書肆短評

本と映像の短評・思考素材置き場

寄稿募集:アニクリ 2021春号 vol.5s アニメートされる〈屍体〉Ⅱ「特集①「中国夢」中『羅小黒戦記』/特集② コマ撮りアニメの現在」(仮) #文フリ #bunfree

1、vol.5s 検討・寄稿募集作品(例)

(underconstruction)

 

 2、寄稿募集要項

(1)装丁・発刊時期:

 オフセット印刷、A5、100頁程度で企画しています。

 発刊時期は、2021/05/16、東京文フリにて発刊予定です。

 

(2)募集原稿様式

a. 文字数:

 ①論評・批評 : 1600字程度から20000字程度まで。

 ②作品紹介・コラム:300字程度から1600字程度まで。

 ③掌編小説  : 2400字以内

 

b. 形式

 .txt または .doc

 

c. 締め切り

①第一稿:2021/04/04(日)

(※ 第一稿に、自身で納得いかない場合には、ドラフトまたは納得いかない点を送付くださいましたら一緒に考えられますので、よろしくお願いいたします。)

②最終稿:2021/04/25(日)

③相互コメントやりとり期間:②までの期間・随時 @dropuboxほか

(※ いずれも個別に連絡いただけましたら延長することは可能ですが、大幅な延長につきましては相当の期間前に相談くださいましたら幸いです。)

 

d. 送り先

 anime_critique@yahoo.co.jp

 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。

 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。

 

(3)進呈

寄稿いただいた方には、本誌2冊を進呈させていただきます。

 

 

3、発刊趣旨

 

(underconstruction)

寄稿募集:アニクリ第二期創刊号 vol.11 "Re-taking Evangelion Seriously" #C99

1、検討・寄稿募集作品

 

(underconstruction) 

 

 

2、寄稿募集要項

(1)装丁・発刊時期:

 オフセット印刷、A5、100頁程度で企画しています。

 発刊時期は、2021/05/04、夏コミC99です。

 ※『シン・エヴァンゲリオン』公開が遅れておりますため、上記日程は見込みとなります。寄稿者各位は状況注視の上、待機くださいますようよろしくお願いいたします。

 

(2)募集原稿様式

a. 文字数:

 ①論評・批評 : 1600字程度から20000字程度まで。

 ②作品紹介・コラム:300字程度から1600字程度まで。

 ③掌編小説  : 2400字以内

 

b. 形式

 .txt または .doc

 

c. 締め切り

①第一稿:2021/04/04(日)

(※ 第一稿に、自身で納得いかない場合には、ドラフトまたは納得いかない点を送付くださいましたら一緒に考えられますので、よろしくお願いいたします。)

②最終稿:2021/04/18(日)

③相互コメントやりとり期間:②に至るまでの期間・随時 @dropboxほか上

(※ いずれも個別に連絡いただけましたら延長することは可能ですが、大幅な延長につきましては相当の期間前に相談くださいましたら幸いです。)

 

d. 送り先

 anime_critique@yahoo.co.jp

 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。

 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。

 

(3)進呈

寄稿いただいた方には、本誌2冊を進呈させていただきます。

 

 

3、発刊趣旨

 

(underconstruction)

 

寄稿募集:アニクリ 2020春号 vol.4s「特集 アニメートされる〈屍体〉/葬送の倫理」(仮) #C98 #bunfree

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1、vol.4s 検討・寄稿募集作品(例)


メイドインアビス 深き魂の黎明』、見ていただけましたでしょうか? EDカッコ良すぎとかいう点は超えて、本当に小・中学生の時にこの作品に出会いたかったな、と思う次第です。生き方が変わっていたかも(いなかったかも)しれません。

さて、アニクリvol.4.0「境界線上の身体」およびvol.4.5「ガルパン総特集号」のテーマを引き継ぐ形で、アニクリ新号vol.4sでは「アニメートされる屍体」をテーマとして、関連する諸作品を広く募集いたします。

折しも、『Fate』シリーズのHFの完結を目前とし、ゾンビランドサガの続編を控えている現在、〈屍体/死体〉という切り口から(究極的にはアニメーションの初期からその主題とされていたはずの「モノを動かす」ということから)2020年に至る「アニメ」についての振り返りの機会としていただけましたら幸甚です。

近日中に追記しますが、現状では(例えば)次のような事項に関連する作品について、皆様の関心を惹起する作品が思い浮かんだら、お寄せください。

(ぜひ作品例として明記させていただきたく思います。)

 

(1)キャラクターとしての「ゾンビ/屍体」を中心とするアニメ

 ・メイドインアビス

 ・ゾンビランドサガ

   ・スペース☆ダンディ

   ・ドロヘドロ

 ・甲鉄城のカバネリ
 ・がっこうぐらし!
 ・さんかれあ
 ・フランチェスカ
 ・屍者の帝国
 ・さらざんまい

 ・灰羽連盟

 ・死者の書 など

 

(2)モノを動かす/『Thunderbolt Fantasy』からクレイ・人形アニメーションへの遡行

 

(3)「バグ」/「リミテッド」を含み込む身体
 ・vol.7sにおける各作品を参照

 

(4)動かされる/召喚される死体
 ・AIみそらひばり/初音ミクと不在者のパブリシティ権
 ・Fateシリーズ(Fate Grand Order/HF/UBW/Zero全て含む)

 

(5)「キャラクターの死」にまつわる作品群

etc etc..


(* 例示は対象作品を限定する趣旨ではありませんので、「これ入れろ」というのがございましたらリプライやメールなどください。なんなら特にリプなどなくとも送りつけてください。)


なお、以上の点につきましては、アニクリの寄稿者・こもんさんから諸々のプッシュをいただいておりましたところで、皆様のお力添えになるかもなので、一部、引用させていただきます。


「松浦は、映画がゴダールのいうように1秒に24回の死だったとしても、映画が死を直接露呈させたことはないのではないか、死者すら長時間映すことは憚られてきたのではないか?と問うています。むしろ、映画を取り囲む環境は、死者のいない葬列、輪廻のように途切れなく循環する世界、そういうものが似つかわしいといいます。もうひとつ、ベルクソン論ではベルクソンが心霊研究の学会で論考を発表したりしていたことを取り上げて、持続の切断としての死はやはりベルクソニスムには場所を持たないと論じています。だから、ベルクソニスムにとって死は通過点であり、心霊的な死後の生はオカルトでも不可知論でもない、持続が理論的に要請してることだったのだと。」
「もちろん、そこから返す刀でドゥルーズのシネマも問題になります。」
「このへんを念頭において、ラマールが宮崎駿について、特にその「大自然」という宮崎アニメを支えるシステム、環境?、摂理?について言っていることを論じてみたい、宮崎が腐海の底で大いなる浄化が進行していることを信じることができるのは「大自然」という自らのアニメが取り込まれている大いなる循環のシステムを信じているからだと。描線も、運動も、キャラクターも全てがその循環に巻き込まれている。これはまるでベルクソニスム…?死者を欠いた葬列?と。」(@commonko)

 

 

2、寄稿募集要項

(1)装丁・発刊時期:

 オフセット印刷、A5、100頁程度で企画しています。

 発刊時期は、2020/05/03、東京文学フリマ+C98(夏コミ)です。

 

(2)募集原稿様式

a. 文字数:

 ①論評・批評 : 1600字程度から20000字程度まで。

 ②作品紹介・コラム:300字程度から1600字程度まで。

 ③掌編小説  : 2400字以内

 

b. 形式

 .txt または .doc

 

c. 締め切り

①第一稿:2020/03/30(月)

(※ 第一稿に、自身で納得いかない場合には、ドラフトまたは納得いかない点を送付くださいましたら一緒に考えられますので、よろしくお願いいたします。)

②最終稿:2020/04/13(月)

③相互コメントやりとり期間:2020/04/01(火)-2019/04/18(土)

(※ いずれも個別に連絡いただけましたら延長することは可能ですが、大幅な延長につきましては相当の期間前に相談くださいましたら幸いです。)

 

d. 送り先

 anime_critique@yahoo.co.jp

 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。

 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。

 

(3)進呈

寄稿いただいた方には、本誌2冊を進呈させていただきます。

 

 

3、発刊趣旨

(underconstruction)

寄稿募集:アニクリ 2019冬号 vol.10「特集 総記:京都アニメーション」/制作協力(グロス請け)PRANK! 制作チーム #C97

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差出人不明

 これはあなたを守る魔法の言葉です。
 ●●●●
 ただそう唱えて

   Violet Evergarden: Eternity and the Auto Memories Doll

 

... the other’s sur-vival exceeds the “we” of a common present: brings together two friends, “incredible scene of memory,” written in absolute past; dictates madness of amnesic fidelity, forgetful hypermnesia ...
   Jacques Derrida, Memoires for Paul de Man(1988) 

 

Wo­-
gegen
rennt er nicht an?

Die Welt ist fort, ich muss dich
tragen.

 In-
 to what
 does he not charge?

 The world is gone, I must carry you.

   Paul Celan, "GROSSE, GLUHENDE WOLBUNG " (VAST, GLOWING VAULT)

 

...According to Freud, mourning consists in carrying the other in the self. There is no longer any world, it's the end of the world, for the other at his death. And so I welcome in me this end of the world, I must carry the other and his world, the world in me: introjection, interiorization of remembrance (Erinnerung), and idealization. Mel­ancholy welcomes the failure and the pathology of this mourning. But if I must (and this is ethics itself) carry the other in me in order to be faithful to him, in order to respect his singular alterity, a certain melancholy must still protest against normal mourning. This melan­choly must never resign itself to idealizing introjection. It must rise up against what Freud says of it with such assurance, as if to confirm the norm of normality. The "norm" is nothing other than the good conscience of amnesia. It allows us to forget that to keep the other within the self, as oneself, is already to forget the other. Forgetting be­gins there. Melancholy is therefore necessary. 

「...「規範」とは、健忘症者の潔白意識(良心の痛みの無さ=bad conscienceの欠如)に他ならない。そのおかげで私たちは、他者を自己の内部に自己として保存すること(※ 喪)、それはすでに他者を忘れることだということを、忘れることができる。忘却が、そこに始まるのだ。だから、メランコリーが必要なのだ」
   ジャック・デリダ『雄羊 Bélier』第5章

 

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このたびも多くの方に寄稿いただき、A5版、本文188頁となりました。ご協力くださいました寄稿者のみなさん、コメンテータのみなさん、そしてPRANK!さんチームの皆様に改めましての感謝を...

 

表紙は大変迷いましたが、上記の通りとなります。寄稿募集時の「名」というテーマをさらに広げる形で「生き延び Sur-vie」というテーマに接続しています。

現在の我々をこえた関係...でありながら、決して現にあったことはない関係。しかし偽の記憶というわけではなく、むしろ現になかった(あるいは私の中ではこうだった)という「記憶」で自分を免責することそのものが許されないような関係。そうしたものについて、検討を加えたいと思いました。

ルビというか読み仮名についてですが、すでに世を去った人の各様の「生き延び」に加え、残された我々から見た「生き延び」(ただしエピグラフに掲げたように、決して勝手な理想化や体内化に還元しえないものとしてのそれ)に近づくべく、「耐え・担いtragen=carry」につなげ、ルビで「耐え存え」という読み仮名を提案した次第です。

...となるとやはり『AIR』であろうということで、両開きで、カラーリングを変えて、対称の構図(ただし目次ページなどで確認できるように微妙にずれているもの)で構成するのがよかろうというところでまとめてさせていただきました。ポスター右肩のセリフは次の通り、国崎往人のセリフからです。

「ひとは、変わってゆくことが悲しいんじゃない。 変わらなければ生きていくことができないことが、 寂しいだけなんだ」

もちろんこの変わりゆきそのものが、生者にしか許されていない特権であることは避けて通れません。「変わること(悲しみ)」や「変わりながらしか生きられないこと(寂しさ)」が原理的に許されていないものたち(...死者・キャラクター・いまだ生まれざるものたち..)にとっての「変わること」とはどのような意味を含むのか。

...というところが本号を通じた問いとなります。

 

ポスターのテーマ「Sur-vie」の後に付した副題は、こうしたあれこれを想起いただくために最後に付け加えました。「彼方」という語には、辞書的な意味にすでに含まれているとおり、物理的な距離のみにならず、過去の時間、そして(二人称的/三人称的)呼びかけの声が含まれています。各様の響きを聴取し、表紙・テーマ・ルビ等々とともに、解釈くださいましたら幸いです。

 

目次は下記の通りです。

 

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A side 1 【フィクションと旅する 終わりなき喪/継承】

 subject. 武本監督作品、ツルネ、中二恋を中心に

 

[巻 頭] 安原まひろ 「アニメのなかに世界を見いだすこと 武本康弘の映像」

武本康弘作品(ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルてAIRらき☆すた氷菓)ほか論

[10 - 17 ] 土屋誠一 「疑似恋愛的五角形の美 『ツルネ 風舞高校弓道部』論」

 ツルネ論  

[18 - 23 ] 岡村真之介 「旅と風景 アニメとゲームから感じる世界の手触り」

 けいおん! ヴァイオレット・エヴァーガーデン、DEATH STRANDING ほか[聖地巡礼]論 [24 - 37] 古戸圭一朗 「不可視の境界をともにすること フィクションを旅する」

 中二病でも恋がしたい!

