告知:アニクリ新刊『vol.1.5 岡田麿里2012−2016/〈時〉をかけるアニメ』の発刊予定について #bunfree #anime_critique
アニメクリティーク刊行会では、2013年に発刊しました創刊号『vol.1.0 岡田麿里2008−2011』、2015年に発刊しました『vol.1.5_β 心が叫びたがってるんだ。総特集号』(2015/12/29 冬コミ頒布済 →事後報告はこちら、 →通販サイトはこちら)の続刊を発刊します。
『vol.1.5 岡田麿里2012−2016/物語の〈傷〉』(2016/05/01 文フリ頒布予定)
いずれも表紙は、『vol.1.0』『vol.2.0』『vol.3.0』『vol.1.5』とアニクリを牽引していただいた yopinari くんにお願いしてあります。
目次は下記の通りです。
※2016/4/30追記 ひとまず全体が校了して印刷所に回されたので、各評論冒頭を掲載します。
Nag「アウトライン」
対象作品:(1)B★RS × キズナイーバー、(2)峰不二子という女 × 絶園のテンペスト、(3)鉄血のオルフェンズ × M3 × 絶滅危愚少女、(4)心が叫びたがってるんだ × WIXOSS、(5)凪のあすから × 迷家
岡田麿里関連作品を二作品ごとに対照させつつ、計11作を検討していくもの。
tacker10「幻想の舞台から目覚めるために」
対象作品:絶園のテンペスト
konkatuman「ウィクロスおまけまんが」
tacker10「アンチ・ロマンチシズム」 対象作品:機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ
(tacker10評論へのコメント(SpANK888))
すぱんくtheはにー「離散と忘却の孤児たち(オルフェンズ)」 対象作品:機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ
(すぱんく評論へのコメント(tackerx))
ふると+Nag「虚構に追いやられた痛みを引き取りにいくために」 対象作品:B★RS
超成瀬順を性的な視線で見る奴バスターズ(wak)「廃墟のお城で何が起きたのか」 対象作品:ここさけ
なーる「凪のあとから 〜 自由のその先へ」 対象作品:凪のあすから
晴れない空の降らない雨「「恋愛」「想い/語り」「家族」」 対象作品:ここさけ、オルフェンズほか各種
※2016/4/27追記 ひとまず全体が校了して印刷所に回されたので、各評論冒頭と、一例として、ふると+Nag「ブラック★ロックシューター論」全文(画像)を掲載いたします。
以上、2016/4/27追記終了。
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さて、今回は後者2についての寄稿を募集いたします(2016年5月文フリでの頒布予定)。
対象作品詳細は下記ですが、2012年の『ブラック★ロックシューター』『峰不二子という女』『絶園のテンペスト』や2013年の『凪の明日から』『WIXOSS』、2014年の『M3』から2015年『ここさけ』、そして現在放映中のアニメ『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(第13話記事はこちら)、2016年公開予定の劇場版『selector destructed WIXOSS』までを含めたいと考えています。
最新作として予告されている『迷家』については、文フリ後の夏コミあたりであれば、付属冊子として作成できるかもです。
寄稿募集文と対象作品群は、以下の通りです。
1、『vol.1.5 岡田麿里2012−2016/〈時〉をかけるアニメ』(2016年5月 文フリ頒布)
1、検討・寄稿募集作品例
ブラック★ロックシューター(2012年)
アクエリオンEVOL(2012年)
AKB0048(2012年)
LUPIN the Third -峰不二子という女-(2012年)
さくら荘のペットな彼女(2012年)
絶園のテンペスト(2012年)
がんばれ!ルルロロ(2013年)
AKB0048 next stage(2013年)
劇場版 花咲くいろは HOME SWEET HOME[5](2013年)
劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(2013年)
凪のあすから(2013年)
selector infected WIXOSS(2014年)
M3〜ソノ黒キ鋼〜(2014年)
絶滅危愚少女 Amazing Twins(2014年)
selector spread WIXOSS(2014年)
幸腹グラフィティ(2015年)
機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ(2015年)
心が叫びたがってるんだ。(2015年)
映画かいけつゾロリ うちゅうの勇者たち(2015年)
selector destructed WIXOSS(2016年予定)
その他、2011年以前の作品についても可。(※ただし、2011年以前の作品のみの検討の場合には、下記②にあるとおり、寄稿文の文量については比較的短いコラム形式のものを想定しています。「一緒に論じることに意味がある!」という主張がある場合には、是非一報戴ければ幸いです。)
2、寄稿募集要項
(1)募集原稿:
岡田麿里脚本・シリーズ構成アニメ作品(劇場版含む)のうち、寄稿募集原稿例に掲げた作品を中心として論じたもの。あるいは、アニメ作品における「時間性」「歴史性」「世代継承性」についての検討を含むもの。その両方に関わるもの。
(2)装丁・発刊時期:
オフセット印刷、A5、100頁程度(¥500での頒布予定)で企画しています。
発刊は第22回文学フリマ(2016年5月)および夏コミ(2016年8月)を想定しています。
(3)募集原稿様式
a. 文字数:
①論評・批評 : 2000字程度から15000字程度まで。
②作品紹介・コラム:500字程度から2000字程度まで。
b. 形式
.txt または .doc
c. 締め切り
原則として2016/3/19(土)。鉄血のオルフェンズのみ2016/4/10(日)
(※ 個別に @anime_critique あるいは @nag_nay までご連絡いただけましたら、延長することは可能です)
(※ その後、何度か原稿の校正上のやり取りをさせていただけましたら幸いです。)
d. 送り先
anime_critique@yahoo.co.jp
※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。
※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。
(4)進呈
寄稿いただいた方には、新刊本誌を進呈(※ 進呈冊数は2を予定)させていただきます。
---- 以下は、既刊1.5_β に関する記録です。
2、『vol.1.5_β ここさけ特集号』(2015年12月 冬コミ頒布(※了))
(1)検討・寄稿募集作品
劇場アニメ『心が叫びたがってるんだ。』に関する批評・評論・SS等。
一作品に特化した特集ということで、原則としては作品内容に定位し、かつ、テーマ設定が明確なものでお願いできれば幸いです。
(※ なお、監督・脚本家・製作過程等に関する総論も可能ですが、こちらをご希望の場合に関しては、下記編集連絡先までご一報ください。コラム形式での執筆をお願いする場合がございます。)
以上に加え、現在、座談会を企画中です。こちらについては追って詳細をご連絡させていただきます。
(2)装丁・発刊時期:
表紙カラー・オフセット印刷、A5、80-100頁程度で企画しています。
発刊は冬コミ(2015年12月)を想定しています。
(3)募集原稿様式
a. 文字数:
① 座談会1「定型の反復」(仮題)、座談会2「演出・表現・物語」(仮題)
② 論評・批評・SS:3000字程度から15000字まで。
内容は、本作から読み取れるテーマの設定が明確になされているものでお願いできれば幸いです。
③ キーワードコラム :200字程度から800字まで。
