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書肆短評

本と映像の短評・思考素材置き場

告知:アニメクリティーク新刊(1)『vol.4.0 アイドルと戦争/境界線上の〈身体〉』発刊について(第21回文フリ、冬コミC89) #bunfree #C89

※ 2015/11/12(木):下記のとおり、表紙や本文の中身が概ね出揃いましたので、内容紹介を追記しました。

取り扱い作品のみ先に掲げておきますと、以下のとおりです。

OUTLINE
 0_0_【概要】THE IDOLM@STERシリーズ、艦これガルパンソラノオト

第1章 戦争と身体
 1_1_【生体】RED GARDEN革命機ヴァルヴレイヴ
 1_2_【死体】悪の華プリキュアアイカツ、Wake Up, Girls ! 論(付:GOD EATER

第2章 戦争と媒体
 2_1_【切断】ガッチャマンクラウズ インサイト論(付:GOD EATER
 2_2_【偶像】WHITE ALBUM2、冴えない彼女の育て方、クラスルームクライシス論

第3章 戦争と社会
 3_1_【接続】空の境界
 3_2_【抵抗】ガッチャマンクラウズ インサイト

第4章 戦争と叙述
 4_1_【慰霊】結城友奈は勇者である、ファフナー
 4_2_【希望】スカイクロラ

 

 

------------------ 

目次

0、内容紹介(←New)

1、検討・寄稿募集作品例
2、寄稿募集要項
3、企画趣旨: なぜいま「アイドルと戦争」なのか? また〈身体〉とそれらは如何なるかかわりをもつのか?

------------------ 

 

0、内容紹介

 

(1)表紙

 

アイドルマスターシンデレラガールズを採用しました。

今号は、前号、前前号で挿絵を担当くださったあめいも先生 @konkatsuman )が表紙担当となります。

反対に、前号までの表紙担当のyopinari先生(@yopinari)は挿絵担当となります。

 

f:id:Nag_N:20151112190018p:plain

 

 

取り扱い作品および掲載評論は、以下の通りとなります。ヤマカッコ内の副題は、編集の方で付したまとめです。

 

OUTLINE

0_0_【概要】THE IDOLM@STERシリーズ、艦これガルパンソラノオト
 Nag「異日常の異言使用(ゼノグラシア)―THE IDOLM@STERシリーズと艦これにおける系譜語り」


第1章 戦争と身体

1_1_【生体】RED GARDEN革命機ヴァルヴレイヴ
 tacker10「世界を信頼するために―松尾衡監督作品が描く身体」

1_2_【死体】悪の華プリキュアアイカツ、Wake Up, Girls ! 論(付:GOD EATER
 すぱんくtheはにー「Dance of the Dead―自然主義的フィクショナリズムと、殺せる身体の行方」
 

第2章 戦争と媒体

2_1_【切断】ガッチャマンクラウズ インサイト論(付:GOD EATER
 tacker10「風穴を開ける―『ガッチャマンクラウズ』シリーズと、アニメの「再起動(リ・ブート)」」

2_2_【偶像】WHITE ALBUM2、冴えない彼女の育て方、クラスルームクライシス論
 羽海野渉「白の記憶と冴えない彼女と―丸戸史明の描く虚像が地に落ち天に上るまで」


第3章 戦争と社会

3_1_【接続】空の境界
 ケンイチ「俯瞰風景、身体が開く世界と境界」

3_2_【抵抗】ガッチャマンクラウズ インサイト
 あんすこむたん「「同調圧力」からの逃れ方―事実の二重化、視点転換、時間」 

第4章 戦争と叙述

4_1_【慰霊】結城友奈は勇者である、ファフナー
 あんすこむたん「『ゆゆゆ』は何を残したか―語り直される歴史の「継承」」

4_2_【希望】スカイクロラ
 makito×Nag「「真実の希望」はどこにあるのか」

 

 

 

(2)本文

 

0_0_目次

f:id:Nag_N:20151112190607p:plain

 

第1章 戦争と身体

 

1_1_【生体】RED GARDEN革命機ヴァルヴレイヴ
 tacker10「世界を信頼するために―松尾衡監督作品が描く身体」

f:id:Nag_N:20151112190719p:plainf:id:Nag_N:20151112190730p:plain

 

 

1_2_【死体】悪の華プリキュアアイカツ、Wake Up, Girls ! 論(付:GOD EATER
 すぱんくtheはにー「Dance of the Dead―自然主義的フィクショナリズムと、殺せる身体の行方」

f:id:Nag_N:20151112190807p:plain

f:id:Nag_N:20151112190818p:plain

 

 

第2章 戦争と媒体

 

