったのかという課題は特に深彫りされずに放置されいたようにもおもわれるところである。よって、仮に『ラブライブ』を取り扱う場合にはこの点について他作品との差異を取り上げていただきたい。


(4)第二部について:〈身体〉をめぐる攻防戦とその境界

さて、以上の流れから、特集2における我々の〈身体〉というテーマへ至るのはいまや自然に思えるだろう。戦争においては我々の〈身体〉が動員されるとともに、戦後の語りにおいて(現在も続く)死者の「遺骸」の所在する場所や生存者による生の「肉声」、戦後秩序という「国体」といった数々の〈身体〉が聖域化されてしまった。それに伴い、歴史を語ることや語るトーンが単純な形へと抑圧され、歴史を語り直すことや語り継ぐことは困難なものとなってきたように思われる。翻って、アイドルにおいては〈身体〉は内容空虚なモノと化し、アイドルは情報の束として(神命を聴く)巫女のように振る舞うことを強いられることで、アイドルの〈身体〉はがらんどうの人形と「偶像」性の混合物にすぎないモノとして日々流通させられている。
そこで、本号で引きなおしたいと考えているのは、上記〈身体〉をめぐる攻防戦における「境界線」である。その攻防は、我々の〈身体〉を法的かつ政治的な意味においていかに統治し・被治されるに任せるべきかという問いと、個別的で実存的な意味においていかに不在の他者に開くべきかという問いの両方に関わっている。この二重の意味で、我々は自分が何者であるか、何をなしうるのかについて、上記のような偶像化の只中で、〈身体〉の間の境界線を揺らしながら、自己をより正確に定義しうると考える。

さらに、この〈身体〉の境界をめぐる問題は、ロトスコープを用いた『悪の華』やフルCG作品の勃興など、アニメ制作過程の変化の中におけるアニメの視聴体験や作品解釈においても現われようし、アニメを超えておよそ我々は我々という集合をいかに把握し、統治しえているのか、そしてまたいかに統治の限界の前で立ち止まるべきかという人文社会的な課題へも直面するはずだ。この意味で、『ガッチャマンクラウズ インサイト』は、クラウズという群衆の統治と被治の問題に加え、新たに加えられたフキダシという放縦された欲望の問題、そしてヒーローという個別的で実存的な〈身体〉の問題を軽やかに駆け抜ける点で、本号を概観するには最も適した作品となるように思われる。
この方向性は、古くは『アニクリvol.1.0』の岡田麿里の身体論および「ゴースト」論、『アニクリvol.2.0』の虚淵玄の「バッドエンド」解釈や、〈彼方〉性をめぐる『ピンドラ』『lain』解釈、そして直接には前号『アニクリvol.3.0』の非人間的な存在者についての各論の延長上にある。前号で取り扱った、人間と非人間の境界を揺るがすサイボーグ的身体や生物種としての身体、引き剥がされたものとしての身体や非実在の身体といった問題は、いかにその多重に折り重なった身体を(一面的還元に抗して)生き延びさせるかという課題に直結している。この点では、とりわけ『ローゼンメイデン』『RED GARDEN』の監督である松尾作品には(例えばプレスコの採用にみられるように)この身体性への着目が見出せるだろう。
かくして、〈身体〉という接面は、その多重構造のために常に完全な統治からは逃れつつも統治の基礎としては避けられない問いとして浮上する。問題は偶像・フィクションを介したその境界の引き直しにあり、境界を融和すべく自らを揺らがせる対内的・対外的な「戦争」にある。

このように次号『アニクリvol.4.0』では、上で挙げてきた作品群を対象作品の例として選びつつ、広義における、日常に伏在する「戦争」とその偶像性について、〈身体〉という観点から検討する。

 


以上

 

 

 

 

 


動的映像及戰爭ニ関スル諸作品批評集

告知:アニクリ新刊『vol.4』+原稿募集のお知らせ(第21回文フリ、冬コミC89) #bunfree #C89

C88お疲れ様でした。

アニメクリティーク刊行会で頒布した新刊『vol.3.0 蟲・生物・人工物/アニメにおける〈音〉』および『vol.3.1 細田守/バケモノの子』2種類は、おかげさまで印刷した分を1日目の段階で頒布しきることができました。ありがとうございました。