 

A side 2 【デッド・レターと郵便配達】  

 subject. ヴァイオレット・エヴァーガーデン

[38 - 49] みら 「 「匿名希望の手紙」 」    

 ヴァイオレット・エヴァーガーデンほか論  

[50 - 57 ] tacker10 「スクラップ・アンド・ビルド 「廃墟」たる「漫画映画」との偏差から考える種々の表現」    

 [アニメ/アニメーション]論   

[58 - 61 ] yono 「 『外伝』という「贈り物」 」    

 ヴァイオレット・エヴァーガーデン

 

A side 3 【私信 京都アニメーションが生み出したもの/生み出し続けるもの】

 

[62 - 71 ] すぱんくtheはにー 「 『私は京都アニメーションが嫌いだ』 付 解題 」

 [京都アニメーション] + [視聴者倫理] 論] 

 →編者解題「語られたことと語られなかったことから」 

[72 - 77 ] Barde 「瞳の中」    

 [小説]  

[78 - 91 ] フクロウ 「フィクションと現実のパラレリズム それを理解してしまったら、そのようにせざるを得ませんね」    

 [京都アニメーション] + [刑罰] 論

 

B side 3 【アニクリ・アーカイブ vol.4.6 「死/廃墟から透かした2019劇場アニメ」 】  subject. ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝

[96 - 129 ] (再録)アニクリvol.4.6

・すぱんくtheはにー 「 『だから私はエンドロールに手を合わせた』 」 & 「応答未満の自己言及」    

・tacker10 コメント 「それは、さながら献花の如く」 & 「あらためて修辞的運動の岸辺に立ってみて」    

・橡の花 コメント [無題]   

・フクロウ 「名前と媒介性 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 永遠と自動手記人形』評註」   

・あんすこむたん 「未来を示す郵便配達人 テイラーはなぜ自分の手紙を渡すために茂みから出てこないのか」    

・竹内未生 コメント 「過去と未来の郵便配達人」   

・yono 「 「その後」にどう描くかということ」 

[130 -141] unuboreda 「身勝手な愛を開く言葉 複層化する時間と間コマ/ショット性」

 ヴァイオレット・エヴァーガーデン

→ 付:tacker10コメント「手紙として受け渡されていくために必要なこと」

[142-145] みら 「アニクリ vol.4.6への手紙」    

 [アニメ/映像批評] 論

 

B side 2 【京アニのひと/キャラクター、その実存】

 subject. バジャのスタジオ、ハルヒらき☆すたかんなぎ、Wake Up Girls!、CLANNAD中二病でも恋がしたい! ほか 論

 

[148 -149] あんすこむたん 「 「境界」の〈彼方〉 過去と未来を巡る物語」

 境界の彼方

[150 - 157] サカウヱ 「 「あの人」は今 『ハルヒ』『らき☆すた』、そしてオタクを考える」

 山本寛作品(ハルヒらき☆すたかんなぎ、Wake Up Girls!)ほか論  

→ 付:古戸圭一朗コメント [無題]

[158 - 169] 北出栞 「京アニ作品にとってキャラクターとは何か インターフェイスからメディウムへ、アクターそしてキャラクターそのものへ」

 CLANNADけいおん! 中二病でも恋がしたい! ヴァイオレット・エヴァーガーデン

[ 170 - 171] あんすこむたん 「アニメーションという魔法 バジャのスタジオのメッセージ」

 バジャのスタジオ 論

 

B side 1 【特別収録】京都アニメーション作品履歴2002-2019

 

[巻 末 ] PRANK!チーム(羽海野渉、なーる、ウインド、永井光暁(アレ★Club)、小菊菜、LandScape Plus PRANK!編集チーム)

 京都アニメーション作品履歴2002-2019

 

以上です。コメンテーターの表記が一部抜けておりまして、こちら大変失礼しました。(tacker10さん、古戸さんご迷惑おかけいたしました。)

 

 

本文は以下のような感じです。安原まひろさんの冒頭カラー+白黒頁のイメージです。

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当日は、これまでの京アニ関連本(2018/08 - 2019/08発刊)と、基本は会場でしか頒布できない「SSSS.GRIDMAN」表紙のバグ号(2019/08発刊)残部も持っていきます。

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以上どうぞよろしくお願いいたします。(2019.12.28更新)

 

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下記のとおり、掲題のアニクリvol.10を作成いたします。是非みなさまご寄稿のほどどうぞよろしくお願いいたします。

なお、制作協力(グロス請け)でPRANK! 制作チームのみなさんに協力いただけることとなりました。紙面充実にご協力くださるチームの方も、是非ご参集くださいましたら幸いです。

 

 

1、vol.10 検討・寄稿募集作品(例)

 

(1)TVアニメ

フルメタル・パニック? ふもっふ

AIR
フルメタル・パニック! The Second Raid
涼宮ハルヒの憂鬱
Kanon
らき☆すた
角川コミックス・エース
CLANNAD
CLANNAD 〜AFTER STORY〜
木上益治
涼宮ハルヒの憂鬱(2009年版)
角川スニーカー文庫
山田尚子
けいおん!!
日常
氷菓
中二病でも恋がしたい!
たまこまーけっと
Free!
境界の彼方
中二病でも恋がしたい!戀
Free!-Eternal Summer-
甘城ブリリアントパーク
響け! ユーフォニアム
無彩限のファントム・ワールド
響け! ユーフォニアム2
小林さんちのメイドラゴン
ヴァイオレット・エヴァーガーデン
Free! -Dive to the Future-
ツルネ -風舞高校弓道部-

 

(2)劇場アニメ・OVA

MUNTO

天上人とアクト人最後の戦い
涼宮ハルヒの消失
映画けいおん!
"小鳥遊六花・改
〜劇場版 中二病でも恋がしたい!〜"
たまこラブストーリー
"劇場版 境界の彼方
-I’LL BE HERE- 過去篇"
"劇場版 境界の彼方
-I’LL BE HERE- 未来篇"
"映画 ハイ☆スピード!
-Free! Starting Days-"
"劇場版 響け!ユーフォニアム
〜北宇治高校吹奏楽部へようこそ〜"
映画 聲の形
"劇場版 Free! -Timeless Medley-
絆"
"劇場版 Free! -Timeless Medley-
約束"
"劇場版 響け!ユーフォニアム
〜届けたいメロディ〜"
特別版 Free!-Take Your Marks-
"映画 中二病でも恋がしたい!
-Take On Me-"
リズと青い鳥
"劇場版 響け!ユーフォニアム
〜誓いのフィナーレ〜"
劇場版 Free!-Road to the World-夢
"ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝
-永遠と自動手記人形-"
Free!完全新作劇場版
劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン

etc etc..

(* 例示は対象作品を限定する趣旨ではありませんので、「これ入れろ」というのがございましたらリプライやメールなどください。なんなら特にリプなどなくとも送りつけてください。)

 

 

2、寄稿募集要項

 

(1)装丁・発刊時期:

 オフセット印刷、A5、100頁程度で企画しています。

 発刊時期は、2019/12/31、冬コミC97です。

 

(2)募集原稿様式

a. 文字数:

 ①論評・批評 : 1600字程度から20000字程度まで。

 ②作品紹介・コラム:300字程度から1600字程度まで。

 ③掌編小説  : 2400字以内

 

b. 形式

 .txt または .doc

 

c. 締め切り

①第一稿:2019/11/17(日)

(※ 第一稿に、自身で納得いかない場合には、ドラフトまたは納得いかない点を送付くださいましたら一緒に考えられますので、よろしくお願いいたします。)

②最終稿:2019/12/8(日)

③相互コメントやりとり期間:2019/12/9(月)-2019/12/15(日)

(※ いずれも個別に連絡いただけましたら延長することは可能ですが、大幅な延長につきましては相当の期間前に相談くださいましたら幸いです。)

 

d. 送り先

 anime_critique@yahoo.co.jp

 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。

 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。

 

(3)進呈

寄稿いただいた方には、本誌2冊を進呈させていただきます。

 

 

3、発刊趣旨にかえて

 

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(全面的な救いではないにしても)一つの救いなしにはこの告知はなかった。数日前、事件によって傷害を負った方の全てが回復の途上にあることが告げられたニュースなくしては、この告知はなかった。

 

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今冬に向け、アニクリ10号「特集 総記:京都アニメーション」(仮)(通算20号)を発刊する。

当たり前だが、京都アニメーションは過去ではない。本号以後も(あるいはこれに先立つ9号シリーズも含め)、10号シリーズについては続刊を予定している。よって全てを今取りまとめる必要はなく、またそうするべきでもおそらくない。事件の渦中のいまにおいて、名状しがたい想念を数多抱える方々に、ぜひご参加いただければ幸甚である。

とは言え、2019年のいま、京都アニメーションについて取りまとめるというのは極めて難しい。事実関係が不明な点が数多くあるのみならず、一つ言葉を出せば、一つ以上の異論と観点とが即時に提示される状況にあることもその一つではある。あまりにも重い文脈とあまりにも多くの代表させられるものが、そこには憑き纏っている。

ある人は被害者の側から事件に迫り(あるいは寄り添い)、ある人は加害者の側から事件に迫り(あるいは寄り添い)、ある人は視聴者=ファンの側から事件に迫り(あるいは寄り添い)、ある人は事件と似た作品との連関から事件に迫り、そして、ある人は「業界」から、あるいは「オタク」から、あるいは「安全管理」から、あるいは(時代の)「狂気」から事件に迫ろうとするかもしれない。あるものは共苦であり、あるものは野次馬根性であり、またあるものは妄想でもあるだろう。

これらのうち、どれが正しいというわけではないし(どれもその人ごとの距離を示している)、「正しさ」を決める権限の所在が制度的に決せられているわけでもない。ましてやアニメ批評においてはなおの事である。(この2010年代においてアニメ批評(およびそれを代表するものたち)なるものが確固として存在しているなど、編者には信じがたいことのように思われる。)
しかし、もしも(ある種のアイロニーを抱えながらでしか存立し得ない)アニメ批評の場がこの事件を経てもなお生き延びるとするならば、次号で取りまとめたいのは、こうした諸々の観点が競合することで形作られる言論状況と時代認識にある。(集団の、あるいは時代の)「代表」という臆見の外にある烏合の集団の呟きと分析の集積の一端を、少なくとも次号では掬い取りたいと考えている。

 

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そこで次号は、

①総論において、京都アニメーション作品についての通史的な概観を得る(それによって想起のための足がかりとする)ための論考を募集することに加え、

②各論においては、京都アニメーションが携わった各作品における「名」に関しての論考を募集したいと考える。京都アニメーションという名(それに伴う歴史)、スタッフの名(その公表基準)、ジャンルの名(その恣意性)、作品の名(その入れ子性)、キャラクターの名(その固有性)等々)

あるものをそれとして名指すこと。そこにはプライベートなものをめぐる闘争があり、名付ける(画定する)ことに伴う暴力がある。一方で、名無しには存在しないコミュニケーションの連鎖への希望があり、名付けることができないままに忘却の穴へと沈む事物たちへ向けられる絶望がある。

全く不明瞭な言い回しであることは自覚しているが、事件後に編者の頭を悩ませているのはこれらの点であり、寄稿者の方々とのやりとりの中で、この点についてともに考えていただければと思ってやまない。

 

---

例えば、劇場アニメ作品『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝』もまた名の話から始まる。「僕の名前はイザベラ・ヨーク、ここは僕の牢獄だ」。この言葉に始まり、作中では(最愛のその人から)呼ばれることのない「魔法の言葉」につながる物語のことである。