2_1_【切断】ガッチャマンクラウズ インサイト論(付:GOD EATER
 tacker10「風穴を開ける―『ガッチャマンクラウズ』シリーズと、アニメの「再起動(リ・ブート)」」

f:id:Nag_N:20151112190902p:plain

f:id:Nag_N:20151112190918p:plain

f:id:Nag_N:20151112190936p:plain

 

2_2_【偶像】WHITE ALBUM2、冴えない彼女の育て方、クラスルームクライシス論
 羽海野渉「白の記憶と冴えない彼女と―丸戸史明の描く虚像が地に落ち天に上るまで」

f:id:Nag_N:20151112190957p:plain

f:id:Nag_N:20151112191018p:plain

 

 

第3章 戦争と社会

 

3_1_【接続】空の境界
 ケンイチ「俯瞰風景、身体が開く世界と境界」

f:id:Nag_N:20151112191041p:plain

f:id:Nag_N:20151112191059p:plain

 

3_2_【抵抗】ガッチャマンクラウズ インサイト
 あんすこむたん「「同調圧力」からの逃れ方―事実の二重化、視点転換、時間」

f:id:Nag_N:20151112191122p:plain

f:id:Nag_N:20151112191143p:plain

 

 

第4章 戦争と叙述

 

4_1_【慰霊】結城友奈は勇者である、ファフナー
 あんすこむたん「『ゆゆゆ』は何を残したか―語り直される歴史の「継承」」

f:id:Nag_N:20151112191200p:plain

 

f:id:Nag_N:20151112191220p:plain

 

 

 

4_2_【希望】スカイクロラ

 makito×Nag「「真実の希望」はどこにあるのか」

f:id:Nag_N:20151112191312p:plain

f:id:Nag_N:20151112191324p:plain

 

 

・最後に構成について

文章の構成は、各評論につき、ほぼ「本文→Review→Reply」形式を採用することができました。

Review→Replyは以下のような感じです。

 

f:id:Nag_N:20151112191617p:plain

 

 

 

 

 

------以上、2015/11/12(木)追記事項。

 


1、検討・寄稿募集作品例

※ あくまで例示であり作品を限定する趣旨ではありません。掲載されていない作品でも特集テーマとの関連が認められそうでしたら、是非お申し出ください。


・「特集1 アイドルと戦争」取り扱い作品例


①戯画化された戦争 / ゲーム化された政治のその後

ガッチャマンクラウズ インサイト
『結城友奈は勇者である』
艦隊これくしょん
虐殺器官』『 <harmony/> 』『屍者の帝国
革命機ヴァルヴレイヴ』『STAR DRIVER』『蒼穹のファフナー』『輪廻のラグランジェ』など学園系ロボットアニメ系
スカイクロラ』『今、そこにいる僕


②「誰か」にとっての偶像(アイドル)になる契機、また偶像から降りる契機

THE IDOLM@STER』『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ』
アイドルマスターシンデレラガールズ
アイドルマスター XENOGLOSSIA
『Wake up, Girls』
『少年ハリウッド』
『プリパラ』
アイカツ
WHITE ALBUM』『WHITE ALBUM 2』


・「特集2 境界線上の〈身体〉」取り扱い作品例


①視聴する身体、統御された身体

『スペース☆ダンディ』
メカクシティアクターズ
花とアリス殺人事件』
悪の華


②身体性の拡張と統治性の露出、人形としての身体

RED GARDEN』『ローゼンメイデン』(など松尾監督作品)

『ソードアートオンライン』

かんなぎ
『ファンタジスタドール』
『キャプテンアース』
ガンダム』シリーズ

GOD EATER

 

 ※ なお、『GOD EATER』については、アニクリ読者の方から以下のような趣旨の質問をいただいており、寄稿にあたってはいくつかやり取りをさせていただく予定です。「GEアニメは、これまでのアニメの肌で一色、影で一色といったセオリーを覆すことで3Dモデリングされたアラガミとセル画(2D)で描かれたキャラが共存したアニメーション画面を構成しているとのことですのでその点をアニクリの著者様の主観を以て寄稿していただきたい」。

またこれまでも、アニクリでは「色」そのものについて明示的に扱ったことはなかったため、編集側としても一つの検討軸として考えていきたいと考えています。

 

2、寄稿募集要項


(1)募集原稿

 アニメ作品のうち、寄稿募集原稿例に掲げた作品を中心として、「アイドルと戦争」または「境界線上の〈身体〉」に絡めて論じられるもの。二つの特集を接続するものも可(むしろ推奨)です。
※ なお、特集のうち「アイドル」については、テーマ選択との関係で、関連する3次元アイドルに言及することは可能であるものの、文章全体に占める当該言及箇所の割合を限定的にする旨、お願いしたいと思います。
 