編集としましては、これを契機とした議論が起こり、読者・寄稿者・編集者をまたいだ意見交換ができることを期待しています。ぜひ、忌憚ないご意見・ご感想をお寄せくださいましたら幸いです。


さて、以下はC89および次回分フリに向けた、新刊などの告知です。
※ 若干の情報追記があります。

現在、アニメクリティーク刊行会では、以下の二つに向けた新刊の新規発刊、既刊の復刊・再編集版を予定しており、近日中に企画会議を開催することとなっています。
・第21回文学フリマ(文フリ・2015年11月)
・第89回コミックマーケット(C89冬コミ・2015年12月)

つきましては、読者から見たご意見・要望、寄稿者として扱いたい題材・視点などについて、 @nag_nay まで、リプ、DM、メールにてご意見をお寄せいただけましたら幸いです。
あくまでも企画段階ですが、現在案が出ているのは以下のとおりです。


(1)『アニクリvol.4.0』の新規発刊・原稿募集

→ 目下企画検討中のため、ぜひご意見お寄せください。

 取扱い作品例や原稿執筆要領など詳細については、企画会議を経ての報告とさせてください。

 以下はこれまで出た案となります。

①特集 アニドルアニメ/アニメにおける〈音〉・続章
※ 二つ目の特集では、主として音と映像、音と時間という側面からアプローチした『アニクリvol.3』では扱いきれなかったアニメ音楽の制作過程や市場流通といった側面、および、認知や配信を含む技術面での〈音〉についてより深めることを一案として考えています。

②特集 ロボットアニメ/みる・みられる〈身体〉の拡張
※ 二つ目の特集では、『アニクリvol.3』において触れた生物と非生物の境界を行き交うサイボーグ的身体や、『アニクリvol.1』において検討したアニメ視聴における視線の問題を包括的に取り扱うものです。こちらについては、以前tacker10さんより示唆をいただいていた松尾衡監督作品における統合や統治から逸脱する〈身体〉の問題などにも波及する問題と考えています。
③特集 西尾維新/漏出する〈言葉〉・物語・世界

④特集 アニメにおける戦争/統治する・される〈身体〉

⑤特集 アニメにおける〈時間〉

よろしくお願いいたします。


(2)『アニクリvol.1.5』の新規発刊・原稿募集

→vol.1.0『特集 岡田麿里2008-2013/〈物語〉の終わり、ゴースト』で十分に取り扱えなかった2012年以降の岡田関連作品を扱う予定です。
 取扱い作品例:峰不二子という女、凪あす、WIXOSS、鉄血のオルフェンズ、ここさけ、など


(3)復刊:『アニクリvol.1.0』の第二刷、『vol.2.0』の第三刷、『vol.3.0』の第二刷
→諸々が品切れになったため増刷を検討中です。
→若干の取り扱い作品の移動(→頁数によっては『vol.2.5』への改編)を行った上で、より手頃な価格で提供することも検討中です。

 

以上、よろしくお願い致します。

C88頒布物詳細:アニメクリティーク新刊 『特集 蟲・生物・人工物/アニメにおける〈音〉』および『特集 細田守/バケモノの子』 #c88

以下のとおり、C88にて新刊を発刊します。

1日目、8/14(金)東フ36aにてみなさまのご来場お待ち申し上げます。

 

 

1、頒布物一覧

 

 

(1)新刊『アニメクリティーク vol.3.0 特集  蟲・生物・人工物/アニメにおける〈音〉』

 

・情報 

 500円/オフセット印刷 A5版80頁

 