(1)一つには、本作は偽名から始まる物語であることを思い出す。言及するまでもないが、イザベラの真の名は「エミリー」である。しかし、政略婚の道具に使われた「イザベラ」の名が完全に偽名というわけではない。というのも、イザベラにとって、本当の名と偽名とが対峙しているわけではないのだから。イザベラは、「イザベラ」の名を(愛するものの生活保障との)衡量の下で自ら受け入れてしまった(そして受け入れてしまった決断=暴力が政略婚を図ったものたちと同種のものであることにこそ絶望しているのだ)し、イザベラを構成する「一つ」の歴史=制度を選ぶことで、綽名たる「エイミー」のもつ愛する者(テイラー)との歴史=物語を守ったのだから。それゆえに、「イザベラ/エイミー」という名は、自他の認識(齟齬)と、自他の暴力の記憶(齟齬)をまたぎ、錯綜する争点をなすことになる。

(2)いまひとつには、本作において、その名が常に遅延していることを思い出す。「エイミー」という名は、早々に視聴者に開示されるにもかかわらず、それが到達することは「決して」ない。テイラーからの手紙が、城から抜け出た湖畔のイザベラに届いてなおそうである。テイラーは容易にイザベラに会えるにもかかわらず茂みを出ることはないし、イザベラもまた、テイラーの所在について問いただすことはない。編者はここに、手紙というメディア、より広範には、時差を伴って名を届けることに主眼があるメディアの特質に思いを馳せることになる。「イザベラ/エイミー」という二重の名を持つ者から手向けられた「魔法の言葉」=「もう呼ばれることのない名」=「(愛していたから)捨てた名」の含意について、その「魔法の言葉」が未来の希望をなす所以について、思いを馳せることになる。

この読解がもたらす、現実の名を持つスタッフたちの名への敬譲とともに。

 

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本号の売り上げは、前号vol.3.5「アニメにおける音楽」号と同じく、全て京都アニメーションに寄付することとさせていただくこと、お許しいただけたら幸いである。

 

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名を除いた全て=全て救われた名 tout sauf le nom 

  

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一つの名が与えられるとき、そこでは一体何が起こっているのか? そして、そのとき人が与えているものとは、一体何だろうか?
 人は、一つのものを送るのではない。人は実際にはなにものをも引渡しはしない。しかし、そこにおいて、何事かが生起する。何ごとかが、人が現に保有していないものを与えにやってくる。かつてプロティノスが「善」について述べたように。
 結局、綽名で呼ぶことが必要とされる時には、何が起こっているのか? 端的に言えば、名が欠けていることが明るみに出る場所において、再び名付けねばならないとき、一体そこでは何が起こっているのか?
 一体、何が固有の名を、綽名の一種へと変えてしまうのか? 何が固有の名を、筆名(偽名=ペンネーム)に、また匿名(秘密の名)に、変えてしまうのか? 何が固有の名を、 どうしたってその瞬間においては特異であり、翻訳不可能なままに留まるものものに、変えてしまうというのか?
...
 3書を隔てているものの一切にも関わらず、『パッション』『名を救う=名を除いて』『コーラ』の3書は互いに呼応しており、一つの地形の輪郭をなすことによって、互いが互いを照らし出しているようにみえる。
 3書のタイトルが揺れ動く、その構文上の布置において、読者は「あたえられた名についてのエッセイ」を読み取ることができるかもしれない。言い換えれば、無名や換喩、古名や匿名(秘密の名)、筆名が与えられるときに、一体何が起こるのかを、読み取ることができるかもしれない。それゆえ、名が受け取られるときに一体何がおこるのか、義務を負った名に一体何がおこるのかをも。
 言い換えれば、人が名に負っているもの、名という名に負っているもの、それゆえ、綽名に、義務(=与え、受け取るもの)の名に負っているものと同様に、犠牲に供さなくてはならず、与えなくてはならないものとは、一体何なのかを、読み取ることができるかもしれない。

ジャック・デリダ「読者への栞」

 

以上

寄稿募集:アニクリ 2019秋号(コピー本)vol.4.6「 “死” / “廃墟”から透かした2019劇場アニメ」事後報告+PDF配布

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お品書きです。(2019.11.23)

 

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新刊本編はカット袋状のものに穴あきのシートが封入されています。

(2019.11.24)

 

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紙版を購入できなかった方のために、アニクリvol.6.6「続・終物語」の時の鏡箱/横スクロール筒の時と同様にネットプリントで配布しようと思ったのですが、容量的にup失敗しましたため、下記の通り5年ぶりにnoteを立ち上げましたため、そちら経由にて配布させていただきます。一個100円です。

①アニクリvol.4.6_A ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝+ガルパン最終章

https://note.com/nag_nay/n/n02e86939a0af

②アニクリvol.4.6_B 天気の子+空青

https://note.com/nag_nay/n/n29a9e8d7c0b8

 

なお、紙版をご購入の方は対面伝書様にてDL可能(なはず)です。

※ PDFが欲しいがシリアルNoがないぞ...という人は個別にご連絡ください。( @anime_critique まで)

 

(2019.11.25)

 

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京アニの事件の後で、何を作ればいいのか(一つの同人誌というフォーマット上で何か面白いことをやるだけではなく、事件を別の形で思考するためにいかなる契機となるか)をあれこれ考えて、にえきらないままに当日になってしまいましたが、以下、編集として考えていたことを備忘的に記しておきます。

 (2019.11.23)

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(1) 穴について

 

パンチでくり抜かれた穴(傷)は、まずもって暴力そのものの痕跡であり、失われてしまった特定の部分の欠如であり、欠如がなにかを指し示してくれないという意味で「忘却の穴」でもある。

それは突如として噴出し、日常を途絶させ、日常に入り込み、不可逆的に日常とそれをとりまく環境を別の形に変えてしまうかもしれない。大規模テロであれ、もっとも個人的な事件であれ、このような一同人誌の紙面に穿たれた穴であれ、大なり小なりそうであるように。確かにこうは言えるし、その暴力のことは念頭に浮かびやすい。原理的に、歴史が1つで不可逆なのであれば、いかなるものについてもこの語りは適用できるからだ。

しかし、そういった被害の大きさやその回復不能性・計測不能性を言い募る語り口は、穴についての語りを、プログラム通りのもの、固定されたものにしてしまう。たしかに穴は穿たれたのであり、その穴は回復不能であり、計測すら不能かもしれない。被害を受けた側からすれば、生きている限り無限にこの欠如に向き合わねばならず、あるいは、まだ生きていないものにとってすら、この欠如の歴史そのものは継承されねばならない、とさえ考えられるかもしれない。

(ここで編者はデリダの「許し得ないもの」についての語りと歴史的災禍そのものの「傷つける真理」のことを、そしてすぱんくtheはにー氏の『宝石の国』論と氏をその後に襲った出来事のことを思い出す。もちろん関連して京アニ関連号とバグ号のことを思い出す。)

穴において何が見えないのか、穴を埋めようという試み(その欲望)が覆い隠すものは何か、穴を通して浮かび上がる意味(固有名/数)と非意味(必然としての意味を暴力的に付与されてしまう偶然)との間の間隙に宿るものは何か。

それが本号の問いであり、装丁の形式を定める指針である。

 

(2) 装丁について

あくまでも編集はということだけれど、今回の号では京アニの事件と「躓きの石(Stolperstein)」について考えることとなった。死者の名を一人一人刻み、過去への責任と未来への責任を引き受けんとする、あの真鍮板のことだ。

京アニの事件による36名の名前が仮に明らかになったとして、その名の取り扱いは尚も問題になる。作品との紐付けが必ずしもうまくいくわけではないのに、その名はクレジット(エンドロール)とともに「永遠」になるように思えてしまうからだ。(もちろん全くそうではないにもかかわらず)

36名の名前は、京アニ作品に触れてきたファン個人個人にとってももちろん重要である(マスメディアが喧伝し、見出してしまうような「社会的な意義」どうこうではなく)。作画から名へと遡行する鑑識眼が1つのアニメ語りの型をなしている。ように。しかし同時に、アニメという媒体が名と距離をおいてきたこともまた別の意義を有するのに...と、そのようにも思われるのだ。

指標としての名はもちろん本人そのものではないし、本人の筆致そのものを示すものでもない。しいてあげれば作品という(未完の)プロジェクト、あるいはキャラクターという(未完の)プロジェクト、あるいは...等々の名でしかない。

それにもかかわらず、死をめぐる事件は、個人に紐づけられた名を特権化してしまうし、名に対する欲望を喚起してしまう。死は(あるいは時間は、あるいは「経路」は)不用意に固有名を迫り上がらせてしまうというわけだ。

こうした逡巡は、指標にすぎない名に拘泥することの誤りばかりではなく、事件後に名が象徴的なものとなること、あるいは事件を思い起こすための触媒に落とされること、名が(歴史的に見て)必然的な意味を具備させられてしまうことの問題を惹起する。

 

そこで、名に触れないことによって作品に触れる、名に触れないことによってその人(が触れたことに)触れる...そのような触覚のことを、本誌では再現しようと試みた。単なる追悼でも、36の「石」を(一同人誌の誌面上に)並べるのでもないようなそれを...。

自ずから冊子の形態もそれに合わせて、冊子を広げて、捲って、覗き込んだならば、「穴」にすら落ち込めなかったものへと触れられるような誌面を目指すこととなった。つまりは、記念碑的に名前を与えられることによってむしろ損なわれてしまうようなものを拾い上げようとした。

①一つは印刷上で可能な穴と透過性を、②もう一つは物理で再現可能な穴をそれぞれ配置することとなった。具体的にはStolpersteinにならい、正方形の穴を物理的に誌面にはあけてある。他、文章の随所に文章を避ける(不可読的)黒「石」や、文章にまたがる(可読的)黒「石」を配置している。さらに、文章に被る半透明の「石」や、黒石を覆う白「石」を配置している。執筆者を示すのも石であるし、引用もまた正方形の「石」を浮かび上がらせる形状をもって表示している。

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同じ穴を塞ぐ石でも機能は様々である。例えば、奥を見通せてしまう(かに思える)その穴が、まさに見ることを通過させられてしまう不可視のモノを思い起こすために使われることもあるのだから。

さらには、穴はこうして意味によって埋められる穴ばかりではない。原理的に埋められない穴もあれば、埋めようとする営みによって連帯することに本体がある...そう言う穴もある(死者や秘密のことをここで思い出してもよい)。本誌で再現したのはその一部ではあるが、それに尽きるものではない。

本誌で再現したのは、①穴の性質(表現(色)の差異、物理の穴...)がもたらす差異であり、②その性質が穴の解釈に与える影響(言葉が乗るか、言葉を阻害するか)であり、③その解釈が意味を生み出す循環を受け入れるか否かという立場の差異である。

この着想はいくつかの著作に依拠している。一つは、
LINDA RADZIK, Historical Memory as Forward- and Backward-Looking Collective Responsibility(2014)
であり、いま一つは、
東浩紀の「ソルジェニーツィン試論」(1993)および「悪の愚かさについて、あるいは収容所と団地の問題」(2019)である。

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(3) 配布方式について

とはいえ、以上の趣旨を一同人誌のフォーマット上で仮に表現しえたとして、それはよくできた現在の記録に留まるのではないか。あくまでも自由な批評・評論の集積であることを旨とする本誌においてはそれでも問題ないようにも思われるが、同時に、いまなお進行中の事件に対峙する姿勢として「よくできた同人フォーマット」として頒布することに躊躇を覚える。

従って、荒削りなフォーマットではあるものの、読者には「制作進行」の役回り、あるいは「郵便配達人」or「代筆屋」の役回りを負っていただくのがよいと考えた。封筒に模した装丁にはその趣旨が込められている。お手に取っていただいた各人は、回収したシートに対して、死と廃墟について思いを馳せながら、自らの行程を辿り、考案し、追加することができる。反対に、積ん読にしてしまうと、おそらくページはバラバラになり、文章相互の連関をたどるのは、作画オタク的な努力なしには難しくなってしまうだろう。(それが嫌な場合にはホチキスで仮止めすることができる。)物理的損耗や散逸のリスクに対する緊張感とともに、シートを預かる役回りとともに、事件へ向かう1つの足がかりになれば幸いである。

 

手紙は必ずしも宛先に瑕疵なく届くわけではないし、変形されずに透明なコミュニケーションの道具に止まるわけでもない。衝撃によって物理的に穴もあくし、宛先不明となって歴史の穴に落ちるかもしれない。しかし、読者諸氏にはその手前で、この手紙類似の紙束に、例えば加筆し、例えば加工を加え、例えばあいだに自筆の備忘録を挿入することで、私家版アニクリを各人で作り出すことができる。手紙はその意味で「あなたの」宛先に送ることができる。