※コラムについては、若干募集要項を修正しました。各評論の合間に、挿入していければ幸いです。現状では暫定的に以下の各キーワードを設定しました。これ以外にも追加は可能です。各キーワードに沿って、本作から読み取ったことを、まとめていただければ幸いです。
1. 言葉について:
「お喋り」(ex.ドロドロ、沈黙、殻)
「妄想」(ex.王子/玉子、お城、物語、愛)
「定型/定型外」(ex.母による命令/祖父母-孫関係(=父抜き))
「夢」(ex.トラウマ、夢(物語)のトレース、妄想、長引く夢(恋愛))
「主語」(ex.主語の曖昧化、「言いたいことあるならはっきりいえばいいのに」、伝染)
「翻訳」(ex.漢字の点、外国語による距離化)
「呪い」(ex.因果応報:「いないと困るの!」、成瀬自身に自覚された夢=幻想)
「吊るし玉子」(ex.空っぽの玉子、溢れ出る中身、スクランブル、詰められた玉子)
2.身体について:
「小走り」(ex.お喋りな身体・動作表現、不自然な走り)
「掌」(ex.手を合わせた祈り、歌、ミュージカル)
「痛み」(ex.心、身体、過去の記憶)
「カット」(ex.髪、コマ、傷、息)
「涙」
「押し/引き」(ex.押し倒す成瀬、押しに弱い坂上、引きのショット)
3.繰り返しと定型句について:
「代役」(ex.DTM=ミント、ミュージカルの代役)
「ミュージカル」(ex.こっぱずかしい台詞、坂上だけがなしうる(?)こと)
「定型句」(ex.仁藤の褒め言葉、坂上の言い訳、行き場を失った言葉)
「主語の欠如」(ex.全ての呪いの言葉が全部自分に返ってくる)
「時差」(ex.延期する仁藤、瞬時に切断する坂上、遅延する成瀬・田崎)
「名前」
「罵倒」(ex.定型句としての罵倒、それだけしかない罵倒)
4.人間関係について:
「罪」(ex.無知の成瀬の二つの罪、目の前の相手を見ない田崎)
「馴れ合い」(ex.三嶋→田崎/田崎→三嶋という閉じた関係、「田崎だけの問題じゃん?」)
「お前ら」(ex.阻害された山路、私たちという輪)
「靴」
「過去/現在」(ex.「あなたがくれたこの世界」、「あなたのとなりに」)
5.視線について:
「見る/見られる/眉庇効果」(ex.内観/外観/一部しか見えない)
「心の中」
「メール」(ex.お守りとしての携帯=繋がったメール)
「封印」
「格好よさ」(ex.ピアノ、勘違い、行為に対する気づかないふり)
「狡さ」(ex.坂上が成瀬に頼られる快楽を悪用した振る舞い)
以上どうぞよろしくお願いします。
b. 形式
.txt または .doc
c. 締め切り
第一稿:2015/11/29(日)
(※ 個別に連絡いただけましたら延長することは可能です)
(※ その後、何度か原稿の校正上のやり取りをさせていただけましたら幸いです。)
最終稿:2015/12月6日(日)
d. 送り先
anime_critique@yahoo.co.jp
※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。
※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。
(4)進呈
寄稿いただいた方には、新刊本誌を進呈(※ 進呈冊数は2を予定)させていただきます。
サンプル画像1、『vol.1.5_β 心が叫びたがってるんだ。特集号』表紙(2015/12/29 冬コミ頒布)
サンプル画像3、『vol.1.0 岡田麿里2008−2013』(2015/12/29 冬コミ頒布)
(旧告知文)
告知:アニメクリティーク新刊(1)『vol.4.0 アイドルと戦争/境界線上の〈身体〉』発刊について(第21回文フリ、冬コミC89) #bunfree #C89
※ 2015/11/12(木):下記のとおり、表紙や本文の中身が概ね出揃いましたので、内容紹介を追記しました。
取り扱い作品のみ先に掲げておきますと、以下のとおりです。
OUTLINE
0_0_【概要】THE IDOLM@STERシリーズ、艦これ、ガルパン、ソラノオト論
第1章 戦争と身体
1_1_【生体】RED GARDEN、革命機ヴァルヴレイヴ論
1_2_【死体】悪の華、プリキュア、アイカツ、Wake Up, Girls ! 論(付:GOD EATER)
第2章 戦争と媒体
2_1_【切断】ガッチャマンクラウズ インサイト論(付:GOD EATER)
2_2_【偶像】WHITE ALBUM2、冴えない彼女の育て方、クラスルームクライシス論
第3章 戦争と社会
3_1_【接続】空の境界論
3_2_【抵抗】ガッチャマンクラウズ インサイト論
第4章 戦争と叙述
4_1_【慰霊】結城友奈は勇者である、ファフナー論
4_2_【希望】スカイクロラ論
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目次
0、内容紹介(←New)
1、検討・寄稿募集作品例
2、寄稿募集要項
3、企画趣旨: なぜいま「アイドルと戦争」なのか? また〈身体〉とそれらは如何なるかかわりをもつのか?
------------------
0、内容紹介
(1)表紙
アイドルマスターシンデレラガールズを採用しました。
今号は、前号、前前号で挿絵を担当くださったあめいも先生 @konkatsuman )が表紙担当となります。
反対に、前号までの表紙担当のyopinari先生(@yopinari)は挿絵担当となります。
取り扱い作品および掲載評論は、以下の通りとなります。ヤマカッコ内の副題は、編集の方で付したまとめです。
OUTLINE
0_0_【概要】THE IDOLM@STERシリーズ、艦これ、ガルパン、ソラノオト論
Nag「異日常の異言使用(ゼノグラシア)―THE IDOLM@STERシリーズと艦これにおける系譜語り」
第1章 戦争と身体
1_1_【生体】RED GARDEN、革命機ヴァルヴレイヴ論
tacker10「世界を信頼するために―松尾衡監督作品が描く身体」
1_2_【死体】悪の華、プリキュア、アイカツ、Wake Up, Girls ! 論(付:GOD EATER)
すぱんくtheはにー「Dance of the Dead―自然主義的フィクショナリズムと、殺せる身体の行方」
第2章 戦争と媒体
2_1_【切断】ガッチャマンクラウズ インサイト論(付:GOD EATER)
tacker10「風穴を開ける―『ガッチャマンクラウズ』シリーズと、アニメの「再起動(リ・ブート)」」
2_2_【偶像】WHITE ALBUM2、冴えない彼女の育て方、クラスルームクライシス論
羽海野渉「白の記憶と冴えない彼女と―丸戸史明の描く虚像が地に落ち天に上るまで」
第3章 戦争と社会
3_1_【接続】空の境界論
ケンイチ「俯瞰風景、身体が開く世界と境界」
3_2_【抵抗】ガッチャマンクラウズ インサイト論
あんすこむたん「「同調圧力」からの逃れ方―事実の二重化、視点転換、時間」
第4章 戦争と叙述
4_1_【慰霊】結城友奈は勇者である、ファフナー論
あんすこむたん「『ゆゆゆ』は何を残したか―語り直される歴史の「継承」」
4_2_【希望】スカイクロラ論
makito×Nag「「真実の希望」はどこにあるのか」
(2)本文
0_0_目次
第1章 戦争と身体
1_1_【生体】RED GARDEN、革命機ヴァルヴレイヴ論
tacker10「世界を信頼するために―松尾衡監督作品が描く身体」
1_2_【死体】悪の華、プリキュア、アイカツ、Wake Up, Girls ! 論(付:GOD EATER)
すぱんくtheはにー「Dance of the Dead―自然主義的フィクショナリズムと、殺せる身体の行方」
第2章 戦争と媒体
2_1_【切断】ガッチャマンクラウズ インサイト論(付:GOD EATER)
tacker10「風穴を開ける―『ガッチャマンクラウズ』シリーズと、アニメの「再起動(リ・ブート)」」
2_2_【偶像】WHITE ALBUM2、冴えない彼女の育て方、クラスルームクライシス論
羽海野渉「白の記憶と冴えない彼女と―丸戸史明の描く虚像が地に落ち天に上るまで」
第3章 戦争と社会
3_1_【接続】空の境界論
ケンイチ「俯瞰風景、身体が開く世界と境界」