・取り扱い作品と執筆者一覧

 第一部「蟲・生物・人工物」

 『イヴの時間』『シドニアの騎士』『攻殻機動隊』論:Nag @nag_nay

 『蟲師』論:あんすこむたん @deyidan

 『蟲師』論:tacker10さん @tackerx 

 『プリパラ』論:すぱんくtheはにーさん @SpANK888

 『リヴァイアス』『プラネテス』『スクライド』『ガンソード』『コードギアス』論:sssafffさん @sssafff 

 第二部「アニメにおける〈音〉」

 『響け!ユーフォニアム』論:おはぎさん @ohagi2334

 『SHIROBAKO』論:ヒグチさん @yokoline

 『四月は君の嘘』論:あんすこむたん @deyidan 

 『坂道のアポロン』『四月は君の嘘』『響け!ユーフォニアム』論:Nag @nag_nay

 

・表紙

 前号vol.2、前前号vol,1と同じく、yopinari先生 @yopinari 作。

 今号は『蟲師』の作風に合わせて、あえてアクリル絵の具で表紙を作成いただきました。

 ギンコは東北の森を渡り歩いてそうなので、今回は若干ずらしてyopinari先生在住の南国の植物をあるくギンコというテーマを提案いただき、まさにそのように描いていただきました。感謝です。

 

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(2)新刊『アニメクリティーク vol.3.1 特集 細田守/バケモノの子』

 

・情報 

 

  100円/コピー本 A5版28頁

※ 本誌(新刊or既刊)or 委託物を、計2冊以上購入の場合には無料にて献呈いたします。

 

・取り扱い作品と執筆者一覧

 『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみ子どもの雨と雪』論:Nag @nag_nay

 『バケモノの子』論:羽海野渉さん @wataruumino

 『バケモノの子』論:sssafffさん @sssafff

 『バケモノの子』論:Nag @nag_nay

 

・表紙

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(3)既刊『アニメクリティーク vol.2.0 特集  虚淵玄/〈彼方〉の思考』

 

・情報 

 

 600円/オフセット印刷 A5版128頁

※ 既刊につき、市価の約半額にて提供させていただきます。

新刊との同時購入で、若干のディスカウントをさせていただき、合計1000円とさせていただきます。

 

・取り扱い作品および執筆者一覧

nag-nay.hatenablog.com

 

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(4)委託引受物『PRANK! vol.1 ノイタミナ10周年評論集』

 

・情報

 価格不明/オフセット印刷A5版156頁

 

・取り扱い作品および執筆者一覧

 

wataruumino.hatenablog.jp

PRANK Vol.1 - LandScape Official Site

 

 

 

2、上記(1)『アニクリ』新刊 内容詳細

 

(1)第一部挿絵

 

コンカツマン先生 @konkatuman にお願いいたしました。

頁を重ねて二つの世界を表現してあるので、ぜひ本でご確認いただきたいところです。

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(2)目次

 

目次です。挿絵に合わせて暗めの雰囲気にしました。

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(3)Outline--失われたもの/失われつつあるものに触れるということ

 『イヴの時間』『シドニアの騎士』『攻殻機動隊』論:Nag

 

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本論考では、超自然的な蟲(supernatural being)、被造物(creature)としての生物、人が存在を与える人工物(artifact)という三つの非人間的な存在との取り組み方に関して、ディック的な問いとイーガン的な問いと呼べるような二つの問いを扱っている。
ディック的な問いの方は、『イヴの時間』、『シドニアの騎士』を通じて練り上げられる。それは、人工物や生物へと向かう微視的な視点に基づくものである。これらの作品では、個人としての人間がもつ幻想、即ち個としての人間存在のみが分割不能な(individual)理性的存在であるという幻想を相対化する。解像度を高めて観察すれば、人間・生物・人工物のいずれも、分割可能な(dividual)引き裂かれたものたちの緩やかな結びつきでしかない。当然、その上での問われるべきは、我々の結びつき方がいかなるものである(べき)かという問いとなる。
イーガン的な問いの方は、押井版『攻殻機動隊』『イノセンス』において練り上げられる。それは、超自然的存在へと向かう巨視的な視点に基づくものである。人間的性質を全て剥ぎ取ったあとに残る世界の(イノセンスな)自動運動、身体も意識もなく人形を互いに与え合う生こそが、本作において描かれる人間の姿だ。『攻殻』では、ディックのように人間性についての幻想を払うことが目的なのではない。単に現在しない「不在」のもの(可能的存在)への視線に人間が貫かれている事態を、本作は可視化してくれる。その上で可能なのは、この視線自体の可視化であるだろう。
各種SF作品を扱った『アニメクリティーク vol.2』特集3の続きとして、ぜひ一読いただきたい。