いまなお続く京アニの事件、これからもなお続く京アニの未来、そしてそれを受け取る視聴者-読者-寄稿者たち。それらの間にある転送プロセス、その連鎖を支えるプロセスに参与していただくことが、心ならずも不遇の歴史の経路を辿った京アニの喪に服し続けることであり、一回限りの喪で終わるのではなく、それに失敗しながら続けることなのではないかと考える。

 

願わくは、まずは本誌に開いたいくつもの穴にいくつもの解釈を張り巡らせていただきたい。その上で、その解釈に付随する欲望とその限界を可視化するための契機となれば幸いである。

 

(2019.11.23)

 

 

 

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夏コミお疲れ様でした。

 

さて、本年初頭から刊行についてtwitter上で示唆しておりました『アニクリvol.4s「アニメートされる〈屍体〉/葬送の倫理」』(2020.初春〜春)の刊行に先立ち、東京文フリ(2019/11/24)にて、

コピー本:『アニクリ 2019秋号vol.4.6「 “死” / “廃墟”から透かした2019劇場アニメ」』 

を発刊させていただきます。

 

[到着原稿リスト]

1.ヴァイオレット・エヴァーガーデン

・あんすこむたん「未来を示す郵便配達人 テイラーはなぜ自分の手紙を渡すために茂みから出てこないのか」

 →竹内未生コメント「過去と未来の郵便配達人」

・フクロウ「名前と媒介性」

2.天気の子論

・めんみ「自身を葬る 三つの「自然」の毀し方」

・猫鍋奨励会新海誠作品における廃墟の表象」

高橋秀明「せめて、よい夢を 代々木会館から考える『天気の子』論」

・フクロウ「令和元年日本のマニフェスト

・古戸圭一朗「重力への抵抗 "狂った世界"で生きるということ」

 →ねりま コメント

3.空の青さを知る人よ論

・フクロウ「昆布をアプリオリに優先すること」

・コラム「駆け寄られるべきは写真であってギターではない、それはなぜか?」

・コラム「あいよりあおい 空耳と時間」

・コラム「伝聞法則とその外 先回りするノイズ」

・コラム「誤差に向かって走る 大人びた子供たち」

・コラム「田舎の錆とルーティンと 頬に手を当てる仕草から」

4.[   ]

・すぱんくtheはにー「だから私はエンドロールに手を合わせた」

→ tacker10コメント「それはさながら献花のごとく」

 →answer「応答未満の自己言及、あるいは"最低"」

→橡の花コメント「 」

5.ガルパン最終章

・yono「「その後」にどう描くかということ」

6. HELLO WORLD

 ・コラム「幸せになること しかし、誰が?」

 

 

従来からvol.4sの告知はしておりましたため、すでに準備をいただいている方もいらっしゃるところと存じますが、vol.4sの作成・編纂には十分な準備を設けたく、掲題のテーマに紐づける形で2019年劇場アニメを俯瞰する号を作成したいと思います。

もちろん、vol4sで書くだろうテーマを先取りしつつ、2019劇場アニメ作品へと適用したり、比較したりする論考も大変嬉しいです。(来たるvol.4sにおける論の発展を期しつつ、編集部とのやりとりの時間を二重に確保することが見込めるため。)

※ なお、主としてアニクリ編集部の体制整備の観点から、アニクリvol.4sは2020の初春〜春にかけてのイベントにて、頒布を予定しています

 

もちろん、作品論を募集する趣旨ですので、2019年劇場アニメ作品が「死」を直接に描くものであるという解釈を取っているという趣旨ではありません。もっぱら現在の編者の関心を反映したものであり、少なくともいくつかの劇場作品の主題・演出・描写・技術に「死」という語から紐解くことで得られる視点があるのではないか、という着想のもとでの寄稿募集となります。

 

よって、コピー本のvol.4.6では寄稿者各位のテーマ設定は(もちろん各作品の主題/描写・技法等々に依存するため)任意ですので、「死」あるいは「廃墟」(あるいはそれを象徴する演出上の「水」の用い方や、3DCG・背景美術等に関する技術的側面からの検討などなど)についての見解を論考中のどこかで明示しつつ、選定作品を自由に評していただけましたら幸いです。

 

 

1、vol.4.6 検討・寄稿募集作品(例)

 

・空の青さを知る人よ
HELLO WORLD
ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -
二ノ国
・天気の子

・劇場版 Free!-Road to the World-夢
センコロール コネクト
薄暮
・きみと、波にのれたら
ガールズ&パンツァー 最終章
・プロメア
・LUPIN THE IIIRD 峰不二子の嘘
・劇場版 えいがのおそ松さん
Fate/stay night [Heaven's Feel]」
メイドインアビス(旅立ちの夜明け/放浪する黄昏)

etc etc..

(* 例示は対象作品を限定する趣旨ではありませんので、「これ入れろ」というのがございましたらリプライやメールなどください。なんなら特にリプなどなくとも送りつけてください。)

 

 

2、寄稿募集要項

 

(1)装丁・発刊時期:

 各々、オフセット印刷、A5、80頁程度で企画しています。

 発刊時期は、2019/11/24、文学フリマ東京です。

 是非お気軽にご参加ください。

 

(2)募集原稿様式

a. 文字数:

 ①論評・批評 : 2000字程度から15000字程度まで。

 ②作品紹介・コラム:300字程度から1000字程度まで。

 

b. 形式

 .txt または .doc

 (英数記号は原則として大文字にて。二桁の数字の場合のみ小文字推奨。)

 

c. 締め切り

①第一稿:2019/9/29(日) *『Hello World』『空の青さを知る人よ』のみ10/26(土)

(※ 第一稿に、自身で納得いかない場合には、ドラフトまたは納得いかない点を送付くださいましたら一緒に考えられますので、よろしくお願いいたします。)

② *9/29にドラフトor草案を送付した方の第一稿〆切:2019/10/13(日))

③最終稿:2019/10/27(日)

④相互コメントやりとり期間:2019/10/28(月)-2019/11/17(日)

(※ いずれも個別に連絡いただけましたら延長することは可能ですが、大幅な延長につきましては相当の期間前に相談くださいましたら幸いです。)

 

d. 送り先

 anime_critique@yahoo.co.jp

 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。

 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。

 

(3)進呈

寄稿いただいた方には、本誌2冊を進呈させていただきます。

 

 

以上

寄稿募集:C96新刊③「アニクリvol.8.1 海獣の子供」レビュー本 寄稿募集について #C96

 

1、検討・寄稿募集作品:

 

アニメーション映画『海獣の子供』についてのレビューを募集します。

 

編者もまた本作をみてあっけにとられた者の一人ですが、この作品の(翻案の、映像の、運動の、音楽の)良悪、巧拙を語ることで、直ちに、発言者自身がアニメ/アニメーション作品に何を求めているのかをさらけ出してしまう/出させられてしまう...そんな作品であると考えています。(編者のこのコメントも、つぶやきも同様)

そんな作品のどこに着目して、何を語りうるか、皆さんのご参加をお待ちしています。

 

※なお、原稿集約状況によっては、コピー本からオフセット本への移行・統合もあります。ご協力のほど、何卒よろしくお願いいたします。

 

 

 

2、寄稿募集要項

 

(1)装丁・発刊時期:

 各々、オフセット印刷A5100頁程度で企画しています。

 発刊時期は、2019/08/12C96コミックマーケット(日曜日 西け31b)です。

 是非お気軽にご参加ください。

 

(2)募集原稿様式

a. 文字数:

 ①論評・批評 : 2000字程度から10000字程度まで。

 ②作品紹介・コラム:300字程度から1000字程度まで。

b. 形式

 .txt または .doc

c. 締め切り

 最終稿:2019/07/28(日)

 (※ 7月中旬にドラフト段階のものでもいただいてやりとりできましたら幸いです)

 (※ 個別に連絡いただけましたら延長することは可能です)

d. 送り先

 anime_critique@yahoo.co.jp

 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。

 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。

(3)進呈

寄稿いただいた方には、新刊3種(音楽号・バグ号・海獣の子供号)の中から一冊を進呈させていただきます。

 

以上

【訂正表追加】アニクリvol.7s_特集〈アニメにおけるバグの表象〉発刊 #C96

www.dropbox.com

 

先日は夏コミお疲れ様でした。編集Nagです。

二冊刊行に加えて諸々の時期が重なった結果、いくつか本文に入れられなかったり、ミスが残ってしまったものがありました。この場をお借りしましてお詫び申し上げます。

当日までに見つかったものにつきましては、別紙として印刷→特装版のクリアファイル(地味)に訂正版を挟みつつ、「これからもバグが見つかったら(ないほうがいいのだけど)さしこんでいってね」というお話をしていたのですが、当日も早々に売り切れてしまい、その後お渡しする機会を逸しておりましたため、本文差し替え版をここに公開するとともに、訂正表を下記に掲げます。

 

www.dropbox.com

 

 

アニクリ vol.7s & vol.3.5  追加ファイル+正誤表

 

1、01_05_てらまっと+藍嘉比沙耶稿

 藍嘉比沙耶さんの自己紹介文が時間的に入れられなかったため、夏コミ当日配布。

 ※ てらまっと稿本文には訂正箇所なし

 

2、8_17_安原まひろ稿+竹内未生コメント

 竹内さんからのコメントが時間的に入れられなかったため、夏コミ当日配布。

 ※ 安原まひろ稿本文には訂正箇所なし

 

3、26_39_竹内未生稿

 図1−3等ハイフンが入っている箇所について、4箇所、「図3」等ハイフン抜きの表記とすべき箇所が残っていたため、20190826修正。

 ※p.29下:8-11行

  • (誤)実際の作中においては、図1-3のカットからカメラが左方向に急速に進むことで図1-1→図1-2の描写になる。このとき図1-3の緑の物体と...
  • (正)実際の作中においては、図3のカットからカメラが左方向に急速に進むことで図1→図2の描写になる。このとき図3の緑の物体と...

 ※p.29下:17-21行

  • (誤)このように図1-3の物体と図1-2の物体の同一性が理解されることは、それぞれの物体の特徴を結びつけて理解することを可能にする。つまり、図1-3で描かれる物体が、元々半球体なのではなく、...
  • (正)このように図3の物体と図1-2の物体の同一性が理解されることは、それぞれの物体の特徴を結びつけて理解することを可能にする。つまり、図3で描かれる物体が、元々半球体なのではなく、...

 ※p.30上:1-3行

  • (誤)ところで、図1-3で描かれる、まな板のうえに素材を置き、包丁によって一定間隔で切ってゆくというやり方は、「千切り」といわれる切り方を連想するだろう。
  • (正)ところで、図3で描かれる、まな板のうえに素材を置き、包丁によって一定間隔で切ってゆくというやり方は、「千切り」といわれる切り方を連想するだろう。

 ※p.30上:11-15行

  • (誤)このように緑色の物体が「野菜」として理解されることは、「野菜」の切り方として「千切り」は自然であることから、図3の活動が「千切り」であることを確証するだろう。つまり、緑色の物体が「野菜」であることと、図1-3の活動が「千切り」であることは、お互いに支えあうような推論なのである。
  • (正)このように緑色の物体が「野菜」として理解されることは、「野菜」の切り方として「千切り」は自然であることから、図3の活動が「千切り」であることを確証するだろう。つまり、緑色の物体が「野菜」であることと、図3の活動が「千切り」であることは、お互いに支えあうような推論なのである。

 

4、86_97_みら稿

 本文の図表の色彩が暗く図の読み取りに困難をきたすためカラー版と差し替え。期間限定公開のものと同。

 

5、98_100_田中大裕_講演記録

 当日までの編者のミスにより主催者への確認ができなかったため、改めて確認を受けて夏コミ当日配布。

 

6、110_123_あにもにのコピー

 フクロウさんからのコメントが時間的に入れられなかったため、夏コミ当日配布。

 ※あにもに稿本文に訂正箇所なし。

 

7、vol.3.5_16_37_難波優輝

 バグ号ではないものの、音楽号の方で編者と著者の間での図の受け渡し時にミスが発生し、図3が誤って図4と同一のものとなっている(※確認すればわかるが、若干似ているものの異なる。)ため、期間限定公開時に下図に差し替え。

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------以下寄稿募集時

 

 

 

溝口力丸 on Twitter: "アレクサ、全部消して
Hey Siri、あの子を止めて"

https://twitter.com/YahooNewsTopics/status/1134037049525149696

 

早乙女まぶた on Twitter: "バラバラにされた鳩羽つぐを修復しているがどんなに頑張ってもうまくいかなくて絶望的な気持ちで切断面をテープで繋ぎ合わせている(肩に腕、首に頭、それは分かっているのに、うまくいかないのだ)"

 

 

 [表紙: 進捗]