3_2_【抵抗】ガッチャマンクラウズ インサイト論
あんすこむたん「「同調圧力」からの逃れ方―事実の二重化、視点転換、時間」
第4章 戦争と叙述
4_1_【慰霊】結城友奈は勇者である、ファフナー論
あんすこむたん「『ゆゆゆ』は何を残したか―語り直される歴史の「継承」」
4_2_【希望】スカイクロラ論
makito×Nag「「真実の希望」はどこにあるのか」
・最後に構成について
文章の構成は、各評論につき、ほぼ「本文→Review→Reply」形式を採用することができました。
Review→Replyは以下のような感じです。
------以上、2015/11/12(木)追記事項。
1、検討・寄稿募集作品例
※ あくまで例示であり作品を限定する趣旨ではありません。掲載されていない作品でも特集テーマとの関連が認められそうでしたら、是非お申し出ください。
・「特集1 アイドルと戦争」取り扱い作品例
①戯画化された戦争 / ゲーム化された政治のその後
『ガッチャマンクラウズ インサイト』
『結城友奈は勇者である』
『艦隊これくしょん』
『虐殺器官』『 <harmony/> 』『屍者の帝国』
『革命機ヴァルヴレイヴ』『STAR DRIVER』『蒼穹のファフナー』『輪廻のラグランジェ』など学園系ロボットアニメ系
『スカイクロラ』『今、そこにいる僕』
②「誰か」にとっての偶像(アイドル)になる契機、また偶像から降りる契機
『THE IDOLM@STER』『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ』
『アイドルマスターシンデレラガールズ』
『アイドルマスター XENOGLOSSIA』
『Wake up, Girls』
『少年ハリウッド』
『プリパラ』
『アイカツ』
『WHITE ALBUM』『WHITE ALBUM 2』
・「特集2 境界線上の〈身体〉」取り扱い作品例
①視聴する身体、統御された身体
『スペース☆ダンディ』
『メカクシティアクターズ』
『花とアリス殺人事件』
『悪の華』
②身体性の拡張と統治性の露出、人形としての身体
『RED GARDEN』『ローゼンメイデン』(など松尾監督作品)
『ソードアートオンライン』
『かんなぎ』
『ファンタジスタドール』
『キャプテンアース』
『ガンダム』シリーズ
※ なお、『GOD EATER』については、アニクリ読者の方から以下のような趣旨の質問をいただいており、寄稿にあたってはいくつかやり取りをさせていただく予定です。「GEアニメは、これまでのアニメの肌で一色、影で一色といったセオリーを覆すことで3Dモデリングされたアラガミとセル画(2D)で描かれたキャラが共存したアニメーション画面を構成しているとのことですのでその点をアニクリの著者様の主観を以て寄稿していただきたい」。
またこれまでも、アニクリでは「色」そのものについて明示的に扱ったことはなかったため、編集側としても一つの検討軸として考えていきたいと考えています。
2、寄稿募集要項
(1)募集原稿:
アニメ作品のうち、寄稿募集原稿例に掲げた作品を中心として、「アイドルと戦争」または「境界線上の〈身体〉」に絡めて論じられるもの。二つの特集を接続するものも可(むしろ推奨)です。
※ なお、特集のうち「アイドル」については、テーマ選択との関係で、関連する3次元アイドルに言及することは可能であるものの、文章全体に占める当該言及箇所の割合を限定的にする旨、お願いしたいと思います。
(2)装丁・発刊時期:
オフセット印刷、A5、100頁程度で企画しています。
発刊は第21回文学フリマ(11/23)を想定しています。
冬コミC89(12/29 ?)にも申し込み中ですので、そちらでも頒布したいと考えています。
(3)募集原稿様式
a. 文字数:
①論評・批評 : 3000字程度から15000字まで。
②作品紹介・コラム:500字程度から2000字まで。
※ なお寄稿にあたっては一つ、可能であれば、コラム・アンケートへのご協力をいただけましたら幸いです。内容は、以下の読者様からの『GOD EATER』にかんする質問・要望についてです。同作の色彩設定について思うところがありましたら、是非、短評いただけましたら幸いです。「GEアニメは、これまでのアニメの肌で一色、影で一色といったセオリーを覆すことで3Dモデリングされたアラガミとセル画(2D)で描かれたキャラが共存したアニメーション画面を構成しているとのことですのでその点をアニクリの著者様の主観を以て寄稿していただきたい」。
b. 形式
.txt または .doc
c. 締め切り
第一稿:10/15(水)
(※ 個別に連絡いただけましたら延長することは可能です)
(※ その後、何度か原稿の校正上のやり取りをさせていただけましたら幸いです。)
最終稿:11月初旬
d. 送り先
anime_critique@yahoo.co.jp
※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。
※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。
(4)進呈
寄稿いただいた方には、新刊本誌を進呈(※ 進呈冊数は2を予定)させていただきます。
3、企画趣旨: なぜいま「アイドルと戦争」なのか? また〈身体〉とそれらは如何なるかかわりをもつのか?
(1)総論: テーマ設定の趣旨: グロテスクな偶像化を回避するために
「アイドルと戦争」という対を見た際、おそらく読者は一瞬奇異な印象を受けつつも、その対を受け入れる語彙もまたあるはずだと落ち着くかもしれない。というのも、「アイドル戦国時代」という呼称や、戦争時における天皇の偶像化の問題、ヴァーチャル化した近時の戦争、(常態化した戦争としての)政治におけるポピュリズムの問題などなど、アイドルと戦争をつなぐパスは複数描きうるためである。
しかし、『アニクリ』次号では、そのような現実の戦争や偶像化の問題自体をトレースしたり、露出させたりしたいわけではない。
例えば、近時の『GATE』において顕著であるが、戦争をある種素朴な形で描くフィクション作品は既に数多くあるかもしれない。『進撃の巨人』は壁によって隔てられた支配・被支配構造が、神山版『攻殻機動隊』ではタチコマの特攻が、『シドニアの騎士』は種としての人類の不気味な生存が描かれることになる。或いは、戦争をアイドル的な装いとともに提示した作品という点では、典型的には『マクロス』シリーズや『戦姫絶唱シンフォギア』『アクエリオン』『AKB0048』などにおいて描かれるところのようにも思える。その他、『ソラノオト』『ストライクウィッチーズ』『ガルパン』『ろこどる』などは、部活動といった日常や萌え要素とともに戦争を「見易い」ものにするものであるし、また『ローリングガールズ』はまさにご当地戦争をネタに変じて表現したものである。
『アニクリ』次号の関心は、もちろんこれらテーマとして戦争を取り扱った作品の読解にもあるものの、その一方で、一回的で凄惨な出来事を寓話的に語り直す、アニメのもつ潜勢力にこそある。
アニメはその戯画表現を通じて、過去に起こった凄惨で痛ましい「リアル」な戦争について生真面目に議論しなければならないという規範を逃れ、当時から現在まで連綿と続く戯画化された戦争について語り直すことを可能にする。というのも、戦争というテーマについての語りは過度に規範化されることで議論の方向を変え難いものにし、戦争についての語り直しを困難にするのみならず、戦後70年を経た現在において戦争についての語り継ぎを袋小路に追いやっているように思えるためだ。
本誌が提唱するように、アニメという媒体はリアリティを与える目的の下、リアルを抽象化し、偶像という装置を用いて構築された人工物である。その媒体こそが、偶像化され、フィクション化されつつある戦争の実態や戦争の歴史を示すとともに、偶像化の作用を通じて新たに戦争や歴史とのフィクショナルな関係を形づくる契機をなすものと考えうる。
アニメという媒体を通じて、我々は第一に、根拠づけられるはずの基礎を欠いた歴史や戦争の構造に開かれるとともに、第二に、時に崇高さを与えるような偶像性を通じて既に失われた過去の存在や今まさに失われつつある脆弱な存在へとアクセスする異言(XENOGLOSSIA)を学びうるのではないだろうか。