 

 

(4)劇場版『蟲師』における光と闇

 『蟲師』論:あんすこむたん @deyidan

 

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本評論は、『蟲師』における光と闇に着目する。劇場版『棘の道』のように極端に低周波の「闇」の轟きは、事実として身体を物理的に振動させるとともに、象徴的に此岸と彼岸の不可分性を強調する効果を生んでいる。反対に劇場版『鈴の雫』のように高く響く鈴の音とともに降り注ぐ「光」は、いくつも折り重なった反響する声としてその世界の多様性複数性を表現することになる。本作における人間と自然とが切り離せないというアニミズムの思想は、その人間の可聴域すれすれの高低に広がった音と無音の境界、あるいは「光」と「闇」の境界において示されることになるはずである。本稿を紹介するならば、以上の通りとなる。

さて、『蟲師』における光と闇ということで思い出されるのは、ギンコ誕生過程で語られる第一期 第十二話「眇の魚」である。そこで、描かれる光と闇、記憶と忘却、歴史と瞬間は、上記の音と無音の関係を、端的に表しているためである。編集者コメント・コラムでは若干この点を補足してある。 

 

 

※ ちなみに、左頁にはこんな感じでロゴを入れたり、著者に対する編集者コメント・コラムを入れたりしています。

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お手製ロゴ例です。「続章」の「続」とかが変な書体だったのでやや手こずりました。

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ロゴの配置場所は以下のように左頁左上肩な感じです。

下記画像は『SHIROBAKO』論、ヒグチさんの評論についているロゴで、

かなり迷いましたが最終的に「宮森の名刺ver.」で最終確定しました。

 

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(5)引き剥がされたものたちを偲ぶ場所--TVアニメ『蟲師 続章』が描く郷愁と漂着

 『蟲師』論:tacker10さん @tackerx

 

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本評論は『蟲師』の表現技法を通じて、密接にからまりつつも断絶と綻びからは逃れられない引き剥がされたものたちの「居場所」を問うものである。アニメにおいてそれは、制作側と視聴者側、diegetic/non-diegetic区分とdigesis/memesis区分の間の揺らぎに着目することで明らかになるはずである。

さて、ここでの問いは、どのようにアニメという媒体を通じて、「個々の画がキャラクターとして、またキャラクターがキャラとして立ち現れるか」、「音がその居場所をフレームの内外、映像の内外(オフ)に見出されるか」という問いである。

しかし、本評論の妙味はその先にある。本評論は上記の問いを問うのみならず、いかにそのずれに向き合うかという倫理的な問いにも応えようとするためだ。その答えとしては、一つには、放浪する者たちが(自身の記憶ではない歴史を語り継ぎ、筆記をなすことで)作り上げる時間的な連なりに参入することが、もう一つには、あらゆる生の中に境界をまたぐための追悼の所作を学ぶことが、上記の問いへと対峙する態度の例となる。はずだ 

編集者コメント・コラムでは、この例に『鈴の雫』における「山と、命と、理の間を流れる、約束の中に」という言葉が、ナレーションの「声」(さらにこれは、ギンコの師匠にあたるぬいの声と同一である)と、山のヌシであるカヤの声が重なった二重の声として述べられていることが数えられるのではないか、とコメントした。この簡潔な一節こそが「生者は死者を悼むことで歴史へ参入し、死者は生者によって息づく」という本評論にいう追悼の趣旨であり、『蟲師』が追悼の寓話である所以となっているものと思われる次第である。

 

なお、tacker10さんの原稿を始めとして、考察上必要となる図表とかを複数載っけています。

 

