書肆短評

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寄稿募集(9/30〆切):アニクリ 2021秋号 vol.5s アニメートされる〈屍体〉Ⅱ /「中国夢」中『羅小黒戦記』 付: たまけん2020/2021」

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アニクリvol.4s「アニメートされる〈屍体〉」(2020)の続刊を発刊する。本巻は、下記の多摩地区動画批評研究会企画「フィクションと政治」の成果も含めて合本予定である。以下、(研究会)企画趣旨を転載するとともに、発刊告知(締め切り等を含む)・募集作品例を提示する。

 

1、(研究会)企画趣旨+発刊告知

 映画『羅小黒戦記』をめぐっては、2020年の日本語吹き替え版が公開され、その洗練された表現技法・アニメーション技術が高く評価されたことは、多くの人の記憶に新しいだろう。ただし、上映後「良質のエンターテインメントか、体制のプロパガンダか」という問題提起がなされたことは、もしかしたらそこまで多くの人が認識しているとも限らず、また多くの人の頭から抜け落ちているかもしれない。今回の企画で探求するのは、今回、登壇者の一人であるてらまっと氏が提起したこの問い(そのものではないが。)を起点とした「政治とフィクション」に関するいくつかの問題群である。
 もちろん、映画『羅小黒戦記』文字通りの意味では国策としてのプロパガンダではない。政治的意図もなければ組織性も欠く。例えば、今回の登壇者の一人である辻田氏による定義、すなわち「政治的な意図にもとづき、相手の思考や行動に、しばしば相手の意向を尊重せずに影響を与えようとする、組織的な宣伝活動」という定義からは外れていよう。しかし本作において、(アニメーション研究者・田中大裕氏によるtweetの語彙を借用するならば)中国映画産業における体制迎合的エコノミーの可能性を読み取りうるとすればどうか?そしてこの読み方は、『羅小黒戦記』という作品ユニットの持つ芸術的ー政治的価値(その関係)にどのように関わるのだろうか?

 (1) 正道ならざる「プロパガンダ的なるもの」とフィクション作品を取り巻く環境
 この点にかんし、辻田氏の主張する「たのしいプロパガンダ」、あるいは『新プロパガンダ論』において繰り返し問題となっている「下からの便乗」=民製プロパガンダの諸例や各種広告宣伝(コラボ)との比較、「かわいい」的感性についての議論は、大いに参考になるだろう。すなわち、情報の受け手にとって好ましく受容されたことそのものへの対抗言論や(より広く)競争環境の構築は、どのようになされうるか? 辻田氏のいう事前対策としてのプロパガンダ論の「ワクチン」的な機能・射程は、前記の体制迎合的エコノミーにどのように関わるのだろうか? これらの問いが、決して「正道」のプロパガンダとは言い難いものの、周辺的でありながら「ゆるく」作品を枠づける「プロパガンダ的なるもの」の領域を形作るように思われる。(元のてらまっと氏の「良質のエンターテインメントか、体制のプロパガンダか」の問題提起もまた、もとをたどればこのようなものであった。)
 さて、これらの問いは、本邦のフィクション作品の制作・受容プロセスについても跳ね返るだろう。具体的には、特に本邦の深夜アニメの商業的な広がりや、渡邉氏が名指したポストシネマ時代における表現ー技術のアニメーションにおける多層的な試み、さらにはそれら(内容上の反社会的なものも含むもの)の社会的な受容スタイルや、てらまっと氏の指摘する視聴者共同体の倫理的な変容の広がりにも跳ね返る問いであるだけに、目下問われるべきものである。

 (2) プロパガンダの歴史的側面と、現下における諸課題
 そもそもこうした受容と供給の過程で増幅される暴力=エコノミーを分析するにあたり、「戦前」における文化と国家の関係、あるいは「国際化」の態様についての歴史的検討を抜きにすますことはできない。この点で、渡邉氏の戦前〜戦中〜占領下〜戦後期にまたがる映画教育・「国策」映画・映画国際化研究と、辻田氏の戦時歌謡研究や「空気」を読ませる手法を多用した戦前の検閲に関する研究とをともに参照することができる場を持つことは有益であろう。辻田氏の近著『超空気支配社会』(2021)への参照も、この点から求められるはずである。
 翻って、現実の本邦の状況においてもこの検討は示唆を持つはずである。COVID19下において、法に服する主体の権力作用を表立っては欠いた形で様々な準ー法的権力作用が生まれては消えたことは記憶に新しい。集団のなかでフィクショナルに構成されたリスク感覚に基づく「自粛"要請"」や「協力」が横行する中、上記のフィクション(作品)と政治の関係を問うことは、フィクションを介した想像力の意義と限界を知る上で避けて通れない。

 (3) その他
 最後に、フィクションと政治という範疇で言えば、古くは政治的な罪(アウシュヴィッツ)と技術(産業・工場)との差異を素通りしたハイデガーの技術論を思い起こさずにはいられない。そのハイデガーを論じたPh. ラクー・ラバルト『政治という虚構』(1988)、当該テキストへのジャック・デリダの応答、さらには近時の東浩紀「悪の愚かさについて」(2019/2020)にもこれらの問いは通じている。