(2)第一部「戦争」パートについて:『結城友奈は勇者である』『ハーモニー』『屍者の帝国』『艦これ』における歴史の語り直し
例として、『結城友奈は勇者である』をあげよう。
丁度『結城友奈は勇者である』は、偶像(アイドル)と戦争という二つのテーマの折り返しをなす作品である。そこでは、「勇者」という偶像を自ら選びとった勇者部の面々が、他者にとっての「勇者」という崇高な供犠へと処されつつもなお、「誰か」にとっての勇者であることを求めて戦いに身を投じつづける。その動機の純粋さと結果のグロテスクさの双方がとりわけ際立っていた作品である。
みなの奇跡を願うあまりにひとり苛烈な絶望に身を窶し、「誰か」の偶像へと昇華するとともにみなの有用性のための婢に堕してしまう彼女らは、(敢えてこの言葉を用いれば)古今のあらゆる「英霊」と偶像(アイドル)に対峙する我々の無邪気な言語化・解釈に伴う暴力を露出させているのである。
(※ 同じく、自らを供儀に捧げた『まどか☆マギカ』もまた、我々の語りが縮減してしまった歴史の複数性を教える点では、同様に言語化・解釈に伴う暴力を露出させるものでもある。ただし『まどか☆マギカ』においては、より神話的な世界改変(開闢)の契機を巡って争いが繰り広げられていた。これに対して、『結城友奈は勇者である』や『艦これ』では、より政治的な歴史解釈を巡って物語外部のコミュニケーションが紛糾していた点に、最も大きな違いがあるだろう。)
勿論この点は、上記のような言語化・解釈が行われる言論空間・政治的環境に対する反省をも強いるものである。この点では、有用性が至高の基準として通用することになる市場的な言論空間についての『ハーモニー』の描写は未だに鮮烈であり、『サイコパス2』や『楽園追放』もまた同様の位置付けをもつものとして把握しうる。そこで問われているのは、全てを開示し、リスクを未然に除去しようとする環境に抗して、「秘密」を保全し、「秘密」を作り上げることを、いかに積極的に位置付けるかという課題である。
※ 蛇足ながら付け足せば、この点はアニメ自体の評判は芳しくない『艦隊これくしょん』に対する我々の語り方にも関わってくるだろう。本作は第二次世界大戦をネタ化し、鎮守府名や戦地名、少女のイメージとともに艦船に加えられたビジュアルディテールに至るまで、史実へのフェティッシュな言及を数多くなしたことで、政治的な批判やフェミニズム的な批判を現在まで受けている。しかし、その批判の多くは戦争への語り方をリアルな過去に結び付けられたモノへと限定し、戦争への語り直しに蓋をすることで、戦争をむしろ偶像化しているともいえる。やや穿った見方をすれば、『艦これ』は、死の一回性の擬制(轟沈システム)や兵站・指揮命令権限の物理的限定、敗戦の歴史を反復するしかないゲーム的拘束を強調する点で、決して歴史修正的ではない歴史への関わりを教示しうるのではないかと、示唆のみくわえておきたい。
(3)第一部「アイドル」パートについて:『THE IDLEM@STER』『Wake up, Girls !』:供儀から解き放たれるアイドルたち
この偶像化の問題は、「アイドル」を直接に扱った作品においても当然現れてくる。
現代のアイドル戦国時代にあって、アイドルはとりもなおさず商業的道具としてまずは見られることは避けられない。例えばアイドルには、他者の目線を先取りした過剰なキャラ付けが最初から求められ、そこに自らを適合させることで、自己を延命させることが求められる。
しかし、いくつかの作品では、アイドル自身によってこのような道具化を外れるような契機が見出されることだろう。前号『アニクリvol.3』では『プリパラ』のファルルをつうじて、いかにして非実在の虚無でしかないはずのキャラクターが自律した人格を形成するかが論じられていたし、なにより『THE IDLEM@STER』では、キャラクターはゲームプレイヤーと製作側の共同制作ともいえる過程を経て形成されたものでもある。なぜなら『THE IDLEM@STER』が結びつけられるべき繋留点は物理的な歴史や環境要因ではなく、最初からファンコミュニティの歴史にあるためだ。
『Wake up, Girls』や『THE IDLEM@STER』をはじめとしたいくつかのアイドル作品では、彼女らを取り巻く偶像化の圧力の中にあって、なぜ自らがなぜアイドルであらねばならないか、また誰にとってのアイドルであらねばならないか、そしていかにアイドルであらねばならないか、を描いている。そこにこそ、他者からの目線によって成立する偶像とはまた異なる意味合いが付与され、自ら足を踏み入れ、また自らそこから足を踏み出すアイドルという像が浮かび上がってくるように思える。
偶像に入り込む契機に加え、偶像を脱して「輝きの向こう側へ」と飛び出すという二つの側面に着目することで、偶像性と向き合う別の術が見出せるのではないかと考え、テーマとした。
※ この点では、近時のアイドルアニメの中では『ラブライブ』はやや特殊なようにおもえる。『ラブライブ』においては、アイドルというのは廃校の危機を救うための手段であり、自分自身の道具化である。もちろん、アイドルである自己は次第に彼女らのアイデンティティと化していくものの、本作では最終的になぜスクールアイドルでなければならなかったのかという課題は特に深彫りされずに放置されいたようにもおもわれるところである。よって、仮に『ラブライブ』を取り扱う場合にはこの点について他作品との差異を取り上げていただきたい。
(4)第二部について:〈身体〉をめぐる攻防戦とその境界
さて、以上の流れから、特集2における我々の〈身体〉というテーマへ至るのはいまや自然に思えるだろう。戦争においては我々の〈身体〉が動員されるとともに、戦後の語りにおいて(現在も続く)死者の「遺骸」の所在する場所や生存者による生の「肉声」、戦後秩序という「国体」といった数々の〈身体〉が聖域化されてしまった。それに伴い、歴史を語ることや語るトーンが単純な形へと抑圧され、歴史を語り直すことや語り継ぐことは困難なものとなってきたように思われる。翻って、アイドルにおいては〈身体〉は内容空虚なモノと化し、アイドルは情報の束として(神命を聴く)巫女のように振る舞うことを強いられることで、アイドルの〈身体〉はがらんどうの人形と「偶像」性の混合物にすぎないモノとして日々流通させられている。
そこで、本号で引きなおしたいと考えているのは、上記〈身体〉をめぐる攻防戦における「境界線」である。その攻防は、我々の〈身体〉を法的かつ政治的な意味においていかに統治し・被治されるに任せるべきかという問いと、個別的で実存的な意味においていかに不在の他者に開くべきかという問いの両方に関わっている。この二重の意味で、我々は自分が何者であるか、何をなしうるのかについて、上記のような偶像化の只中で、〈身体〉の間の境界線を揺らしながら、自己をより正確に定義しうると考える。
さらに、この〈身体〉の境界をめぐる問題は、ロトスコープを用いた『悪の華』やフルCG作品の勃興など、アニメ制作過程の変化の中におけるアニメの視聴体験や作品解釈においても現われようし、アニメを超えておよそ我々は我々という集合をいかに把握し、統治しえているのか、そしてまたいかに統治の限界の前で立ち止まるべきかという人文社会的な課題へも直面するはずだ。この意味で、『ガッチャマンクラウズ インサイト』は、クラウズという群衆の統治と被治の問題に加え、新たに加えられたフキダシという放縦された欲望の問題、そしてヒーローという個別的で実存的な〈身体〉の問題を軽やかに駆け抜ける点で、本号を概観するには最も適した作品となるように思われる。
この方向性は、古くは『アニクリvol.1.0』の岡田麿里の身体論および「ゴースト」論、『アニクリvol.2.0』の虚淵玄の「バッドエンド」解釈や、〈彼方〉性をめぐる『ピンドラ』『lain』解釈、そして直接には前号『アニクリvol.3.0』の非人間的な存在者についての各論の延長上にある。前号で取り扱った、人間と非人間の境界を揺るがすサイボーグ的身体や生物種としての身体、引き剥がされたものとしての身体や非実在の身体といった問題は、いかにその多重に折り重なった身体を(一面的還元に抗して)生き延びさせるかという課題に直結している。この点では、とりわけ『ローゼンメイデン』『RED GARDEN』の監督である松尾作品には(例えばプレスコの採用にみられるように)この身体性への着目が見出せるだろう。