 
(2)装丁・発刊時期

 オフセット印刷、A5、100頁程度で企画しています。
 発刊は第21回文学フリマ(11/23)を想定しています。
 冬コミC89(12/29 ?)にも申し込み中ですので、そちらでも頒布したいと考えています。


(3)募集原稿様式

a. 文字数:
 ①論評・批評 : 3000字程度から15000字まで。
 ②作品紹介・コラム:500字程度から2000字まで。

※  なお寄稿にあたっては一つ、可能であれば、コラム・アンケートへのご協力をいただけましたら幸いです。内容は、以下の読者様からの『GOD EATER』にかんする質問・要望についてです。同作の色彩設定について思うところがありましたら、是非、短評いただけましたら幸いです。「GEアニメは、これまでのアニメの肌で一色、影で一色といったセオリーを覆すことで3Dモデリングされたアラガミとセル画(2D)で描かれたキャラが共存したアニメーション画面を構成しているとのことですのでその点をアニクリの著者様の主観を以て寄稿していただきたい」。

b. 形式
 .txt または .doc

c. 締め切り
 第一稿:10/15(水)
 (※ 個別に連絡いただけましたら延長することは可能です)
 (※ その後、何度か原稿の校正上のやり取りをさせていただけましたら幸いです。)
 最終稿:11月初旬

d. 送り先
 anime_critique@yahoo.co.jp
 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。
 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。


(4)進呈

寄稿いただいた方には、新刊本誌を進呈(※ 進呈冊数は2を予定)させていただきます。

 


3、企画趣旨: なぜいま「アイドルと戦争」なのか? また〈身体〉とそれらは如何なるかかわりをもつのか?


(1)総論: テーマ設定の趣旨: グロテスクな偶像化を回避するために

「アイドルと戦争」という対を見た際、おそらく読者は一瞬奇異な印象を受けつつも、その対を受け入れる語彙もまたあるはずだと落ち着くかもしれない。というのも、「アイドル戦国時代」という呼称や、戦争時における天皇の偶像化の問題、ヴァーチャル化した近時の戦争、(常態化した戦争としての)政治におけるポピュリズムの問題などなど、アイドルと戦争をつなぐパスは複数描きうるためである。

しかし、『アニクリ』次号では、そのような現実の戦争や偶像化の問題自体をトレースしたり、露出させたりしたいわけではない。
例えば、近時の『GATE』において顕著であるが、戦争をある種素朴な形で描くフィクション作品は既に数多くあるかもしれない。『進撃の巨人』は壁によって隔てられた支配・被支配構造が、神山版『攻殻機動隊』ではタチコマの特攻が、『シドニアの騎士』は種としての人類の不気味な生存が描かれることになる。或いは、戦争をアイドル的な装いとともに提示した作品という点では、典型的には『マクロス』シリーズや『戦姫絶唱シンフォギア』『アクエリオン』『AKB0048』などにおいて描かれるところのようにも思える。その他、『ソラノオト』『ストライクウィッチーズ』『ガルパン』『ろこどる』などは、部活動といった日常や萌え要素とともに戦争を「見易い」ものにするものであるし、また『ローリングガールズ』はまさにご当地戦争をネタに変じて表現したものである。

『アニクリ』次号の関心は、もちろんこれらテーマとして戦争を取り扱った作品の読解にもあるものの、その一方で、一回的で凄惨な出来事を寓話的に語り直す、アニメのもつ潜勢力にこそある。
アニメはその戯画表現を通じて、過去に起こった凄惨で痛ましい「リアル」な戦争について生真面目に議論しなければならないという規範を逃れ、当時から現在まで連綿と続く戯画化された戦争について語り直すことを可能にする。というのも、戦争というテーマについての語りは過度に規範化されることで議論の方向を変え難いものにし、戦争についての語り直しを困難にするのみならず、戦後70年を経た現在において戦争についての語り継ぎを袋小路に追いやっているように思えるためだ。
本誌が提唱するように、アニメという媒体はリアリティを与える目的の下、リアルを抽象化し、偶像という装置を用いて構築された人工物である。その媒体こそが、偶像化され、フィクション化されつつある戦争の実態や戦争の歴史を示すとともに、偶像化の作用を通じて新たに戦争や歴史とのフィクショナルな関係を形づくる契機をなすものと考えうる。
アニメという媒体を通じて、我々は第一に、根拠づけられるはずの基礎を欠いた歴史や戦争の構造に開かれるとともに、第二に、時に崇高さを与えるような偶像性を通じて既に失われた過去の存在や今まさに失われつつある脆弱な存在へとアクセスする異言(XENOGLOSSIA)を学びうるのではないだろうか。


