新刊「アニクリvol.3.5 特集〈アニメにおける音楽/響け!ユーフォニアム+ 号〉」 #C96
(訂正)
本誌掲載のナンバユウキさん論考中、主として編者のミスで、誤って図3が図4と同一となっておりました。
訂正版を下記にてuploadいたしますので、紙版をお持ちの方もぜひこちらで差し替えくださいましたら幸いです。
この度は大きな誤りを見逃したままの発刊となり、大変申し訳ございませんでした。著者および読者の皆様に深く陳謝いたします。
アニクリ編集部Nag
1、検討・寄稿募集作品
2019.04の劇場版を持って映像化が完結する『響け!ユーフォニアム 誓いのフィナーレ』に合わせ、〈アニメにおける音楽〉について論じることができる近時の作品についての評論・批評・論考を募集します。
※ 音楽アニメ論は元より、アニメにおける個々の音楽の分析、アニメに付される音楽の種類と効果、映像に音を付することの困難と工夫などを主たる検討対象として考えています。
※ 関連するアニクリ既刊の例として、2015.08刊行『アニメにおける音』特集号を起点として、2016.11『君の名は。』特集号、2017.08『劇場版ガルパン』特集号、2017.11『声と身体』特集号、2018.08刊行『リズと青い鳥』号、2018.12刊行『山田尚子監督作品』号を挙げさせていただきます。
※ なお、vol.3.0は本日、2019/02/26、メロンブックスDL様にて電子書籍にて復刊しました。お待たせいたしました。
例)
(underconstruction)
2、寄稿募集要項
(1)装丁・発刊時期:
各々、オフセット印刷、A5、100頁程度で企画しています。
発刊時期は、2019/08/11、C96です。
是非お気軽に参加ください。
(2)募集原稿様式
a. 文字数:
①論評・批評 : 2000字程度から12000字程度まで。
②作品紹介・コラム:300字程度から1200字程度まで。
b. 形式
.txt または .doc
c. 締め切り(第一弾)
最終稿:2019/07/14(日)
(※ 6月中旬に第1稿(ドラフト段階のものでも可)いただいてやりとりできましたら幸いです)
(※ 個別に連絡いただけましたら延長することは可能です)
d. 送り先
anime_critique@yahoo.co.jp
※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。
※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。
(3)進呈
寄稿いただいた方には、新刊本誌を進呈(※ 進呈冊数は2を予定)させていただきます。
3、発刊趣旨
- 調べとリズムは言葉に従わなければならない。(プラトン『国家』)
- おそらく私たちはモダニズムが抱くユートピアニズム(=不在の場所への憧れ)と、ポストオダニズムが示すディストピアニズム(=不全の場所の観察)を越えて、人間とは歴史の中に生きるものとして意識的無意識的に様々な場所を想像するものであることを認めるトピアニズム(=場所に立つ自覚)へと向かうべき時である。(Olwig, K. Landscape, place, and the state of progress)
物理的に還元すれば、音は媒体の中の自動的な振動である。物質的、生理学的、神経学的な必要条件としての振動を疑うものはいない。
音楽を視覚化する方法も多々あり、直感的にわかりやすい一例として下記のようなものが挙げられるだろう。
もちろん、音楽の視覚化は各種試みられているところであり、下記の黒川良一氏のもの(偶然だがちょうど編者が2012年に観に行ったもの)などもこの例に連なる。
しかし、我々に聴かれる音/音楽を論じるにあたって、上述した還元的な定義から説明しようとする向きは、決して大きな賛同を得られるものではないだろう。
振動は我々の耳朶の奥深くの毛細胞を揺らし、聴覚神経を刺激したうえで、我々に「聴かれる」ことによって音になる。精神的加工によってであれ、聴覚環境のパターン認識によるものであれ、振動は変換されなければならない。無限音階に代表される音の錯覚(錯聴 auditory illusion)など、聞こえ(sonority)にまつわる各種の困難と工夫の上で、音の響き(peals)は聴かれることになる。
※ なお、この音/音楽に関する議論と並行的なものを、色に関するニュートン-ゲーテ間における議論に見て取ることができる。ゲーテ『色彩論』は、古典的なニュートン的なスペクトルの差として色を把握する見解に対して、情動の差として色を把握する見解を打ち出した。「白いものは暗くされ曇らされると黄色になり、黒は明るくなると青になる」。なお、ウィトゲンシュタインの色彩論もまたこの延長でなされた検討である。
言うまでもなくアニメに付される「音」それ自体は、映像に対して外在的である。音を「リアル」に寄せるか、効果音として場面に(説明的に)付加するか、あるいは場面と無関連な音を配置するか。これらの問いは、まずは音響監督の手にかかっているが、同時に視聴者に「聴かれる」ことによって各種の効果を発生させることが期待されている。
とりわけ、楽譜(記譜)を持った「音楽」をアニメに移し替えるにあたっては、カット割と音楽/ストーリーラインと旋律の同期/ズレの構築など、数々の段階・作業を経る必要があることは言うまでもない。これを視聴者側で(一旦バラしたりなどして)組み直すことなしには、アニメにおける音楽の効果を十全に把握することは難しいように思われる。(一例)
※ そもそも楽譜(記譜)を音楽に移し替える場面でも、潜在的には複数の段階・作業を経る必要がある点については、様々に議論されている。
現在、楽譜(記譜)と音楽の関係については、「楽譜は表記法の中にあって、作品を定義する」指示であり、その実行の手前にあると考えられている(ネルソン・グッドマン『芸術の言語』を参照)。記述物や線描画がそれ自体として芸術であるのに対して、音楽は、楽譜に示された指示が実行されることにより芸術になる、というわけだ。しかし他方で、こうした観念が成立したのはたかだか18世紀末と言われる(Lydia Goehr, The Imaginary Museum of Musical Works)。長らく音楽は(演劇におけるスクリプトのように)都度の演奏行為において存在する、と考えられてきたのであり、旋律は明確な音程を持つ音連鎖ではなく「歌われるもの」であった。
能の上演において(笛で「演奏」される)「唱歌」がそうであるように、「一つ」の音楽は、絶対音/絶対的な旋律の(近似的)再現ではなく、(標準化されない)指の配置、笛ごとに異なる音孔、声として表記される音色と言う、手や声帯と一体化した身体動作として現れる。これらの点については、ティム・インゴルド『ラインズ』(2007)第1章「言語・音楽・表記法」を参照されたい。
以上を踏まえ、アニクリ次次号は〈アニメにおける音楽/響け!ユーフォニアム完結記念〉を取り扱う。
4年前に刊行した〈アニメにおける音〉の続編であり、アニメにおける個々の音楽の分析に加え、アニメに付される音楽の種類と効果、映像に音を付することの困難と工夫などを主たる検討対象とする。
※ 4年前のvol.3.0に関する内容紹介は以下
以上