かくして、〈身体〉という接面は、その多重構造のために常に完全な統治からは逃れつつも統治の基礎としては避けられない問いとして浮上する。問題は偶像・フィクションを介したその境界の引き直しにあり、境界を融和すべく自らを揺らがせる対内的・対外的な「戦争」にある。
このように次号『アニクリvol.4.0』では、上で挙げてきた作品群を対象作品の例として選びつつ、広義における、日常に伏在する「戦争」とその偶像性について、〈身体〉という観点から検討する。
以上
動的映像及戰爭ニ関スル諸作品批評集
告知:アニクリ新刊『vol.4』+原稿募集のお知らせ(第21回文フリ、冬コミC89) #bunfree #C89
C88お疲れ様でした。
アニメクリティーク刊行会で頒布した新刊『vol.3.0 蟲・生物・人工物/アニメにおける〈音〉』および『vol.3.1 細田守/バケモノの子』2種類は、おかげさまで印刷した分を1日目の段階で頒布しきることができました。ありがとうございました。
編集としましては、これを契機とした議論が起こり、読者・寄稿者・編集者をまたいだ意見交換ができることを期待しています。ぜひ、忌憚ないご意見・ご感想をお寄せくださいましたら幸いです。
さて、以下はC89および次回分フリに向けた、新刊などの告知です。
※ 若干の情報追記があります。
現在、アニメクリティーク刊行会では、以下の二つに向けた新刊の新規発刊、既刊の復刊・再編集版を予定しており、近日中に企画会議を開催することとなっています。
・第21回文学フリマ(文フリ・2015年11月)
・第89回コミックマーケット(C89冬コミ・2015年12月)
つきましては、読者から見たご意見・要望、寄稿者として扱いたい題材・視点などについて、 @nag_nay まで、リプ、DM、メールにてご意見をお寄せいただけましたら幸いです。
あくまでも企画段階ですが、現在案が出ているのは以下のとおりです。
(1)『アニクリvol.4.0』の新規発刊・原稿募集
→ 目下企画検討中のため、ぜひご意見お寄せください。
取扱い作品例や原稿執筆要領など詳細については、企画会議を経ての報告とさせてください。
以下はこれまで出た案となります。
①特集 アニドルアニメ/アニメにおける〈音〉・続章
※ 二つ目の特集では、主として音と映像、音と時間という側面からアプローチした『アニクリvol.3』では扱いきれなかったアニメ音楽の制作過程や市場流通といった側面、および、認知や配信を含む技術面での〈音〉についてより深めることを一案として考えています。
②特集 ロボットアニメ/みる・みられる〈身体〉の拡張
※ 二つ目の特集では、『アニクリvol.3』において触れた生物と非生物の境界を行き交うサイボーグ的身体や、『アニクリvol.1』において検討したアニメ視聴における視線の問題を包括的に取り扱うものです。こちらについては、以前tacker10さんより示唆をいただいていた松尾衡監督作品における統合や統治から逸脱する〈身体〉の問題などにも波及する問題と考えています。
③特集 西尾維新/漏出する〈言葉〉・物語・世界
④特集 アニメにおける戦争/統治する・される〈身体〉
⑤特集 アニメにおける〈時間〉
よろしくお願いいたします。
(2)『アニクリvol.1.5』の新規発刊・原稿募集
→vol.1.0『特集 岡田麿里2008-2013/〈物語〉の終わり、ゴースト』で十分に取り扱えなかった2012年以降の岡田関連作品を扱う予定です。
取扱い作品例:峰不二子という女、凪あす、WIXOSS、鉄血のオルフェンズ、ここさけ、など
(3)復刊:『アニクリvol.1.0』の第二刷、『vol.2.0』の第三刷、『vol.3.0』の第二刷
→諸々が品切れになったため増刷を検討中です。
→若干の取り扱い作品の移動(→頁数によっては『vol.2.5』への改編)を行った上で、より手頃な価格で提供することも検討中です。
以上、よろしくお願い致します。
C88頒布物詳細:アニメクリティーク新刊 『特集 蟲・生物・人工物/アニメにおける〈音〉』および『特集 細田守/バケモノの子』 #c88
以下のとおり、C88にて新刊を発刊します。
1日目、8/14(金)東フ36aにてみなさまのご来場お待ち申し上げます。
1、頒布物一覧
(1)新刊『アニメクリティーク vol.3.0 特集 蟲・生物・人工物/アニメにおける〈音〉』
・情報
500円/オフセット印刷 A5版80頁
・取り扱い作品と執筆者一覧
第一部「蟲・生物・人工物」
『イヴの時間』『シドニアの騎士』『攻殻機動隊』論:Nag @nag_nay
『蟲師』論:あんすこむたん @deyidan
『蟲師』論:tacker10さん @tackerx
『プリパラ』論:すぱんくtheはにーさん @SpANK888
『リヴァイアス』『プラネテス』『スクライド』『ガンソード』『コードギアス』論:sssafffさん @sssafff
第二部「アニメにおける〈音〉」
『響け!ユーフォニアム』論:おはぎさん @ohagi2334
『SHIROBAKO』論:ヒグチさん @yokoline
『四月は君の嘘』論:あんすこむたん @deyidan
『坂道のアポロン』『四月は君の嘘』『響け!ユーフォニアム』論:Nag @nag_nay
・表紙
前号vol.2、前前号vol,1と同じく、yopinari先生 @yopinari 作。
今号は『蟲師』の作風に合わせて、あえてアクリル絵の具で表紙を作成いただきました。
ギンコは東北の森を渡り歩いてそうなので、今回は若干ずらしてyopinari先生在住の南国の植物をあるくギンコというテーマを提案いただき、まさにそのように描いていただきました。感謝です。
(2)新刊『アニメクリティーク vol.3.1 特集 細田守/バケモノの子』
・情報
100円/コピー本 A5版28頁
※ 本誌(新刊or既刊)or 委託物を、計2冊以上購入の場合には無料にて献呈いたします。
・取り扱い作品と執筆者一覧
『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみ子どもの雨と雪』論:Nag @nag_nay
『バケモノの子』論:羽海野渉さん @wataruumino
『バケモノの子』論:sssafffさん @sssafff
『バケモノの子』論:Nag @nag_nay
・表紙
(3)既刊『アニメクリティーク vol.2.0 特集 虚淵玄/〈彼方〉の思考』
・情報
600円/オフセット印刷 A5版128頁
※ 既刊につき、市価の約半額にて提供させていただきます。
※ 新刊との同時購入で、若干のディスカウントをさせていただき、合計1000円とさせていただきます。
・取り扱い作品および執筆者一覧
(4)委託引受物『PRANK! vol.1 ノイタミナ10周年評論集』
・情報
価格不明/オフセット印刷A5版156頁
・取り扱い作品および執筆者一覧
PRANK Vol.1 - LandScape Official Site
2、上記(1)『アニクリ』新刊 内容詳細
(1)第一部挿絵
コンカツマン先生 @konkatuman にお願いいたしました。
頁を重ねて二つの世界を表現してあるので、ぜひ本でご確認いただきたいところです。
(2)目次
目次です。挿絵に合わせて暗めの雰囲気にしました。
(3)Outline--失われたもの/失われつつあるものに触れるということ
本論考では、超自然的な蟲(supernatural being)、被造物(creature)としての生物、人が存在を与える人工物(artifact)という三つの非人間的な存在との取り組み方に関して、ディック的な問いとイーガン的な問いと呼べるような二つの問いを扱っている。