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「ミラーワールドとは、現実の都市や社会や私たち自身といった物理世界の情報が全てデジタル化された〈デジタルツイン〉で構成される鏡像世界のことだ。デジタルツインについてはドイツの「インダストリー 4.0」といったスマート製造業の文脈でご存知かもしれないが、ここで双子になるのは〈世界〉そのものだこのデジタルツインの世界では、デジタル記述されていない物体は、いわばダークマターでしかない。あるいは伝説のSFアニメ電脳コイル」において、それは単純に「バグ」と呼ばれる。12年前のこの作品で監督の磯光雄は、子供たちが没入する拡張現実の空間を描き出した。その空間とリアルのズレが「電脳コイル」と呼ばれるわけだけれど、僕らはまさにこれからふたつが重なり合う世界を生きることになるだろう。」

Michiaki Matsushima 2019, Wired, 33

 

「一つの時代の黎明期は、まだ誰も「起承転結」の「起」しかしらない。それで人生を語れる人間が、まだ一人もいない。(中略)気をつけたいのは、完成度を求めるあまり、こうした「起」しかない題材に、前世紀の「承転結」をくっつけてしまいがちなこと。21世紀の物語を作りにあたって、それは何としても避けたい。」

磯光雄 2019, Wired, 33

 

「いつの日か、地図製作組合は、帝国の地図を作り上げるだろう。それは帝国の領土と全く同じ大きさで、全ての地点が一致したものだ

Jorge Luis Borges

 

「現実の風景(ランドスケープ)と情報の風景(インフォスケープ)のあいだに大きな落差が生まれ、そしてインフォスケープもまた複数に分裂し始めている」

東浩紀, 2015, 『テーマパーク化する地球』(2019)所収

 

 

1、検討・寄稿募集作品例:

 

今号では、アニメ制作段階/映像/視聴段階など諸段階における「バグ」についての検討が可能な作品、あるいは、それらバグがいかに表象されてきたかについての検討が可能な作品を広く募集したい。

また、あわせてアニメにおけるサイバースペース(電脳空間)の表象(それは時に「精神世界」と地続きのものとして描かれてきた。)についての検討が可能な作品についても、広く募集したい。

なお、全体の章構成は、以下の通りである。 

 

【章構成】

第1章 状況:「作画崩壊」 archive 2018-2019(※)

第2章 アニメにおける「バグ」の表象(下記作品例参照)

第3章 実験アニメーションの現在 archive 2019.06.08

第4章 アニメにおける「サイバースペース」の表象(下記作品例参照)

※第1章については、①てらまっと 「多層化するスーパーフラット(4.0):藍嘉比沙耶とレイヤーの理論」、②ナンバユウキ 「作画崩壊の美学」、③DIESKE 「作画崩壊の形式的な分析にむけたノート」、④tacker10 「「作画崩壊の形式的な分析にむけたノート」に関するメモ書き」を改訂・再掲する。ここから、上記既存論考へのさらなるレビュー・コメントも広く募集する。

 もちろん、これら既存論考に加えて、「作画崩壊」に関する新規論考も募集する。 

 

【募集作品例】

SSSS.GRIDMAN

ケムリクサ

きみと、波にのれたら(※前号「アニメにおける線」の続き)

・・・ 

Serial experiments lain

TEXHNOLYZE

電脳コイル

妄想代理人

攻殻機動隊

イノセンス

.hack//SIGN

新世界より

シムーン

フラクタル

ハーモニー

ブギーポップは笑わない

・・・

などなど(上記はあくまでも例示に過ぎないため、自由に作品を選定いただきたい。)

 

 

2、寄稿募集要項

 

(1)装丁・発刊時期:

 各々、オフセット印刷A5100頁程度で企画しています。

 発刊時期は、2019/08/12、C96コミックマーケット(日曜日 西け31b)です。

 是非お気軽にご参加ください。

 

(2)募集原稿様式

a. 文字数:

 ①論評・批評 : 2000字程度から15000字程度まで。

 ②作品紹介・コラム:300字程度から1200字程度まで。

b. 形式

 .txt または .doc

c. 締め切り

 最終稿:2019/07/21(日)

 (※ 7月初旬にドラフト段階のものでもいただいてやりとりできましたら幸いです)

 (※ 個別に連絡いただけましたら延長することは可能です)

d. 送り先

 anime_critique@yahoo.co.jp

 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。

 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。

(3)進呈

寄稿いただいた方には、新刊本誌を進呈(※ 進呈冊数は2を予定)させていただきます。

 

3、趣旨文:バグ号発刊にあたって

 

 

ダイクストラという人をご存じだろうか。ダイクストラは1930年オランダ生まれの計算機科学者で、 現在はテキサス大学にいる。ダイクストラは「構造化プログラミング」の提唱者であり、 現代のプログラマはこの人の名前を忘れてはいけないほど重要な人物である。その偉大なダイクストラがこんなことを述べている。「バグと呼ぶな。エラーと呼べ」 つまり、プログラマにとって非常になじみ深い「バグ」という言葉を使わないようにしろと言っているのである。「バグ」という言葉を使うかわりに「エラー」すなわち「誤り」という 言葉を使うように提案しているのである。ダイクストラの理由はこうだ。「バグ」という言い方は、あたかもプログラムの誤りがプログラマの見ていないうちに 自然に入り込んでくるような錯覚を起こしやすい。もちろん、 プログラムの誤りは自然発生するわけでもないし、プログラマがよそ見をしている間にのそのそとプログラム中に忍び込んでくるわけでもない。プログラムの誤りは、 プログラマ自身が作り込んだものなのだ。 「バグ」という言葉はこの厳しい事実を覆いかくしてしまうのである。ダイクストラはこのように主張する。(中略)

もっとも危険なバグとは、実はプログラム上の誤りではない。 もっとも危険な誤りはプログラマの意識の上の誤りである。 プログラムの誤りはいつの間にか入り込むものだという誤解こそ何よりこわいものなのである。バグはプログラムの中ではなく、プログラマの頭の中にいたのである。

結城浩, 1991330日, Oh!PC所収)

 

上記のダイクストラ発言のいわんとすること、その文脈は十分理解できる。

プログラムの誤りという意味での「バグ」というのは徹頭徹尾、人為の所産であり、後から混入した外在的なものではなく、それゆえにプログラマー責任の下にある(責任追及のための因果的起点は、まさに物理的にバグを生み出した設計者・製造者にある)、「ロボットに倫理を教えること」はできない、それに尽きる、というわけだ。

 

その文脈が必要とされた理由も、その風土も、もちろん理解できる。しかし、この文脈が限定的であることもまた十分に理解可能である。それは、何者かに責任を求める文脈を除いては、現に起こっている事態を記述するには、貧弱な道具立しか与えない。

 

例えば、人の手による制作を超えた政策について、「バグ」と「エラー」を、結果としての成果物から峻別することはほぼナンセンスである。

 

その成果物は、もとより、人間と(技術)環境が複合した所産である。

 

例えば、時を超える都市の同一性/逸脱についても、何も示しはしない。一つ以上の記述を内包する変形には、可塑的な歴史が折りたたまれる。

 

これを我々の認知の問題として検討してみる。

我々の認知能力側にあるイレギュラーなものの「レギュラー」としての認知についても、「バグ」を「エラー」へと置き換える用語法は、おおよそ何も示してはくれない。

 

私たちは、この点において、「私たちにとっての自然」を構築しつつある。錯覚であり、認識でもあるものとして。

 

制作においてもこれと並行的な取り組みは見て取れる。

 

かくして、リアルタイムの制作という理念が実現されつつあるように見える。

 

さて、今一度「バグ」に戻れば、"First actual case of bug being found."の逸話はあまりにも有名である。そこでは「バグ」とはプログラム上のエラーそのものではなく、作動を中断させ、あるいは別方向へと逸らす現象一般(およびその原因)を指す語として流通する。バグは、責任帰属以前の、我々の認識を新たにさせる経験として、バグはそこに(そこかしこに)現れる。

 

他にも、例えばゲームにおいて、我々はむしろ、そのバグすらも理解しようとし、そのバグを前提とした上で、その限定空間における最適解を発見したりすることも、ここで思い起こせるだろう。

「I hate this game」をプレイ。画面に出る言葉をヒントに男をドアに導くがそのバリエーションが異常に豊富&柔軟‼️QRコードを読んでパスワードを得たりウィンドウを最小化しないと行けない箇所があったりゲームを鮮やかに解体して新しい見事なルールを大量に提示する大傑作🔥https://t.co/wYIkqN3vXq pic.twitter.com/6FmqtAGCto

— ソーシキ博士 (@soshikihakase) May 21, 2019

「あなたのバグはどこから?」というわけだ。そこには、近時語られる「アニメーションの原形質性」という解釈枠組みとは別の、評価枠組みが現れる。

わたくしには、ここ最近のアニメーション研究における原形質性神話の解体のようにも聞こえました。巨大な鍋と期待するハイジと無視するおんじというCM前のカットから生まれるサスペンスを指摘されてましたので。

— 長谷正人 (@mtokijirou) May 27, 2019

(内在的なエラーかそうでないか、過失か無過失か、集団か個人かも問うことなく、「イレギュラー/リスク」が顕在化した時、我々は「バグった」という言葉を頻繁に用いている。このことの含意は大きい。)

 

 

状況論的にも、デジタルツイン/IoT時代の現代においては、リアルスケープ(現実空間)とインフォスケープ(情報空間)はますます相互依存的になりつつある。それとともに、「エラー」ならざるバグの領域はますます拡張しつつある。つまりは、我々ならざる行為者の所産を、自然として引き受けよという指令として、バグの領域は拡張しつつある。

そこに、新たな自然が発生するのは、文字通り自然である。

クロノ・トリガー』や『ペルソナ5』から影響を受けたという海外産JRPG『Cris Tales』。その体験版が6月24日まで配信中!過去・現在・未来が同時に見えるようになった少女の物語を描く https://t.co/EX8mqeob9K pic.twitter.com/ajMRN7QgK0

— IGN Japan (@IGNJapan) June 12, 2019

 

そうした想像力の行く先は、例えばlain, 電脳コイルにはじまり、ケムリクサに連なる90年代-10年代の本邦アニメの中で繰り返し描かれ、洗練されてきた。時に、サイバースペースへのハッキングと同時に描かれる精神世界での「解決」は、アニメ的想像力が外部の技術環境とともに拡張しつつある自体を示している。

他方、そうしたバグをあからさまに制作に取り入れる一群の作家もいる。(例えば、現代アニメーションの礎とも言えるマクラレンに始まり、NikitaDIAKURもまた、その一人である)

 

 

人為と自然は厳密に峻別できるものではない。人(あるいは人工物)が介在したとしても、自然的所産・自然的作用の可能性は拭いされるものではない。一人の人間の中においても、または集団制作の中においても、こうした観察レベルの融和は常に働いている。ましてや責任の語法抜きには、「バグ」とそうではない「エラー」の差はごく小さなものとなるはずである。

 

以上、こうしたバグという語の持つ、人為と自然の差異、(時間的、経済的によって)限定された環境と拡張された環境の差異を踏まえて、アニメ/アニメーション(制作・映像・視聴)における「バグ」というものの混入・利用(転用)・表象にはいかなるヴァリエーションがあるのか? それが現れた作品にはいかなるものがあるのか? 我々はバグ的なものにいかなる情動を掻き立てられるのか?