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下記画像は、後述するおはぎさんの、京アニ-『響け!ユーフォニアム論』の表とロゴです。

 

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(6)重なりあうレイヤーのステージ--プリパラ・ミク・聖地巡礼

 『プリパラ』論:すぱんくtheはにーさん @SpANK888

 

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本評論は、アニメにおける非実在の存在を力強く擁護する評論である。その擁護は、単に非実在の存在を非実在のままに想像し、慰みにするだけでは足りず、かといって、ニコ動などを介した共同の錯覚で人格のようなモノを立ち上げるだけでは足りない。アニメにおける非実在の存在は、妄想的な夢見や擬似生物的な自動生成から離れて、視聴者である我々の手による世界変化、世界制作を必要とするというのが、本評論の主張である。
本評論は、その枠組みとして、従来論じられてきた非実在/実在という区分に加えて、半実在のレイヤーを導入する。そこで目標とされるのは、夢想された非実在でも、諦念に満ちた実在でもなく、ニコ動や聖地巡礼的想像力といった実在を豊かに再解釈するレイヤーである。さらに本評論は、半実在のレイヤーによって我々の生が豊かに彩られつつある状況を前にしつつも、そのもう一歩先にあるものとして、その半実在のレイヤーによって育まれた非実在を生み出す仕組みを提案し、そこへと参入するように読者を促すのである。

 

なお、本稿は、『アニメクリティーク vol.2.0』に寄せられた、 『serial experiments lain』および『ガッチャマンクラウズ』を論じた同氏の評論の続きとしても読むことができる。そこでは、ひとところにとどまることもできず、かといって遍く存在することもできない震災後の私たちの揺らぐ立場と「遍在/偏在」するアニメキャラクターを重ねつつ、その非実在と実在を重ね合わせる祝祭の契機を、てらまっと氏の「花見2.0」プロジェクトに重ねて論じたものである。ぜひ、あわせて読まれたい。

 

 

(7)対立するものたちの併存--谷口悟朗が描く生の具体性

 『リヴァイアス』『プラネテス』『スクライド』『ガンソード』『コードギアス』論:sssafffさん @sssafff

 

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(8)第二部挿絵

 

コンカツマン先生 @konkatuman 作。 『ユーフォ』をみて非常に興奮された様子でしたので、編集冥利に尽きます。

引用は J. L. Austinの著作より。「なぜそれだけのことであってはならないのか?なぜそれらすべてが「響きのよさ(euphony)や偶然や無意味なぜいたくであってはならないのか?」という部分を引用しました。

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(9)京都アニメーションが描くもの--集団の数という視点から

 『響け!ユーフォニアム』論:おはぎさん @ohagi2334

 

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 個的な関係性を描いてきた京アニが新たに踏み出したのは、集団の中での空気というテーマである。『響け!ユーフォニアム』にあるように、空気という媒体は音を届けるのみならず、その嫌な感じ、誰も責任を引き受けない軽薄さ、しかし一度選択してしまうと重たくのしかかってくる圧力といったものを、誰となしに各人が感染させていくことになる。

本評論は、このような個人同士の間、個人と集団の間に張り詰めた媒体としての「空気」に、またその響きあいが「特別」を生み出すだろうことに着目する。(なお、これと関連して、アニメ版では、原作では簡潔に記述されていた行間を、息を呑む描写や息を吹きかける描写を介して密に表現している点でも興味深いものと思われる。)

顧問である滝のセリフに現れていたように、一つの言葉は一つの響きを持つわけではない。中でも、上記再オーディションが完了した時、滝は麗奈に対して、「あなたが吹くのです」と申し向ける。この言葉は、事実確認でもあり、命令でもあり、宣言でもあるという多義的な響きを含みもっている。その響きは、一つの「空気」という偽りを霧消させ、様々な響きあいへと至る予兆として現れる。