ディック的な問いの方は、『イヴの時間』、『シドニアの騎士』を通じて練り上げられる。それは、人工物や生物へと向かう微視的な視点に基づくものである。これらの作品では、個人としての人間がもつ幻想、即ち個としての人間存在のみが分割不能な(individual)理性的存在であるという幻想を相対化する。解像度を高めて観察すれば、人間・生物・人工物のいずれも、分割可能な(dividual)引き裂かれたものたちの緩やかな結びつきでしかない。当然、その上での問われるべきは、我々の結びつき方がいかなるものである(べき)かという問いとなる。
イーガン的な問いの方は、押井版『攻殻機動隊』『イノセンス』において練り上げられる。それは、超自然的存在へと向かう巨視的な視点に基づくものである。人間的性質を全て剥ぎ取ったあとに残る世界の(イノセンスな)自動運動、身体も意識もなく人形を互いに与え合う生こそが、本作において描かれる人間の姿だ。『攻殻』では、ディックのように人間性についての幻想を払うことが目的なのではない。単に現在しない「不在」のもの(可能的存在)への視線に人間が貫かれている事態を、本作は可視化してくれる。その上で可能なのは、この視線自体の可視化であるだろう。
各種SF作品を扱った『アニメクリティーク vol.2』特集3の続きとして、ぜひ一読いただきたい。
(4)劇場版『蟲師』における光と闇
『蟲師』論:あんすこむたん @deyidan
本評論は、『蟲師』における光と闇に着目する。劇場版『棘の道』のように極端に低周波の「闇」の轟きは、事実として身体を物理的に振動させるとともに、象徴的に此岸と彼岸の不可分性を強調する効果を生んでいる。反対に劇場版『鈴の雫』のように高く響く鈴の音とともに降り注ぐ「光」は、いくつも折り重なった反響する声としてその世界の多様性、複数性を表現することになる。本作における人間と自然とが切り離せないというアニミズムの思想は、その人間の可聴域すれすれの高低に広がった音と無音の境界、あるいは「光」と「闇」の境界において示されることになるはずである。本稿を紹介するならば、以上の通りとなる。
さて、『蟲師』における光と闇ということで思い出されるのは、ギンコ誕生過程で語られる第一期 第十二話「眇の魚」である。そこで、描かれる光と闇、記憶と忘却、歴史と瞬間は、上記の音と無音の関係を、端的に表しているためである。編集者コメント・コラムでは若干この点を補足してある。
※ ちなみに、左頁にはこんな感じでロゴを入れたり、著者に対する編集者コメント・コラムを入れたりしています。
お手製ロゴ例です。「続章」の「続」とかが変な書体だったのでやや手こずりました。
ロゴの配置場所は以下のように左頁左上肩な感じです。
下記画像は『SHIROBAKO』論、ヒグチさんの評論についているロゴで、
かなり迷いましたが最終的に「宮森の名刺ver.」で最終確定しました。
(5)引き剥がされたものたちを偲ぶ場所--TVアニメ『蟲師 続章』が描く郷愁と漂着
『蟲師』論:tacker10さん @tackerx
本評論は『蟲師』の表現技法を通じて、密接にからまりつつも断絶と綻びからは逃れられない引き剥がされたものたちの「居場所」を問うものである。アニメにおいてそれは、制作側と視聴者側、diegetic/non-diegetic区分とdigesis/memesis区分の間の揺らぎに着目することで明らかになるはずである。
さて、ここでの問いは、どのようにアニメという媒体を通じて、「個々の画がキャラクターとして、またキャラクターがキャラとして立ち現れるか」、「音がその居場所をフレームの内外、映像の内外(オフ)に見出されるか」という問いである。
しかし、本評論の妙味はその先にある。本評論は上記の問いを問うのみならず、いかにそのずれに向き合うかという倫理的な問いにも応えようとするためだ。その答えとしては、一つには、放浪する者たちが(自身の記憶ではない歴史を語り継ぎ、筆記をなすことで)作り上げる時間的な連なりに参入することが、もう一つには、あらゆる生の中に境界をまたぐための追悼の所作を学ぶことが、上記の問いへと対峙する態度の例となる。はずだ
編集者コメント・コラムでは、この例に『鈴の雫』における「山と、命と、理の間を流れる、約束の中に」という言葉が、ナレーションの「声」(さらにこれは、ギンコの師匠にあたるぬいの声と同一である)と、山のヌシであるカヤの声が重なった二重の声として述べられていることが数えられるのではないか、とコメントした。この簡潔な一節こそが「生者は死者を悼むことで歴史へ参入し、死者は生者によって息づく」という本評論にいう追悼の趣旨であり、『蟲師』が追悼の寓話である所以となっているものと思われる次第である。
なお、tacker10さんの原稿を始めとして、考察上必要となる図表とかを複数載っけています。
下記画像は、後述するおはぎさんの、京アニ-『響け!ユーフォニアム論』の表とロゴです。
(6)重なりあうレイヤーのステージ--プリパラ・ミク・聖地巡礼
『プリパラ』論:すぱんくtheはにーさん @SpANK888
本評論は、アニメにおける非実在の存在を力強く擁護する評論である。その擁護は、単に非実在の存在を非実在のままに想像し、慰みにするだけでは足りず、かといって、ニコ動などを介した共同の錯覚で人格のようなモノを立ち上げるだけでは足りない。アニメにおける非実在の存在は、妄想的な夢見や擬似生物的な自動生成から離れて、視聴者である我々の手による世界変化、世界制作を必要とするというのが、本評論の主張である。
本評論は、その枠組みとして、従来論じられてきた非実在/実在という区分に加えて、半実在のレイヤーを導入する。そこで目標とされるのは、夢想された非実在でも、諦念に満ちた実在でもなく、ニコ動や聖地巡礼的想像力といった実在を豊かに再解釈するレイヤーである。さらに本評論は、半実在のレイヤーによって我々の生が豊かに彩られつつある状況を前にしつつも、そのもう一歩先にあるものとして、その半実在のレイヤーによって育まれた非実在を生み出す仕組みを提案し、そこへと参入するように読者を促すのである。
なお、本稿は、『アニメクリティーク vol.2.0』に寄せられた、 『serial experiments lain』および『ガッチャマンクラウズ』を論じた同氏の評論の続きとしても読むことができる。そこでは、ひとところにとどまることもできず、かといって遍く存在することもできない震災後の私たちの揺らぐ立場と「遍在/偏在」するアニメキャラクターを重ねつつ、その非実在と実在を重ね合わせる祝祭の契機を、てらまっと氏の「花見2.0」プロジェクトに重ねて論じたものである。ぜひ、あわせて読まれたい。
(7)対立するものたちの併存--谷口悟朗が描く生の具体性
『リヴァイアス』『プラネテス』『スクライド』『ガンソード』『コードギアス』論:sssafffさん @sssafff
(8)第二部挿絵
コンカツマン先生 @konkatuman 作。 『ユーフォ』をみて非常に興奮された様子でしたので、編集冥利に尽きます。
引用は J. L. Austinの著作より。「なぜそれだけのことであってはならないのか?なぜそれらすべてが「響きのよさ(euphony)や偶然や無意味なぜいたくであってはならないのか?」という部分を引用しました。
(9)京都アニメーションが描くもの--集団の数という視点から
『響け!ユーフォニアム』論:おはぎさん @ohagi2334
個的な関係性を描いてきた京アニが新たに踏み出したのは、集団の中での空気というテーマである。『響け!ユーフォニアム』にあるように、空気という媒体は音を届けるのみならず、その嫌な感じ、誰も責任を引き受けない軽薄さ、しかし一度選択してしまうと重たくのしかかってくる圧力といったものを、誰となしに各人が感染させていくことになる。
本評論は、このような個人同士の間、個人と集団の間に張り詰めた媒体としての「空気」に、またその響きあいが「特別」を生み出すだろうことに着目する。(なお、これと関連して、アニメ版では、原作では簡潔に記述されていた行間を、息を呑む描写や息を吹きかける描写を介して密に表現している点でも興味深いものと思われる。)
顧問である滝のセリフに現れていたように、一つの言葉は一つの響きを持つわけではない。中でも、上記再オーディションが完了した時、滝は麗奈に対して、「あなたが吹くのです」と申し向ける。この言葉は、事実確認でもあり、命令でもあり、宣言でもあるという多義的な響きを含みもっている。その響きは、一つの「空気」という偽りを霧消させ、様々な響きあいへと至る予兆として現れる。