(2)第一部「戦争」パートについて:『結城友奈は勇者である』『ハーモニー』『屍者の帝国』『艦これ』における歴史の語り直し

例として、『結城友奈は勇者である』をあげよう。
丁度『結城友奈は勇者である』は、偶像(アイドル)と戦争という二つのテーマの折り返しをなす作品である。そこでは、「勇者」という偶像を自ら選びとった勇者部の面々が、他者にとっての「勇者」という崇高な供犠へと処されつつもなお、「誰か」にとっての勇者であることを求めて戦いに身を投じつづける。その動機の純粋さと結果のグロテスクさの双方がとりわけ際立っていた作品である。
みなの奇跡を願うあまりにひとり苛烈な絶望に身を窶し、「誰か」の偶像へと昇華するとともにみなの有用性のための婢に堕してしまう彼女らは、(敢えてこの言葉を用いれば)古今のあらゆる「英霊」と偶像(アイドル)に対峙する我々の無邪気な言語化・解釈に伴う暴力を露出させているのである。
(※ 同じく、自らを供儀に捧げた『まどか☆マギカ』もまた、我々の語りが縮減してしまった歴史の複数性を教える点では、同様に言語化・解釈に伴う暴力を露出させるものでもある。ただし『まどか☆マギカ』においては、より神話的な世界改変(開闢)の契機を巡って争いが繰り広げられていた。これに対して、『結城友奈は勇者である』や『艦これ』では、より政治的な歴史解釈を巡って物語外部のコミュニケーションが紛糾していた点に、最も大きな違いがあるだろう。)

勿論この点は、上記のような言語化・解釈が行われる言論空間・政治的環境に対する反省をも強いるものである。この点では、有用性が至高の基準として通用することになる市場的な言論空間についての『ハーモニー』の描写は未だに鮮烈であり、『サイコパス2』や『楽園追放』もまた同様の位置付けをもつものとして把握しうる。そこで問われているのは、全てを開示し、リスクを未然に除去しようとする環境に抗して、「秘密」を保全し、「秘密」を作り上げることを、いかに積極的に位置付けるかという課題である。

※ 蛇足ながら付け足せば、この点はアニメ自体の評判は芳しくない『艦隊これくしょん』に対する我々の語り方にも関わってくるだろう。本作は第二次世界大戦をネタ化し、鎮守府名や戦地名、少女のイメージとともに艦船に加えられたビジュアルディテールに至るまで、史実へのフェティッシュな言及を数多くなしたことで、政治的な批判やフェミニズム的な批判を現在まで受けている。しかし、その批判の多くは戦争への語り方をリアルな過去に結び付けられたモノへと限定し、戦争への語り直しに蓋をすることで、戦争をむしろ偶像化しているともいえる。やや穿った見方をすれば、『艦これ』は、死の一回性の擬制(轟沈システム)や兵站・指揮命令権限の物理的限定、敗戦の歴史を反復するしかないゲーム的拘束を強調する点で、決して歴史修正的ではない歴史への関わりを教示しうるのではないかと、示唆のみくわえておきたい。

 

(3)第一部「アイドル」パートについて:『THE IDLEM@STER』『Wake up, Girls !』:供儀から解き放たれるアイドルたち

この偶像化の問題は、「アイドル」を直接に扱った作品においても当然現れてくる。
現代のアイドル戦国時代にあって、アイドルはとりもなおさず商業的道具としてまずは見られることは避けられない。例えばアイドルには、他者の目線を先取りした過剰なキャラ付けが最初から求められ、そこに自らを適合させることで、自己を延命させることが求められる。
しかし、いくつかの作品では、アイドル自身によってこのような道具化を外れるような契機が見出されることだろう。前号『アニクリvol.3』では『プリパラ』のファルルをつうじて、いかにして非実在の虚無でしかないはずのキャラクターが自律した人格を形成するかが論じられていたし、なにより『THE IDLEM@STER』では、キャラクターはゲームプレイヤーと製作側の共同制作ともいえる過程を経て形成されたものでもある。なぜなら『THE IDLEM@STER』が結びつけられるべき繋留点は物理的な歴史や環境要因ではなく、最初からファンコミュニティの歴史にあるためだ。
『Wake up, Girls』や『THE IDLEM@STER』をはじめとしたいくつかのアイドル作品では、彼女らを取り巻く偶像化の圧力の中にあって、なぜ自らがなぜアイドルであらねばならないか、また誰にとってのアイドルであらねばならないか、そしていかにアイドルであらねばならないか、を描いている。そこにこそ、他者からの目線によって成立する偶像とはまた異なる意味合いが付与され、自ら足を踏み入れ、また自らそこから足を踏み出すアイドルという像が浮かび上がってくるように思える。
偶像に入り込む契機に加え、偶像を脱して「輝きの向こう側へ」と飛び出すという二つの側面に着目することで、偶像性と向き合う別の術が見出せるのではないかと考え、テーマとした。