「音楽というのはいいですね。嘘をつけない… 良い音は良いと言わざるを得ない」という言葉のとおり、「空気」は音を曲げることはできても、「納得」を与えることはできない。正直すぎる音や久美子はときに残酷であったり性格が悪いものかもしれない。しかし、そのような偽りのない響きがもたらす和音がいつか重なりあう瞬間にこそ、各人が「特別」へと至り「納得」を得ることになるはずである。そんな集団の空気を取り巻く希望へと、京アニが新たに足を踏み入れつつあることを説得的に論じる良論となっている。 

 

 

(10)キャラクターの生まれる渚--『SHIROBAKO』の映像・音響演出

 『SHIROBAKO』論:ヒグチさん @yokoline

 

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 本評論は『SHIROBAKO』を題材に、いかに音響が映像の中に形を得るか、特に個人的な妄想じみた音やキャラクターといった虚構がいかにして現前性を獲得するか、に焦点を当てる。やや再整理を施せば、本稿で「絵と音の同期」と呼ばれるものは、第一に制作工程におけるずれが収束する過程を意味し、第二に、視聴者側において視聴時におけるずれを収束する過程を意味するだろう。
なぜこのずれの収束が『SHIROBAKO』において特徴的かといえば、本作が制作工程のドタバタを中心とし、また製作陣の間、原作者と監督の間においてさえ拭い去れない、印象や認識のずれをつぶさに追っているためである。しかし、私的な妄想が公的な音と映像へと結実するとき、ずれはたまさかに収束し、「現実に対して、キャラクター表現は浸潤して(にじみ出て)くる」のである。
しかし、ずれと収束という二極を超えた広がりを本稿はさらに摘出している。上記の現前性が生じる仕組みは反転して、私的な妄想が公的な音と映像を超えて「溢れ出す」ときの感動をも説明してくれることになるためだ。例えば作中作の映像に声優キャラクターである坂木しずかが声を当てるシーンにおいて、本作における宮森と画面の前の視聴者の両者にとり、坂木しずかの声というのはその不遇の歴史を背負った暁に形を得ることとなった声であり、そこに現れる以上に豊かな響きを持って聴かれることになるだろう。
この点は、本稿の広い射程を示す箇所であるので、ぜひ本文でお読みいただきたい。

 

 

(11)弾くこと、繋がること、触れること

 『四月は君の嘘』論:あんすこむたん @deyidan

 

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本評論では、『四月は君の嘘』は「つながり」の物語であるとされる。公生の演奏がかをりをはじめ、演奏者たちを鼓舞し、音楽へと向かわせた歴史が「つながり」であり、共感覚のような映像と音の共演もまた「つながり」である。さらには、教えあい-支え合うことで「ひとりじゃない」音を見つけることも、精神的な「つながり」を表すだろう。

とりわけ、『四月は君の嘘』は、「つながり」を作り出す「嘘」と「本当」をめぐる作品であるといってもよいだろう。ただし、それは「嘘」か「本当」かという択一選択の問題ではないし、「嘘」と「本当」がないまぜにされた未分の状態を希求するものでもない。本作品が示しているのは、「嘘」が「本当」を引っ張ってくる、その弾き方、つながり方、触れ方なのだ。

『四月は君の嘘』は、有馬公生が宮園かをりと出会うことで開始される。知ってのとおり、この出会いは、かをりの「嘘」が引き連れてきたものだ。もちろん、この「嘘」によって彼らの関係はなんら毀損されることなく、彼らの音楽へ向けて新たに躍動を始める。本評論の言うように、かをりは決して過去を振り向くことなく、公生の背中を、過去から逃げ出すことのないように、しかし今へと押しだす。それは、病床についてもはや弓を持てなくなったとしても変わることはない。「僕の中の君」は音楽を引き連れ、最終話付近、屋上においてたとえ無音しか奏でることが叶わなくなっても、嘘みたいに「奇跡」を連れてくることができるためだ。
「音楽というのはいいですね。嘘はつけない」とは、『響け!ユーフォニアム』の一節である。確かに、音楽には嘘をつけない。しかし、音楽を作り出すためには、とりわけ音楽を一緒に作り出すためには、嘘は避けて通れない。嘘が連れてくる本当、無音の中にある艶やかに色づく音。そんな日常に溢れる「奇跡」を集め、そんな「奇跡」を再度だれかに手渡すこと。過去に失われたものへの想いがこり固まってしまうのを避け、想いの再解釈と創造へとつなげること。過去の母親の「影」、 公生自身の「影」、かをりの「影」を忘れることなく、誰かの「影」になっていくこと。このいずれもが、音楽を聴き、弾き、つながる、音楽とともにある生に他ならない。 