「音楽というのはいいですね。嘘をつけない… 良い音は良いと言わざるを得ない」という言葉のとおり、「空気」は音を曲げることはできても、「納得」を与えることはできない。正直すぎる音や久美子はときに残酷であったり性格が悪いものかもしれない。しかし、そのような偽りのない響きがもたらす和音がいつか重なりあう瞬間にこそ、各人が「特別」へと至り「納得」を得ることになるはずである。そんな集団の空気を取り巻く希望へと、京アニが新たに足を踏み入れつつあることを説得的に論じる良論となっている。
(10)キャラクターの生まれる渚--『SHIROBAKO』の映像・音響演出
『SHIROBAKO』論:ヒグチさん @yokoline
本評論は『SHIROBAKO』を題材に、いかに音響が映像の中に形を得るか、特に個人的な妄想じみた音やキャラクターといった虚構がいかにして現前性を獲得するか、に焦点を当てる。やや再整理を施せば、本稿で「絵と音の同期」と呼ばれるものは、第一に制作工程におけるずれが収束する過程を意味し、第二に、視聴者側において視聴時におけるずれを収束する過程を意味するだろう。
なぜこのずれの収束が『SHIROBAKO』において特徴的かといえば、本作が制作工程のドタバタを中心とし、また製作陣の間、原作者と監督の間においてさえ拭い去れない、印象や認識のずれをつぶさに追っているためである。しかし、私的な妄想が公的な音と映像へと結実するとき、ずれはたまさかに収束し、「現実に対して、キャラクター表現は浸潤して(にじみ出て)くる」のである。
しかし、ずれと収束という二極を超えた広がりを本稿はさらに摘出している。上記の現前性が生じる仕組みは反転して、私的な妄想が公的な音と映像を超えて「溢れ出す」ときの感動をも説明してくれることになるためだ。例えば作中作の映像に声優キャラクターである坂木しずかが声を当てるシーンにおいて、本作における宮森と画面の前の視聴者の両者にとり、坂木しずかの声というのはその不遇の歴史を背負った暁に形を得ることとなった声であり、そこに現れる以上に豊かな響きを持って聴かれることになるだろう。
この点は、本稿の広い射程を示す箇所であるので、ぜひ本文でお読みいただきたい。
(11)弾くこと、繋がること、触れること
『四月は君の嘘』論:あんすこむたん @deyidan
本評論では、『四月は君の嘘』は「つながり」の物語であるとされる。公生の演奏がかをりをはじめ、演奏者たちを鼓舞し、音楽へと向かわせた歴史が「つながり」であり、共感覚のような映像と音の共演もまた「つながり」である。さらには、教えあい-支え合うことで「ひとりじゃない」音を見つけることも、精神的な「つながり」を表すだろう。
とりわけ、『四月は君の嘘』は、「つながり」を作り出す「嘘」と「本当」をめぐる作品であるといってもよいだろう。ただし、それは「嘘」か「本当」かという択一選択の問題ではないし、「嘘」と「本当」がないまぜにされた未分の状態を希求するものでもない。本作品が示しているのは、「嘘」が「本当」を引っ張ってくる、その弾き方、つながり方、触れ方なのだ。
『四月は君の嘘』は、有馬公生が宮園かをりと出会うことで開始される。知ってのとおり、この出会いは、かをりの「嘘」が引き連れてきたものだ。もちろん、この「嘘」によって彼らの関係はなんら毀損されることなく、彼らの音楽へ向けて新たに躍動を始める。本評論の言うように、かをりは決して過去を振り向くことなく、公生の背中を、過去から逃げ出すことのないように、しかし今へと押しだす。それは、病床についてもはや弓を持てなくなったとしても変わることはない。「僕の中の君」は音楽を引き連れ、最終話付近、屋上においてたとえ無音しか奏でることが叶わなくなっても、嘘みたいに「奇跡」を連れてくることができるためだ。
「音楽というのはいいですね。嘘はつけない」とは、『響け!ユーフォニアム』の一節である。確かに、音楽には嘘をつけない。しかし、音楽を作り出すためには、とりわけ音楽を一緒に作り出すためには、嘘は避けて通れない。嘘が連れてくる本当、無音の中にある艶やかに色づく音。そんな日常に溢れる「奇跡」を集め、そんな「奇跡」を再度だれかに手渡すこと。過去に失われたものへの想いがこり固まってしまうのを避け、想いの再解釈と創造へとつなげること。過去の母親の「影」、 公生自身の「影」、かをりの「影」を忘れることなく、誰かの「影」になっていくこと。このいずれもが、音楽を聴き、弾き、つながる、音楽とともにある生に他ならない。
(12)視線を聴くこと、音を視ること
『坂道のアポロン』『四月は君の嘘』『響け!ユーフォニアム』論:Nag @nag_nay
(13)奥付・執筆者一覧
以上。
C88作業進捗報告(2)『PRANK! vol.1 ノイタミナ10周年評論集』DTP担当部分
来たるC88につきましては別記事で報告しておりますが、以下、下記(2)『PRANK! vol.1 ノイタミナ10周年評論集』DTP担当としての進捗について報告します。
※ 表紙は、むっくさん(@moochrlm)作
1、『PRANK! vol.1 ノイタミナ10周年評論集』全体イメージ
まだ未了ですが、左ページ肩に自作ロゴ、右ページ肩に作品タイトル的な感じでいこうと考えています。
時系列に沿った作品一覧表のようなものも作成してましたが、こちらはどう使うか検討中とのことです。(以下、一部拡大)
2、取り扱い作品ロゴ
見よう見まねで何個かロゴを作成したりしてました。
改善点などご意見などございましたら、ぜひお寄せください。
3、編集作業進捗
あとの作業進捗は羽海野さんへお問い合わせください。
ひとまず以上です。
Nag
C88参加・寄稿状況報告 +『アニメクリティーク vol.2.5 特集「蟲・生物・人工物」/アニメにおける〈音〉』原稿募集について #C88
来たるC88につき、Nag名義では、下記のとおりの参加状況となっております。
(1)新刊:アニメクリティーク刊行会『アニクリ vol.2.5』編集・DTP (※ 下記)
(2)新刊:M.O.M.発行準備組合『Fani通2014下半期』寄稿 (※ユリ熊嵐、蟲師、四月は君の嘘については、やや長文)
(3)新刊:羽海野渉さん『PRANK! vol.1 ノイタミナ10周年評論集』DTP担当
足を運ばれた際には、是非、お手にとってご覧くだされば幸いです。
以下掲題にもあります(1)『アニクリ vol.2.5』の内容・原稿募集要項について、アニクリ公式 と合わせて、告知いたします。
※下の挿絵はあめいも先生にお願いしました。
目下原稿募集中ですので、ぜひ参加表明・一報ください。
※7/7(火)追記:なお、『響け!ユーフォニアム』は非常に評判がよかったこともあり、原稿の集まり方次第では、二部の半分ほどを割いて特集にすることも検討しています。
※ 7/7(火)追記:参考文献一覧を追加しました。
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@nag_nayです。C88に当選したことを受け、掲題のとおり告知いたします。
1、企画概要・原稿募集
来る8月開催のC88における頒布を目指しまして、アニメ評論誌として刊行してきました
・『アニメクリティーク vol.1 特集 岡田麿里 「物語の終わり」/ゴースト』
・『アニメクリティーク vol.2 特集 虚淵玄 /〈彼方〉の思考 』
に引き続き、
・『アニメクリティーク vol.2.5 特集 「蟲・生物・人工物」/アニメにおける〈音〉』(仮)
の発刊を以下のとおり企画いたします。
主たる企画立案・編集・作業担当は、@nag_nay + @yopinari となります。
つきましては、以下のとおり原稿募集をさせていただきます。
日程が差し迫っており申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
(1)募集原稿:
アニメ作品のうち、「蟲・生物・人工物」、または、アニメにおける〈音〉に絡めて論じられるもの。二つの特集を接続するものも可(むしろ推奨)です。ジャンルとしては伝奇やSFを包含するスペキュレイティブ・フィクション一般で、特段の限定はありません。