 

寄稿者に検討を依頼したい点はここにある。

 

 

 

 

 

 

こうしたハッキング的なもの=バグ的なものに対して、我々はいかに向き合えば良いのか。単なる平板なものへの希求ではおそらく足りない。そこには不可避的に政治的な問題が付随する。

murashit on Twitter: "TRIPLE HがSpotifyにぎゅうぎゅうに箱詰めされている様子です… "

 

我々に見えているものは何か。ナグが排除された状態とはなにか。反対に、バグが排除されないという状況において、目の前にあるものとは何か。「見えるものと見えないもの」。その現代的な形が問われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

--------素材

音楽

現実

周防周 on Twitter: "夢見りあむは鳩羽つぐが動画をupし始めたとき感じた他のVtuberとは違った虚構と現実のズレに似ていて、入力も出力も結局は虚構なんだけど間に一つ現実が挟まっているんだよな。"

部分

ヴァーチャル・リアリティ

 projection mapping

 ヘッドアップディスプレイ

ロトスコープ

自律性

廃墟

ケムリクサ 

時間(速さ遅さ/過去未来)

批評

 

 

 

新刊「アニクリvol.3.5 特集〈アニメにおける音楽/響け!ユーフォニアム+ 号〉」 #C96

(訂正)

本誌掲載のナンバユウキさん論考中、主として編者のミスで、誤って図3が図4と同一となっておりました。

f:id:Nag_N:20190826213300p:plain

訂正版を下記にてuploadいたしますので、紙版をお持ちの方もぜひこちらで差し替えくださいましたら幸いです。

この度は大きな誤りを見逃したままの発刊となり、大変申し訳ございませんでした。著者および読者の皆様に深く陳謝いたします。

 

www.dropbox.com

 

 

アニクリ編集部Nag

 

 

 

 

1、検討・寄稿募集作品

 

2019.04の劇場版を持って映像化が完結する『響け!ユーフォニアム 誓いのフィナーレ』に合わせ、〈アニメにおける音楽〉について論じることができる近時の作品についての評論・批評・論考を募集します。

 

※ 音楽アニメ論は元より、アニメにおける個々の音楽の分析、アニメに付される音楽の種類と効果、映像に音を付することの困難と工夫などを主たる検討対象として考えています。

※ 関連するアニクリ既刊の例として、2015.08刊行『アニメにおける音』特集号を起点として、2016.11君の名は。特集号、2017.08『劇場版ガルパン特集号、2017.11『声と身体』特集号、2018.08刊行リズと青い鳥号、2018.12刊行山田尚子監督作品』号を挙げさせていただきます。

※ なお、vol.3.0は本日、2019/02/26、メロンブックスDL様にて電子書籍にて復刊しました。お待たせいたしました。


例)

 

(underconstruction)

 

 

2、寄稿募集要項


(1)装丁・発刊時期:

 各々、オフセット印刷、A5、100頁程度で企画しています。
 発刊時期は、2019/08/11、C96です。
 是非お気軽に参加ください。

 

(2)募集原稿様式

a. 文字数:
 ①論評・批評 : 2000字程度から12000字程度まで。
 ②作品紹介・コラム:300字程度から1200字程度まで。

b. 形式
 .txt または .doc

c. 締め切り(第一弾)
 最終稿:2019/07/14(日)
 (※ 6月中旬に第1稿(ドラフト段階のものでも可)いただいてやりとりできましたら幸いです)
 (※ 個別に連絡いただけましたら延長することは可能です)

d. 送り先
 anime_critique@yahoo.co.jp
 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。
 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。

(3)進呈

寄稿いただいた方には、新刊本誌を進呈(※ 進呈冊数は2を予定)させていただきます。

 

 

3、発刊趣旨

 

  • 調べとリズムは言葉に従わなければならない。(プラトン『国家』)
  • おそらく私たちはモダニズムが抱くユートピアニズム(=不在の場所への憧れ)と、ポストオダニズムが示すディストピアニズム(=不全の場所の観察)を越えて、人間とは歴史の中に生きるものとして意識的無意識的に様々な場所を想像するものであることを認めるトピアニズム(=場所に立つ自覚)へと向かうべき時である。(Olwig, K. Landscape, place, and the state of progress)

 

物理的に還元すれば、音は媒体の中の自動的な振動である。物質的、生理学的、神経学的な必要条件としての振動を疑うものはいない。

音楽を視覚化する方法も多々あり、直感的にわかりやすい一例として下記のようなものが挙げられるだろう。

vimeo.com

 

もちろん、音楽の視覚化は各種試みられているところであり、下記の黒川良一氏のもの(偶然だがちょうど編者が2012年に観に行ったもの)などもこの例に連なる。

vimeo.com

 

しかし、我々に聴かれる音/音楽を論じるにあたって、上述した還元的な定義から説明しようとする向きは、決して大きな賛同を得られるものではないだろう。

振動は我々の耳朶の奥深くの毛細胞を揺らし、聴覚神経を刺激したうえで、我々に「聴かれる」ことによって音になる。精神的加工によってであれ、聴覚環境のパターン認識によるものであれ、振動は変換されなければならない。無限音階に代表される音の錯覚(錯聴 auditory illusion)など、聞こえ(sonority)にまつわる各種の困難と工夫の上で、音の響き(peals)は聴かれることになる。

※ なお、この音/音楽に関する議論と並行的なものを、色に関するニュートン-ゲーテ間における議論に見て取ることができる。ゲーテ『色彩論』は、古典的なニュートン的なスペクトルの差として色を把握する見解に対して、情動の差として色を把握する見解を打ち出した。「白いものは暗くされ曇らされると黄色になり、黒は明るくなると青になる」。なお、ウィトゲンシュタインの色彩論もまたこの延長でなされた検討である。

 

言うまでもなくアニメに付される「音」それ自体は、映像に対して外在的である。音を「リアル」に寄せるか、効果音として場面に(説明的に)付加するか、あるいは場面と無関連な音を配置するか。これらの問いは、まずは音響監督の手にかかっているが、同時に視聴者に「聴かれる」ことによって各種の効果を発生させることが期待されている。
とりわけ、楽譜(記譜)を持った「音楽」をアニメに移し替えるにあたっては、カット割と音楽/ストーリーラインと旋律の同期/ズレの構築など、数々の段階・作業を経る必要があることは言うまでもない。これを視聴者側で(一旦バラしたりなどして)組み直すことなしには、アニメにおける音楽の効果を十全に把握することは難しいように思われる。(一例

 

※ そもそも楽譜(記譜)を音楽に移し替える場面でも、潜在的には複数の段階・作業を経る必要がある点については、様々に議論されている。

 現在、楽譜(記譜)と音楽の関係については、「楽譜は表記法の中にあって、作品を定義する」指示であり、その実行の手前にあると考えられている(ネルソン・グッドマン『芸術の言語』を参照)。記述物や線描画がそれ自体として芸術であるのに対して、音楽は、楽譜に示された指示が実行されることにより芸術になる、というわけだ。しかし他方で、こうした観念が成立したのはたかだか18世紀末と言われる(Lydia Goehr, The Imaginary Museum of Musical Works)。長らく音楽は(演劇におけるスクリプトのように)都度の演奏行為において存在する、と考えられてきたのであり、旋律は明確な音程を持つ音連鎖ではなく「歌われるもの」であった。
 能の上演において(笛で「演奏」される)「唱歌」がそうであるように、「一つ」の音楽は、絶対音/絶対的な旋律の(近似的)再現ではなく、(標準化されない)指の配置、笛ごとに異なる音孔、声として表記される音色と言う、手や声帯と一体化した身体動作として現れる。これらの点については、ティム・インゴルド『ラインズ』(2007)第1章「言語・音楽・表記法」を参照されたい。

www.youtube.com

 

 

以上を踏まえ、アニクリ次次号は〈アニメにおける音楽響け!ユーフォニアム完結記念〉を取り扱う。

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4年前に刊行した〈アニメにおける音〉の続編であり、アニメにおける個々の音楽の分析に加え、アニメに付される音楽の種類と効果、映像に音を付することの困難と工夫などを主たる検討対象とする。

 

 

※ 4年前のvol.3.0に関する内容紹介は以下

nag-nay.hatenablog.com

 

nag-nay.hatenablog.com

 

 

以上

 

 

 

記事紹介+期間限定公開:アニクリvol.6.5(本号)改めアニクリvol.6s 特集〈アニメにおける線/湯浅政明監督総特集〉」 #bunfree

アニクリ6.5(本号)改め、アニクリ6s「アニメにおける線/湯浅政明総特集号」のご紹介+期間限定公開(各章冒頭記事である難波論考、tacker10論考、DIESKE論考)です。

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発刊は2019.05.06 東京文学フリマエ-39〜40
152頁/A5版、お値段700円での頒布です。

 

さて、本誌は、本年初頭に公開した寄稿募集/企画趣旨文に応じて寄稿者計15名の協力を得て作成されました。
各論考は内容に応じて3章に配置され、各々
 1、理論編「アニメにおける線」
 2、応用編「動画における平面/光」
 3、各論編「湯浅政明森見登美彦アーカイブス2017」
に分類されています。
目次は以下のとおりです。

[目次]

0、発刊趣旨
 Nag. 総論
 「アニメを形作る線/アニメの中の線 etc.」
 http://nag-nay.hatenablog.com/entry/2019/02/24/145014

1、アニメにおける線
 1) 難波優輝 総論 [新世紀エヴァンゲリオン, かぐや様は告らせたい, ルクソーJr. 他]
 「アニメーションの美学 原形質性から多能性へ」
  commentator: tacker10, シノハラユウキ
 2) こもん 『夜明け告げるルーのうた』論
 「異形の異-形 『夜明け告げるルーのうた』における「形態」」
 3) 竹内未生 『魔法少女まどか☆マギカ』試論
 「線と表情の魔法」
  commentator: tacker10, すぱんくtheはにー
 4) すぱんくtheはにー 『ピンポンthe Animation』『 Devilman crybaby』『悪の華』論
 「悪魔の囁きに耳を貸せ 変身と叫べ、我が身体」
  commentator: 猫鍋奨励会
2、動画における平面/光
 1) tacker10 『Spider-Man: Into the Spider-Verse』論
 「平面の/複数の/混淆の可能性」
  commentator: すぱんくtheはにー
 2) unuboreda 『Spider-Man: Into the Spider-Verse』論
 「シュミラークルのアウラ
 3) 猫鍋奨励会 『夜明け告げるルーのうた』論
 「水面に揺蕩うものたちへ」
3、湯浅政明森見登美彦アーカイブス2017
  Column: 今村広樹 a.k.a. yono & Nag.
 1) フクロウ 『ペンギン・ハイウェイ』論
 「科学・フィクション・アニメーション ペンギン・ハイウェイ評註」
 2) DIESKE 『夜は短し歩けよ乙女』論
 「四畳半期の終わり 映画『夜は短し歩けよ乙女』の時間と社会性」
 3) ねりま 『夜は短し歩けよ乙女』『四畳半神話大系』論
 「乙女と妖怪」
 4) 小菊菜 『夜は短し歩けよ乙女』論
 「なぜパンツ総番長は学園事務局長に恋をしていたのか?」
 5) テリー・ライス 『夜は短し歩けよ乙女』論
 「演劇詭弁論 アニメ映画としての「夜は短し歩けよ乙女」」
4、後記/奥付

(※commentatorとあるのは、いつも通り、各論へのレビュー・コメント、それへの著者からの応答を合わせています。)

 

f:id:Nag_N:20190503165540p:plain

 

 


以下、各々の論考の紹介+期間限定公開です。

 

1、アニメにおける線

 

1) 難波優輝「アニメーションの美学 原形質性から多能性へ」  
  commentator: tacker10, シノハラユウキ

 対象作品:『人形のおどり』『惡の華』『リズと青い鳥』『この世界の片隅で』『新世紀エヴァンゲリオン』『かぐや様は告らせたい』の「チカダンス」、『ルクソーJr.』他

www.dropbox.com


(期間限定公開)

 

https://twitter.com/deinotaton/status/1123502705723371520

 


以上のツイートに見られるとおり、難波論考は、エイゼンシュテインの原形質性概念をひきつつ、素材/メディウム/内容の各レベルにおける「アニメーションの自由度」としての多能性概念を取り出しています。

特に3章のメディウム/内容における自由さについて、アニメーションが(種々の画像システム/映像システムなどなど)様々な記号システムを採用することができる(cf. Kulvicki/難波)点に着目することから、内容上の多能性(すなわち、内容p(pictorial)/内容m(moving- pictorial)が重なり合う内容a(animational))を抽出している箇所は、今後のアニメーション分析を行う諸議論に共通した起点を与えてくれるものと考えます。

アニメーションを作る/見るときに、どのレベルで表現が模索され、選択され、創造されているのかを把握する標準となる議論として、本誌では第1章冒頭に置かせていただきました。


さて編者が難波論考を初めて一読して思いだしたのが、「マンガのおばけ」に関する伊藤剛氏/シノハラユウキ氏の議論でした。手塚治虫の『地底人の怪人』には「耳男」というウサギのキャラクターが出てくるのですが、そのウサギは普段は(自らの長い耳を隠すため)帽子をかぶって人間の変装をしています。現実には、単に耳を隠すだけならば(単なる帽子をかぶったウサギに過ぎないので)およそ変装にはなりえません。しかし、漫画においては体毛などは省略される(そういうお約束である)ので、耳を隠してしまえば(描写された対象と内容とが別々でありながら重なり合うことができる)「そういうもの」として耳男が描かれるというわけです。これは描写の哲学の問題でもありますし、「隠喩」のコノテーションに関わるところでもあります。

以上に基づき、シノハラユウキ氏及びtacker10氏に掲載用コメントを依頼し、コメントをいただくことができました。難波氏からリプライも合わせてお読みください。

 