 

(12)視線を聴くこと、音を視ること

 『坂道のアポロン』『四月は君の嘘』『響け!ユーフォニアム』論:Nag @nag_nay

 

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(13)奥付・執筆者一覧

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 以上。

 

 

 

 

 

 

C88作業進捗報告(2)『PRANK! vol.1 ノイタミナ10周年評論集』DTP担当部分

来たるC88につきましては別記事で報告しておりますが、以下、下記(2)『PRANK! vol.1 ノイタミナ10周年評論集』DTP担当としての進捗について報告します。

 

※ 表紙は、むっくさん(@moochrlm)作

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1、『PRANK! vol.1 ノイタミナ10周年評論集』全体イメージ

 

 

まだ未了ですが、左ページ肩に自作ロゴ、右ページ肩に作品タイトル的な感じでいこうと考えています。

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時系列に沿った作品一覧表のようなものも作成してましたが、こちらはどう使うか検討中とのことです。(以下、一部拡大)

 

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2、取り扱い作品ロゴ

 

 

見よう見まねで何個かロゴを作成したりしてました。

改善点などご意見などございましたら、ぜひお寄せください。

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3、編集作業進捗

 

あとの作業進捗は羽海野さんへお問い合わせください。

 

ひとまず以上です。 

 

 

Nag

 

 

 

 

C88参加・寄稿状況報告 +『アニメクリティーク vol.2.5 特集「蟲・生物・人工物」/アニメにおける〈音〉』原稿募集について #C88

来たるC88につき、Nag名義では、下記のとおりの参加状況となっております。

(1)新刊:アニメクリティーク刊行会『アニクリ vol.2.5』編集・DTP (※ 下記)

(2)新刊:M.O.M.発行準備組合『Fani通2014下半期』寄稿 (※ユリ熊嵐蟲師、四月は君の嘘については、やや長文)

(3)新刊:羽海野渉さん『PRANK! vol.1 ノイタミナ10周年評論集』DTP担当

足を運ばれた際には、是非、お手にとってご覧くだされば幸いです。

 

 

以下掲題にもあります(1)『アニクリ vol.2.5』の内容・原稿募集要項について、アニクリ公式 と合わせて、告知いたします。

※下の挿絵はあめいも先生にお願いしました。

 

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目下原稿募集中ですので、ぜひ参加表明・一報ください。

 

※7/7(火)追記:なお、『響け!ユーフォニアム』は非常に評判がよかったこともあり、原稿の集まり方次第では、二部の半分ほどを割いて特集にすることも検討しています。

※ 7/7(火)追記:参考文献一覧を追加しました。

 

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@nag_nayです。C88に当選したことを受け、掲題のとおり告知いたします。


1、企画概要・原稿募集

来る8月開催のC88における頒布を目指しまして、アニメ評論誌として刊行してきました
・『アニメクリティーク vol.1 特集 岡田麿里 「物語の終わり」/ゴースト』
・『アニメクリティーク vol.2 特集 虚淵玄 /〈彼方〉の思考 』
に引き続き、
・『アニメクリティーク vol.2.5 特集 「蟲・生物・人工物」/アニメにおける〈音〉』(仮)
の発刊を以下のとおり企画いたします。
主たる企画立案・編集・作業担当は、@nag_nay + @yopinari となります。

つきましては、以下のとおり原稿募集をさせていただきます。
日程が差し迫っており申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

(1)募集原稿:

 アニメ作品のうち、「蟲・生物・人工物」、または、アニメにおける〈音〉に絡めて論じられるもの。二つの特集を接続するものも可(むしろ推奨)です。ジャンルとしては伝奇やSFを包含するスペキュレイティブ・フィクション一般で、特段の限定はありません。

 対象作品の限定も同じくありませんが、主として考えている例は以下のとおりです。
【特集1の例】
 ・蟲師(劇場版含む)、攻殻機動隊(劇場版含む)、シドニアの騎士イヴの時間(など、人間/非人間、生物/非生物の間を問うもの。主体の拡張、リダクションを伴うもの)

 ・純潔のマリア、プラネテスコードギアスガンソード(など谷口悟朗作品とか)
 ・スペース☆ダンデイ(などメタフィクションもの)
 ・凪のあすから(など自然描写に妙のあるもの)
  etc…
【特集2の例】
 ・響け!ユーフォニアム(など、音響監督に注目すると鶴岡陽太関連作品とか)
 ・四月は君の嘘、坂道のアポロンTARI TARI(などいわゆる音楽アニメ)
  etc…

 
(2)装丁など

 オフセット印刷、A4、80頁程度で企画しています。


(3)募集原稿様式

a. 文字数:
 ①論評・批評 : 3000字程度から15000字まで。
 ②作品紹介・コラム: 800字程度から2400字まで。

b. 形式
 .txt または .doc

c. 締め切り
 7/15(水) ※ 校正期間が短くなりますが、若干のばすことは可能です。ご相談ください。

d. 送り先
 anime_critique@yahoo.co.jp
 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。
 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。

(4)進呈

寄稿いただいた方には、新刊本誌を進呈(※ 進呈冊数は2を予定)させていただきます。

 

(5)参考図書一覧

 ざっくり編集側で読みつつ、全体方針として参考にしようと思っている書籍を、軽いものから重たいものまで置いておきます。挙げられているものの他、おすすめ書籍などありましたら、ぜひ @nag_nay までご連絡ください。

 また余力があれば、オフセットの本誌『アニクリ vol.2.5』刊行にあわせ、ここ1年くらいで刊行されたアニメにおける〈音〉に関わる書籍レビュー本作成も検討中です。

① 第一部

 人工知能は人間を超えるか(松尾 豊)
 記号創発ロボティクス(谷口忠大)
 ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう(鈴木 貴之)
 事実・虚構・予言(グッドマン)
 世界の複数性について(ルイス)
 瓦解した世界への倫理(マルガン)
 断片化する理性(スティッチ)
 神から可能世界へ(八木沢敬)
 可能世界・人工知能・物語理論(ライアン)
 動物を追う、ゆえに私は〈動物で〉ある(デリダ
 理不尽な進化(吉川浩満
 マクロ進化と全生物の系統分類
 獣と主権者(デリダ

② 第二部

 瞬間と永遠 ジル・ドゥルーズの時間論(檜垣立哉
 シネマ(ドゥルーズ
 生態学的知覚システム(ギブソン
 ベルクソン=時間と空間の哲学(中村昇)
 意識に直接与えられたものについての試論(ベルクソン
 マインド・タイム(リベット)
 音響メディア史(谷口文和)
 Sound Design(ゾンネンシャイン)
 視聴覚融合の科学 (日本音響学会 編)
 コンサートホールの科学(日本音響学会 編)
 音楽はなぜ心に響くのか(日本音響学会 編)
 セミオトポス10 音楽が終わる時(日本記号学会 編)
 音と時間(日本音響学会 編)(※近刊)

 

2、その他、C88についてのご意見募集

既刊については『vol.2.0 虚淵玄2008−2014、〈彼方〉の思考』につき、再頒布を予定しています。
その他、以下の再販、
・『vol.1.1 劇場版まどか☆マギカ 最速レビュー』
・『vol.2.1 楽園追放 最速レビュー』
これらに準じるコピー本を作成するかも検討中です。
折しも細田監督の新作公開も近いことから、
「こういうのをあつかってほしい」など声がありましたら、是非お寄せください。

以上、どうぞ宜しくお願い致します。