 折しも来たる7/9に『羅小黒戦記』のBlu-rayが発売となる。この時期にあわせ、上記広範な射程に属する問題群を一連の問いとして取り扱うべく、2021.07たまけんの講演・座談会を企画した。

 

ptix.at

 上記研究会を踏まえ、2020.05発刊「アニメートされる〈屍体〉」の続刊を発刊したい。アニメーション技術によってのみならず、広く制度・資本・文化によって「動かされる身体」(と反転して「動き出すキャラクター」を包含する作品:かつてのアニクリvol.5.0の主要論点)は、下記2.に列挙するように数多放映された。

 たとえば2021年現在にあっては『ゾンビランドサガ リベンジ』のみならず、舞台とキャラクター(観客)の関係を鋭く問う『劇場版少女☆歌劇 レビュスタァライト』もまた、本テーマで接続するべき作品群であるだろう。そこでは観客の欲望によって、終わった物語だろうが、物語から身を剥がしたはずのキャラクターだろうが、「全ては舞台の上」にあげられてしまう。観客を象徴するキリンから落ちたトマトの身は、キャラクターによってかじられて肉とされることを避けられない。観客と演者の相互依存関係は、互いを屍者じみた自動機械にしてしまいはしないだろうか。あるいは『不滅のあなたは』はどうか。本作でフシは、生/死を、生者と死者を、生物と無生物とを、自/他を、その他「膜」で隔てられた生命と環境とを分かつあらゆる境界線を行き来しつつ、生きる術を学ぶ(ついには大地そのものとなるだろう)。非人間的でありながらどこまでも人間的な「それ」は、アニメにおいてこそ、原キャラクター体と呼ぶべきもののメタモルフォーゼを露出させている。しかし、何にでもなれる「それ」は、歴史から取り残されることで(あるいは歴史そのものになることで)、「何者にもなれない」(原作13巻#119)と口ごもらざるをえない(だからこそそこから13巻以降の展開が始まらざるをえない)。不死性ゆえに支持体から距離を取ることができないこの点で、本作はアニメーションの構造そのものを示す作品としても受け取れるはずである。更には目下『マギアレコード』続編も控えている今、「アニメートされる〈屍体〉」を再度問う意義は大きい。

 昨年末からのEテレ再編問題もいまだ燻り、Netflixなどによる「クール」の解体が足元で進行しつつある現在、『羅小黒戦記』を起点にしてアニメーションと(多くは)日本にすまう私たちとの関係を問い直すことは、大きな意義を有するものと思われる。

 

2、vol.5s 検討・寄稿募集作品(例)

 アニメーション技術によってのみならず、広く制度・資本・文化(vol.5.0の話題)によって「動かされる身体」と、反転して「動き出すキャラクター」を包含する作品は、全て対象とする。2020-2021の例であるものの、下記の作品群を念頭に自由に選んでいただきたい(※限定する趣旨ではないことに留意)。

 

(1)アニメートされる屍体/身体
・マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝(2nd SEASON含む)
・かげきしょうじょ!!
・劇場版 Fate/Grand Order
・劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト/ 再生産総集編ロンド・ロンド・ロンド
ゾンビランドサガ(リベンジ含む)
不滅のあなたへ
・MARS RED
・シャドーハウス
ウマ娘 プリティーダービー(Season 2含む)
WIXOSS DIVA(A)LIVE
ワンダーエッグ・プライオリティ
・劇場版 Fate/stay night [Heaven's Feel]
・神様になった日
・アサルトリリィ BOUQUET
など

※ 間に合う場合には2021秋『結城友奈は勇者である-大満開の章-』なども含む

(2)ロボット/機械/身体
・SSSS.DYNAZENON/SSSS.GRIDMAN
NOMAD メガロボクス(2含む)
スーパーカブ
・Vivy -Fluorite Eyeʼs Song-
シドニアの騎士 あいつむぐほし
ガールズ&パンツァー 最終章
など

(3)コマ撮りアニメ/パペット・アニメーション
・PUI PUI モルカー/マイリトルゴート
Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀
・でざいんあ(Eテレ)ほか
など

 

3、寄稿募集要項

(1)装丁・発刊時期:

 オフセット印刷、A5、100頁程度で企画しています。

 発刊時期は、2021/11/21、東京文フリにて発刊予定です。

 

(2)募集原稿様式

a. 文字数:

 ①論評・批評 : 1600字程度から20000字程度まで。

 ②作品紹介・コラム:300字程度から1600字程度まで。

 ③掌編小説  : 2400字以内

 

b. 形式

 .txt または .doc

 

c. 締め切り

①第一稿:2021/09/30(木)

(※ 第一稿に、自身で納得いかない場合には、ドラフトまたは納得いかない点を送付くださいましたら一緒に考えられますので、よろしくお願いいたします。)

②最終稿:2021/11/01(月)

③相互コメントやりとり期間:②までの期間・随時 @dropboxほか

(※ いずれも個別に連絡いただけましたら延長することは可能ですが、大幅な延長につきましては相当の期間前に相談くださいましたら幸いです。)

 

d. 送り先

 anime_critique@yahoo.co.jp

 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。

 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。

 

(3)進呈

寄稿いただいた方には、本誌2冊を進呈させていただきます。