(なお、(難波論考とは全く出発点は違うのですが)後述する「キャラクターを描くときにはキャラクターではないものを描いている」というすぱんくtheはにーさんの論考との重なりも見せるところで、興味深いシンクロだと思っているところです。)

 


2) こもん 「異形の異-形 『夜明け告げるルーのうた』における「形態」」

 対象作品:『夜明け告げるルーのうた

 

こもん論考もまた、アニメーションにおける図像の変形、とりわけ「形態」の異化効果に着目しています。そして湯浅政明監督の『ルー』が、この異化効果を体現するアレゴリカルな特徴を持っている、という仮説とともに、アニメーションにおける「形態」についての複数の見立て(マティスシーニュマラブー的可塑性/リオタール的フィギュール)を提示し、作品の分析につなげています。
湯浅政明作品の特徴としてしばしば指摘される(本人もインタビューで語っている通り)キャラクターデザイン上の特徴と作業環境(フラッシュアニメーション)の選択は不即不離の関係にあり、それは同時に「形態」を保ったままの可塑的変形(運動イメージ/シュミレート/フリースケール性)を可能とする、という観点は、指摘されればなるほど湯浅政明監督作品の線を論じるにあたっては必然のように思えるところでした。
この点もまた、難波論考でいう画像システム-映像システムとの関連に加えて、記録=参照/産出するものとしての「アーカイブ」(Jacques Derrida)との関連においても興味深い論点を提示するように思います。


3) 竹内未生 「線と表情の魔法 『魔法少女まどか☆マギカ』試論」
  commentator: tacker10, すぱんくtheはにー

 対象作品『魔法少女まどか☆マギカ
 

 

https://twitter.com/carta_pergamena/status/1123523811993722880
 
 
竹内論考は、『魔法少女まどか☆マギカ』において特徴的な多重線(下図参照)を例に出しつつ、線と表情の相互関係/相互創出について具体的場面(計26シーン)に即して論じています。

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そこでは、図像的なレベルにおいて、場面によって顔の意味(表情)が構成されるとともに、顔の表情によって場面の意味が構成されるという二重性が定式化された上で、表情「顔」「手」「セリフ」「風景」といった様々な各描写が当の「場面」全体と相互に意味づけ関係にある、という方向へと議論が進められます。
もっとも興味深かったのは、最終話の(まどか概念化時の)眼の描き方についての言及です。

f:id:Nag_N:20190503165849p:plain


 

そこでは、ループを繰り返した末に線が上書きされていったほむらとは対照的に、まどかの目は円環(ループ)をなすシンプルな線で構成されるようになります。この点を、物語のレベルと描写のレベルの相互陥入として理解することができるとする点は、作品論とアニメ分析の方法論が共同して進む様を示す恒例であると考えています。


4) すぱんくtheはにー 「悪魔の囁きに耳を貸せ 変身と叫べ、我が身体」
 commentator: 猫鍋奨励会

 対象作品:『ピンポンthe Animation』『 Devilman crybaby』『悪の華』論

すぱんくtheはにー論考は、湯浅政明作品から主には『ピンポンthe Animation』『 Devilman crybaby』を取り出し、それをロトスコープ作品『悪の華』と比較することで、自らを意味付ける線/抵抗の起点としての線という両義的な線の運動性を取り出しています。そこから進んで論考は、湯浅作品においては自らを意味付け直すというモチーフとの相同性を取り出すことで、湯浅作品に通底する倫理的テーマとの関連を指摘しています。
この点は、すぱんくさんによる竹内論考へのコメントに現れているアニメ『ULTRAMAN』(2019)論とも強く相関するところであり、、是非あわせて読んでいただきたいと思います。コメントでは、アニメにおいて「単線を描くこと/多重線を描くこと」という対立から「一つ以上の線を見いだす」要請を引き受けること(その倫理性)への移行が示されています。描写のレベルから運動のレベルへ、そして運動のレベルから作品-視聴者のレベルへと、すぱんく論考の運びは湯浅作品全体(ひいてはアニメ視聴態度)へのまなざしを変更させうる潜勢力を持った論考と言えるかもしれません。

 


2、動画における平面/光


1) tacker10 「平面の/複数の/混淆の可能性」
  commentator: すぱんくtheはにー

 対象作品:『Spider-Man: Into the Spider-Verse』論

www.dropbox.com


(期間限定公開)


tacker10論考は、『Spider-Man: Into the Spider-Verse』から「平面をわたる」というモチーフを取り出し、素材/画面/技術etc..の混濁と(一時的な)融和の連続に焦点を当てて、本作品-シリーズ(そしてアニメーション映画)の今後の展開への批判的-発展的視座を提示するものです。
tacker10論考が(パルクールやフリー・ランニングといったストリート文化を横目で確認しつつ)指摘する通り、本作がコミックという平面を画面へと置き換え、引いてはアニメーションという媒体の運動の中に取り込む時には、立体的なキャラクターを如何にして平面の上に位置付けるか、平面を獲得するか、という課題が見出せます。伊藤剛の「漫画の2つの顔」論考において提示されるように、一つのマンガの「スタイル」には二つ以上の「顔」の重ね合わせが読み取れるのであり、アニメーションにおける運動にもまた、線=輪郭のレベル/平面=ウェブのレベル/コマ=フレーム間のレベルの重ね合わせにおいて、こうした異種的なものの同居性が(その政治的危うさを含めて)読み取れるというのが、tacker10氏の本作への(文字通りに見たときの解釈)と言えるでしょう。つまりは、一つの歴史(と我々が語りにおいて示すもの)に一つの線(のみ)を見出してしまうことへの危惧感が、『Spider-Man: Into the Spider-Verse』の描写/運動と並走する形で論じられていると言えます。


さて、こうした素直な読解とともに、本論考へはすぱんく氏からのコメントとして「この論自体の出自/歴史性/欲望はなんぼのもんか?」という趣旨(多分...)のコメントが付されています。作品の(技術的)出自とともに歴史の混淆性を問う眼差しを持った論考自体への批判は(3.2節の節名の通り)tacker10論考でも自覚的ではあった論点ではありますが、この点をリプライにおいては丁寧に解いていただいています。この点も含め、(一つの)作品を(一つ以上に)論じることの倫理性という、先のすぱんく氏との並走が浮かび上がる、という点も含めて『Spider-Man: Into the Spider-Verse』的なコメントの応酬と言えるでしょう。是非ご笑覧ください。


2) unuboreda 「シュミラークルのアウラ
 対象作品:『Spider-Man: Into the Spider-Verse』『LEGO(R) ムービー』
 
前稿tacker10論考に続き、unuboreda論考が追うのは『スパイダーバース』を成り立たせる技術と物語との(一糸乱れぬ)即応関係です。
最も顕著なものとして例示されるのがエンドロール、様々なスタイルのスパイダーマンが「ブロック」のように画面を埋め尽くす描写です。本作のキャラクターがCGで構成されていることから考えれば、本来的には本作のキャラクターは崩れることがありません。しかしながら、本作はあえてそこにコマの間の分裂を可視化し、表象することになります。
分裂した(せざるをえなかった)ものが、パーツを寄せ集める=縒りあわせることで固有の接触を見せる。それは、マイルスの父親と叔父の関係においてであれ、スパイダーマン同士の関係であれ、マイルスという一少年とヒーローとの関係であれ、幾度も反復を見せることになります。
unuboreda論考は、上述した反復を「グラフィティ」の物理的特性/記号的特性に照らして明らかにしています。とりわけ「からっぽの記号表現」(ボードリヤール)と「表面積の格闘」(戸田ツトム)を引用しつつ、絵画的なものとCG的なもの、文字を「打つ」ことと文字の力学的運動の差異(反復)をもとに『スパイダーバース』を読み解く仕方は、物語をその描写的・技術的・映像的特徴から訓み解くひとつの好例と言えるものと考えます。
以上はおいても、『LEGO(R)ムービー』や『バットマン』との比較において本作の位置付けを明確に与えようとする点のみにおいても、本論考の価値は高いものと考えます。是非ご一読願えれば幸いです。
 
 
3) 猫鍋奨励会 「水面に揺蕩うものたちへ」
 
 対象作品: 『夜明け告げるルーのうた』論
 
猫鍋奨励会論考が最初に着目するのは、こもん論考と同じく、『ルー』の線を形作ることになった技術(フラッシュアニメーション/ベクター)の特性です。ただし重要なのは、フラッシュがもたらす独特の違和感(それは監督も自覚している。)にも関わらず、湯浅監督があえてフラッシュアニメーションを自作の表現として取り入れたことの動機と効果にこそあるでしょう。
例えばその「効果」として本論考があげるのが、「リアリティ」を写し取る(作り出す)ための歪んだ線です。本論考の例とは異なりますが、現実の我々には輪郭線はない、という端的な事実を考えてみても良いかもしれません。我々の身体は線で区切られているわけではないし、線によって構成されるべき部分を持っているわけでもありません。しかしながら、我々が自分の姿を観念するときには、こうした線を象徴的に想定してしまいます。本論考が『ルー』の歪んだ線に見ているのは、この「リアリティ」の根底にある未加工のブレであり、線を呼び出す「(ex.遠近)法」の彼方を「描写の範疇に迎え入れようとする」試みです。
猫鍋奨励会論考は、この理路を提示すべく、東=村上的な「スーパーフラット」概念や、ラカンの「資本主義のディスクール」、メタファーとしての「セイレーン」(アポローニオス)、「人魚」(『諸国里人談』)を並置させ、最終的には、線を逸脱する「光」というモチーフを取り出すに至ります。それらはいずれも、「法が失効した世界」におけるリアリティの所在を運動の中で追い求めるふるまいに重ねられるはずです。とりわけ、奇しくも『ルー』末尾において、長らく光を妨げていたお陰岩が崩れるとともに、人工物たる半透過性の傘によって(フィクションの)人魚たちの実存が保持されたことに思いを馳せるならば、技術(人工物)=フラッシュから光=フラッシュに戻る論考の構成は、本論考自体が『ルー』で表現されたことを今一度文字によって再現し直したものとも思えます。
蛇足ですが、末尾の『四畳半神話体系』樋口師匠へのさりげない言及もまた、湯浅監督による森見作品解釈とオリジナル作品とに等しく光を投げかけるものとして、注目に値する点であると言えるでしょう。

 
 
3、湯浅政明森見登美彦アーカイブス2017

  Column: 今村広樹 a.k.a. yono & Nag.
  
  
1) フクロウ 「科学・フィクション・アニメーション ペンギン・ハイウェイ評註」

 対象作品:『ペンギン・ハイウェイ』論
 
 (underconstrution)
 

2) DIESKE 『夜は短し歩けよ乙女』論

 対象作品:『夜は短し歩けよ乙女』『おとぎ話』
 

www.dropbox.com

(期間限定公開)

  (underconstrution)

 

3) ねりま 「乙女と妖怪」

 対象作品:『夜は短し歩けよ乙女』『四畳半神話大系』論

  (underconstrution)
 

4) 小菊菜 「なぜパンツ総番長は学園事務局長に恋をしていたのか?」

 対象作品:『夜は短し歩けよ乙女』論

  (underconstrution)
 

5) テリー・ライス 「演劇詭弁論 アニメ映画としての「夜は短し歩けよ乙女」」

 対象作品:『夜は短し歩けよ乙女』論

  (underconstrution)


以上 

 

※ 2018.12発刊の前号アニクリvol.6.5_β「文字と映像」と、小冊子(コピ本)アニクリvol.6.1「四畳半神話体系×夜は短し歩けよ乙女」(2017.05発刊)の続刊であり、一部再販合本(32/152頁分)となります。

寄稿募集:東京文フリ新刊「アニクリvol.6.5(本号) 特集〈アニメにおける線/湯浅政明+森見登美彦〉」 #bunfree

 

 

  • 彼ら[ドゥルーズ=ガダリ]が言う区分された空間とは、均質で、容積の計測することができる空間である。そこでは多様な事物がそれぞれ割り当てられた場所に配列されている。反対に、滑らかな空間は配置されていない。むしろ、それは連続変化のパッチワークであり、あらゆる方向に限りなく広がる。滑らかな空間において、眼は諸事物むかうのではなく、それらのあいだを漂う。つまり、固定された標的を狙うのではなく、通り道を探すのである。換言すれば、それは環境への視覚的ではなく触覚的な知覚をもたらすのだ。ティム・インゴルド(筧・島村・宇佐美 訳)『ライフ・オブ・ラインズ』160頁)

 

  