※ この点では、近時のアイドルアニメの中では『ラブライブ』はやや特殊なようにおもえる。『ラブライブ』においては、アイドルというのは廃校の危機を救うための手段であり、自分自身の道具化である。もちろん、アイドルである自己は次第に彼女らのアイデンティティと化していくものの、本作では最終的になぜスクールアイドルでなければならなかったのかという課題は特に深彫りされずに放置されいたようにもおもわれるところである。よって、仮に『ラブライブ』を取り扱う場合にはこの点について他作品との差異を取り上げていただきたい。


(4)第二部について:〈身体〉をめぐる攻防戦とその境界

さて、以上の流れから、特集2における我々の〈身体〉というテーマへ至るのはいまや自然に思えるだろう。戦争においては我々の〈身体〉が動員されるとともに、戦後の語りにおいて(現在も続く)死者の「遺骸」の所在する場所や生存者による生の「肉声」、戦後秩序という「国体」といった数々の〈身体〉が聖域化されてしまった。それに伴い、歴史を語ることや語るトーンが単純な形へと抑圧され、歴史を語り直すことや語り継ぐことは困難なものとなってきたように思われる。翻って、アイドルにおいては〈身体〉は内容空虚なモノと化し、アイドルは情報の束として(神命を聴く)巫女のように振る舞うことを強いられることで、アイドルの〈身体〉はがらんどうの人形と「偶像」性の混合物にすぎないモノとして日々流通させられている。
そこで、本号で引きなおしたいと考えているのは、上記〈身体〉をめぐる攻防戦における「境界線」である。その攻防は、我々の〈身体〉を法的かつ政治的な意味においていかに統治し・被治されるに任せるべきかという問いと、個別的で実存的な意味においていかに不在の他者に開くべきかという問いの両方に関わっている。この二重の意味で、我々は自分が何者であるか、何をなしうるのかについて、上記のような偶像化の只中で、〈身体〉の間の境界線を揺らしながら、自己をより正確に定義しうると考える。

さらに、この〈身体〉の境界をめぐる問題は、ロトスコープを用いた『悪の華』やフルCG作品の勃興など、アニメ制作過程の変化の中におけるアニメの視聴体験や作品解釈においても現われようし、アニメを超えておよそ我々は我々という集合をいかに把握し、統治しえているのか、そしてまたいかに統治の限界の前で立ち止まるべきかという人文社会的な課題へも直面するはずだ。この意味で、『ガッチャマンクラウズ インサイト』は、クラウズという群衆の統治と被治の問題に加え、新たに加えられたフキダシという放縦された欲望の問題、そしてヒーローという個別的で実存的な〈身体〉の問題を軽やかに駆け抜ける点で、本号を概観するには最も適した作品となるように思われる。
この方向性は、古くは『アニクリvol.1.0』の岡田麿里の身体論および「ゴースト」論、『アニクリvol.2.0』の虚淵玄の「バッドエンド」解釈や、〈彼方〉性をめぐる『ピンドラ』『lain』解釈、そして直接には前号『アニクリvol.3.0』の非人間的な存在者についての各論の延長上にある。前号で取り扱った、人間と非人間の境界を揺るがすサイボーグ的身体や生物種としての身体、引き剥がされたものとしての身体や非実在の身体といった問題は、いかにその多重に折り重なった身体を(一面的還元に抗して)生き延びさせるかという課題に直結している。この点では、とりわけ『ローゼンメイデン』『RED GARDEN』の監督である松尾作品には(例えばプレスコの採用にみられるように)この身体性への着目が見出せるだろう。
かくして、〈身体〉という接面は、その多重構造のために常に完全な統治からは逃れつつも統治の基礎としては避けられない問いとして浮上する。問題は偶像・フィクションを介したその境界の引き直しにあり、境界を融和すべく自らを揺らがせる対内的・対外的な「戦争」にある。

このように次号『アニクリvol.4.0』では、上で挙げてきた作品群を対象作品の例として選びつつ、広義における、日常に伏在する「戦争」とその偶像性について、〈身体〉という観点から検討する。

 


以上

 

 

 

 

 


動的映像及戰爭ニ関スル諸作品批評集