1、特集〈アニメにおける線/湯浅政明+森見登美彦発刊趣旨のさわり/かわり


この2019年2月初旬に話題になった小話を二つだけ。
一つは、①ビリビリ動画の新たなコメント表示機能(2019/02/01)、もう一つは、②AIによるアニメ生成・中割(2019/02/06)である。

前者①については、コメントの「弾幕」を避けてキャラクターを表示する機能として、『かぐや様は告らせたい』第3話ED「チカっとチカ千花っ♡」(2019/01/19放送)を用いて、1/29にビリビリ動画公開、2/1に技術的説明を含む公式記事で紹介された。

www.youtube.com

 

このコメントの(半)表示機能は、すでに現実の歌手のライブシーンなどでは用いられていた技術であるが、これまでのところはアニメーションコンテンツには応用されてこなかった。
ビリビリ動画(公式)によれば、この理由は、(1)アニメキャラクター画の多様性、現実の人物との違い、(2)アニメにおけるシーン・背景の複雑性、フレーム間の不連続性の2点にあり、これを克服するための技術的課題としてデータセットの作成と輪郭抽出・マスク作成(その滑らかさ)の困難があげられている。
この点につき、アニメOP/EDの定石ともなったダンスシーンで、この技術が応用されたのは自然な成り行きかもしれない。『かぐや様は告らせたい』第3話EDアニメ「チカっとチカ千花っ♡」では登場キャラクターが一人、カメラワーク/背景が単純であり、さらにEDダンスシーンゆえに、背景との関連性が小さく、かつ、ほぼワンカットで描かれインパクトが大きかった。これらのことから、2019年1月時点、本技術の紹介に最も適した素材として利用されたのだろう。

※ もちろん単純に、ロトスコープを元にスカートの翻りから皺の襞の動きまで緻密にトレースさえ、描き込まれた書記・藤原千花がとりあえず可愛いというのが初発であることは間違いないだろう。ただし、後述するように、ロトスコープは元々ディズニーの『白雪姫』で初めて用いられた際に、リアルでありながらどこかふわふわした運動性とともに、不気味で、グロテスクな印象を与えてしまう点が既に指摘されていた。この「リアルな印象」と「リアル」の差異についても検討の余地があるだろう。例えば下記記事を参照。

boid-mag.publishers.fm



※なお、完全に偶然だがビリビリ公式から説明記事がでた2019/02/01の同日、『かぐや様は告らせたい』公式から、期間限定で制作過程(原画845枚(中割参考含む))が公開されていたので、こちらを見ていた人も多いだろう。貼りはしないけれどもビリビリ動画ではまだ見ることができたり...

youtu.be

 

さて、話はここから。

【提題】

そもそもコメントをキャラクターの前に表示させるか、後ろに(半)表示させるか、そもそも表示させないか、つまり「この機能を使うかどうか」はユーザー側に委ねられている。ユーザーは、コメントによってキャラクターと背景が分割されることを強制されるわけではないし、コメント職人も「職」を奪われることはない。そうである以上、個人としては選択肢は増えこそすれ、奪われているものなど何もないかに思える。
しかし、今回の機能については、ニコニコ動画的「弾幕」や「職人」文化、あるいはMAD文化やコメント文化などに慣れ親しんできたと思しきアニメファンからの違和感が、少なからず観察された。これはなぜだろうか? 与えられた一つの画面への介入という点では既存のコメントの延長線上にあるにもかかわらず、このビリビリ動画における新たな介入手法は何が異なる(と感じられた)のか?

 

【仮説】

・一つには「制作者でも視聴者でもないプラットフォーマーが、画面への介入の仕方を規定した」と思われた点にあるのかもしれない。(しかしそれを言えば、なぜ制作者たちならば、あるいは視聴者たちならば画面への介入が許されてきたのかを省みれば、現在のアニメ制作/視聴環境に親しんだものたちの習慣でしかないようにも思われる。)


・あるいは、例えば絵画においてそうであるように「背景とキャラクターという分離すべきでないものを分離した」と思われた点にあるのかもしれない。あたかもキャラクターを物語世界から引き剥がし、コメントという舞台に載せたように感じられたように見えたのかもしれない。(しかし、キャラクターが作品間・メディア間で引き抜かれつつも同一性を保つ事態は、古くは二次創作の勃興以来、現在でもソシャゲ周りのコラボなどで広範に観察されるところであるし、そもそもあえて意識せずとも、キャラクターを突出したものとして認識する段階で一定の分離はなされているかもしれない。)


・いやそうではなく、「分割の仕方が単純すぎた」あるいは「もっとうまい分割の仕方があるはずなのに...」と思われた点にあるのかもしれない。(どうせ分割するなら背景とキャラクターだけではなく、各レイヤー間を自在にコメントが行き来できたら、Live2DやSpineのような2D立体化ソフト、カメラマップ/Light Fields技術のように介入の新たな展開として歓迎されたのかもしれない。)

youtu.be

 

※ もちろんアニメでこれと類比的なことを実現するためには、データセットが迅速に共有されることが必要であることから、(後述する『ずんだホライずん』のようにクラウドファンディングのリターンでデータセットを提供するような動きが広まる場合や、教育目的利用での提供の場合を除いては)実現可能性は権利上の課題から一般的には著しく低いだろう。しかし、プラットフォーマー側・視聴者側でレイヤーを操作可能にするアニメ作品が提供されたならば、その時のプラットフォーマー側/視聴者側による文化醸成がどのようなものになるのかは、興味深いところである。
※ なお、この点は、伊藤剛パタリロの住まう「場所」」(ユリイカ2019年3月臨時増刊号)における「コマ枠とキャラ図像の「あいだ」において、コマ内にサブフレームを構築するもの」としての(読者を宙吊りにする)マンガ表現と類比的かもしれない。

 

【解決の指針】

まとめよう。コメントを非表示にすれば制作者が期待した映像が、コメントを表示すれば視聴者側が作り上げた「ぼくらの(擬似同期の)映像」がある、と考えているのであれば、話をやや単純化しすぎているように思われる。実際には、映像配信もコメントもプラットフォーマーを媒介としており、視聴者側による介入可能性は、運営するプラットフォーマー自体の安定性に頼っている。動画プラットフォーマーの一翼を担ってきたニコニコ動画さえも、不振によりカドカワ社長が引責辞任する事態となり(2019/02/13)、先にあげたビリビリ動画でもまた、昨年来、アニメの大量削除、リアルタイムコメントの内容に基づく表示/非表示の事前規制(つまり厳密な意味ではないが「検閲」類似のもの)等、規制当局との「連携」の話題には事欠かない。GAFAをはじめとするデジタル・プラットフォーマー規制/デジタルレーニズムが同時並行する中で、アニメにおけるこうした「連携」への抵抗を、視聴者側における運営側への協働の中に探ることも、あながち牽強付会とも言えないのではないか。


2017年刊行の『アニクリvol.5.0 アニメにおける資本』では十分に展開できなかったこれら論点も、ここに再来しているように思われる。

nag-nay.hatenablog.com


...さて、あまりにも長くなりすぎたので、後者②については(名前どおりであることもあり)説明は省略する。下記の動画を参照してほしい。(2019/02/06)

www.youtube.com

 

 

※ こちらの実験は、「ずんだホライずんのデータをゲットできる特別コース:3万円」というクラウドファンディングのリターンとしてのデータを利用したとのことである。

 

アニメにおける作業効率の問題としてもしばしば取り上げられてきた中割り=動画は、3DCG側と2DCG側の研究が共に進んでいる分野でもある。これは単に原画の間を埋める作業が効率化しうる(可能性がある)点に加え、我々がアニメにおける複数の動き/リズムについての態度へと反省を迫る。
この点で、湯浅政明監督がFlashアニメでの制作に傾注していることは注目できるだろう。例えば、『夜明け告げるルーの歌』は全編をFlashアニメで制作しているが、日本での会話劇メインのFlash利用とは異なり、「異形」とされる何ものかや「異形」へと変身しつつある人間の姿、ある線と別の線との混交を軽やかに描き出す。

youtu.be

 

上記文献においてティエリ・グルンステンを引用しながら、伊藤剛は次のように述べていた。「「マンガは、想像上のデッサン」と、資料など「あらゆるところから切り取られた図像の再利用」からなると同時に、その混合の痕跡を見えなくするものだとしているが、「写真のトレース」とは、その再利用の痕跡を逆に痕跡としてみせることで利用するものと言えるだろう」、と。
アニメにおける中割りの自動化という問題は、ここでいう「写真のトレース」に相当する効果をもつものと考えることができる。「リアル」を写すものとも、「リアルな印象」を与えるものとも異なる、「リアルの特徴選択」の位置付けは検討の余地があるはずだ。

 

 

...ということで、次号『アニクリvol.6.5(本号)』は、〈アニメにおける線/湯浅政明+森見登美彦〉と題した特集としたい。
大仰に〈アニメにおける線〉と書くと、本邦のアニメは(通常)ほとんど「手書き」の「線」ではないか、とお叱りを受けるかもしれない(確かに典型的なセルアニメにおいては構造上、セルに引かれた線が重ね合わされることが同時に表面=画面の構成にもなる点が特徴である)。しかし、もちろん、これに例外が多数存在することは、コメントによる画面への介入や中割り自動化の例で、既に見てきたところである。加えて、前号、『アニクリvol.6.5_β』でも、アニメにおける文字利用の諸形態を概観することで、アニメを線に還元することの危険について検討してきた。

nag-nay.hatenablog.com


次号ではこの蓄積の上で、こうした線の連なりが作り出す運動の「リアル」についても、アニメにおける視線の問題(猫鍋奨励会さんの記事を起点に先日議論がおこった)作画崩壊と呼ばれる現象(dieske氏による記事を参照)モーションキャプチャの技術向上とVtuberの実存の問題(ナンバユウキさんが硝煙画報さんやユリイカにて分析している)なども合わせて検討していきたいと考えている。(おそらくはこの延長上に、(tacker10氏が年来着目されている)顔に刻まれる「皺」を線として表象することについても、検討の俎上に上る。)
とはいえもちろん、編者のこうした思いつきを超えた論点を抽出いただければ幸いである。

 

以上より、特集1では〈アニメにおける線〉に関わる作品を自由に選択し、寄稿していただきたいと考えている。この特集を顕著に示す例として、編者としては湯浅政明監督作品と森見登美彦の映像化を念頭に置いており、これらについても是非ご考察いただきたいと考える所存である。これが特集2を置いた理由である。

 

※ なお、本号と関連して、

付属冊子(コピー本) 特集〈バグ/サイバースペースの表象〉を、

2019/04/20 金沢文フリ...はさすがに無理がすぎたので、

『きみと、波に乗れたら』(2019/06公開)レビューと、本号(2019/05刊行)の振り返りを兼ねて、

2019/08/11夏コミに合わせて刊行したい。

(変更に伴い、付属冊子ではなく薄い本(A5/50頁程度を想定)にしたい。)

ご興味お有りの方は、4/18 23:59 7/10 23:59までに anime_critique@yahoo.co.jp まで何卒。

 

 


2、検討・寄稿募集作品例


湯浅政明監督作品
マインド・ゲーム(2004年)
ケモノヅメ(2006年)
カイバ(2008年)
四畳半神話大系(2010年)
ピンポン THE ANIMATION(2014年)
夜は短し歩けよ乙女(2017年)
夜明け告げるルーのうた(2017年)
デビルマン crybaby(2018年)
きみと、波にのれたら(2019年)※未公開

森見登美彦原作
四畳半神話大系(2010年)
有頂天家族(2013年)
夜は短し歩けよ乙女(2017年)
有頂天家族2(2017年)
ペンギン・ハイウェイ(2018年)

・アニメにおける線
(自由選択可)

 

3、寄稿募集要項


(1)装丁・発刊時期:

 各々、オフセット印刷、A5、100頁程度で企画しています。
 発刊時期は、2019/05/05、東京文フリです。
 是非お気軽に参加ください。

 

(2)募集原稿様式

a. 文字数:
 ①論評・批評 : 2000字程度から12000字程度まで。
 ②作品紹介・コラム:300字程度から1200字程度まで。

b. 形式
 .txt または .doc

c. 締め切り(第一弾)
 最終稿:2019/04/21(日)
 (※ 4月初旬にドラフト段階のものでもいただいてやりとりできましたら幸いです)
 (※ 個別に連絡いただけましたら延長することは可能です)

d. 送り先
 anime_critique@yahoo.co.jp
 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。
 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。

(3)進呈

寄稿いただいた方には、新刊本誌を進呈(※ 進呈冊数は2を予定)させていただきます。

 

 

以上