対象作品の限定も同じくありませんが、主として考えている例は以下のとおりです。
【特集1の例】
・蟲師(劇場版含む)、攻殻機動隊(劇場版含む)、シドニアの騎士、イヴの時間(など、人間/非人間、生物/非生物の間を問うもの。主体の拡張、リダクションを伴うもの)
・純潔のマリア、プラネテス、コードギアス、ガンソード(など谷口悟朗作品とか)
・スペース☆ダンデイ(などメタフィクションもの)
・凪のあすから(など自然描写に妙のあるもの)
etc…
【特集2の例】
・響け!ユーフォニアム(など、音響監督に注目すると鶴岡陽太関連作品とか)
・四月は君の嘘、坂道のアポロン、TARI TARI(などいわゆる音楽アニメ)
etc…
(2)装丁など
オフセット印刷、A4、80頁程度で企画しています。
(3)募集原稿様式
a. 文字数:
①論評・批評 : 3000字程度から15000字まで。
②作品紹介・コラム: 800字程度から2400字まで。
b. 形式
.txt または .doc
c. 締め切り
7/15(水) ※ 校正期間が短くなりますが、若干のばすことは可能です。ご相談ください。
d. 送り先
anime_critique@yahoo.co.jp
※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。
※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。
(4)進呈
寄稿いただいた方には、新刊本誌を進呈(※ 進呈冊数は2を予定)させていただきます。
(5)参考図書一覧
ざっくり編集側で読みつつ、全体方針として参考にしようと思っている書籍を、軽いものから重たいものまで置いておきます。挙げられているものの他、おすすめ書籍などありましたら、ぜひ @nag_nay までご連絡ください。
また余力があれば、オフセットの本誌『アニクリ vol.2.5』刊行にあわせ、ここ1年くらいで刊行されたアニメにおける〈音〉に関わる書籍レビュー本作成も検討中です。
① 第一部
人工知能は人間を超えるか(松尾 豊)
記号創発ロボティクス(谷口忠大)
ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう(鈴木 貴之)
事実・虚構・予言(グッドマン)
世界の複数性について(ルイス)
瓦解した世界への倫理(マルガン)
断片化する理性(スティッチ)
神から可能世界へ(八木沢敬)
可能世界・人工知能・物語理論(ライアン)
動物を追う、ゆえに私は〈動物で〉ある(デリダ)
理不尽な進化(吉川浩満)
マクロ進化と全生物の系統分類
獣と主権者(デリダ)
② 第二部
瞬間と永遠 ジル・ドゥルーズの時間論(檜垣立哉)
シネマ(ドゥルーズ)
生態学的知覚システム(ギブソン)
ベルクソン=時間と空間の哲学(中村昇)
意識に直接与えられたものについての試論(ベルクソン)
マインド・タイム(リベット)
音響メディア史(谷口文和)
Sound Design(ゾンネンシャイン)
視聴覚融合の科学 (日本音響学会 編)
コンサートホールの科学(日本音響学会 編)
音楽はなぜ心に響くのか(日本音響学会 編)
セミオトポス10 音楽が終わる時(日本記号学会 編)
音と時間(日本音響学会 編)(※近刊)
2、その他、C88についてのご意見募集
既刊については『vol.2.0 虚淵玄2008−2014、〈彼方〉の思考』につき、再頒布を予定しています。
その他、以下の再販、
・『vol.1.1 劇場版まどか☆マギカ 最速レビュー』
・『vol.2.1 楽園追放 最速レビュー』
これらに準じるコピー本を作成するかも検討中です。
折しも細田監督の新作公開も近いことから、
「こういうのをあつかってほしい」など声がありましたら、是非お寄せください。
以上、どうぞ宜しくお願い致します。
5/16 蟲師 特別編 鈴の雫 視聴
バルト9、12:45の回「棘のみち」「鈴の雫」および監督コメントを観に行く。
『蟲師』を振り返って、別所に寄稿した文章から抜粋して載せておきます。
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「視えるものは、決して視ることのできないものの方へと絶えず引き戻されつつある」。
本作がもたらすのは、視えぬものへの否認でも抵抗でも諦観でもない。そうではなく、人と蟲、生と死、今と永き時の間を決して埋めることなく縮め、綻ばせながら縫う蟲師ギンコのあてどなさ(狩房淡幽に言わせれば「あてにならなさ」)こそ、本作がもたらすものである。
本作において人間は、山の前にあっていずれも卑小であり、世界に対して脆弱なものとして描かれる。災いにあっては足を折り、天に向かって祈ることしか叶わない。蟲師ギンコにあってもことは同じである。ギンコを含む人は決して、「私」を失ったヌシにはなりきれず、生死の境を失った蟲になることもない。
それでもなお、人は山の一部であり、数え切れない生と死の一部であり、気の遠くなるような永い時を統べる理の一部とされる。だからこそ、人は草木というモノの中にヌシの耳目を見ることができ、山々の間に木霊する「理」の声をときに聴くことができる。
おそらく本作の視聴者は、ギンコに自らを重ねるのでも、ヌシに身を重ねるのでも、ましてや「理」に自らを重ねるのでもないだろう。視聴者は、この茫漠たる世界に対してただ目を開き、その奥行きの豊かさや歴史的な時間の永さを見ることしかできないはずだ。そうすることで、自らの卑小さを前にして、そこにはおさまりようのない時間と空間の重畳性の中に入り込むことになるだろう。
それゆえにこそ、本作の視聴経験において「二つ目の瞼の裏側」という形象は際立つだろう。異なる世界に住まう異形のものへの畏怖と救いこそ、本作が指し示そうとしたものに他ならないためである。
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以下、当日の監督らのコメント中、気になったことを備忘としていくつか。
・作成経緯について:
もともと1時間枠になることは前提だった。そこで「日蝕む翳」同様に前後編に跨らせないで枠を取れないか考え、結果、劇場版として公開することになった。さらに劇場版ということになれば、蟲師 第1話「緑の座」で言われた本作のテーマであるところの時や場所の共有(の問い)の意味も考えられるだろうし、とのこと。
・「棘のみち」について:
同時上映の「棘のみち」については、「鈴の雫」での”みち”とは異なる”みち”についてのものだが、いずれも本作の根本的問題を扱うもの。同時上映できてよかった。音響は5.1chで録り直してるので、ぜひ劇場で聴いてほしい。
・今後について:
原作についてはこれで完了しているものの、「これで終わり」という気が不思議としない。いつかまた、5年10年先とは言わずに、戻ってこれたらと思う、とのこと(ちなみに、パンフレットにもある通り、同様のコメントが原作漆原先生からもあり)。サントラの完結版は7月発売。
本作において”終わり”なるものがあるとは思えないように、監督本人から”終わる気がしない”というコメントが出たのは非常に嬉しいところ。
追加エピソードであるところの「日蝕む翳」のように再会を期しつつ、本日はここまで。
文フリ 20150504 #bunfree
・夜ノ町
応用哲学会 シンポジウム 「復興にどう向き合うか」メモ
シンポジウム「復興にどう向き合うか」
1、松田;震災と時間
「大震災の発生時、ふだんは見えない社会の課題を示す窓が開く。その窓はごく短い期間に閉じてしまう。」(ノースリッジ大震災報告)
(1)復興「以前と以後」;震災の「影」
「創造的復興」の失敗
復興は数年間の課題となる。それに携わることに伴う事後負担 =「復興災害」by塩崎賢明
ex 制度問題;復興住宅返還、震災障害者、孤独死(医療機関からの日常的離脱)…
ex 疾病問題;震災とアスベスト、平時リスクの暴露増大
→リスクコミュニケーションの不十分さ、
「創造的復興」の2パターン
①開発復興…補助金が出やすい →利益の非被災者への移転・「置き換え」の問題
②原形復興…補助金がでづらい
「減災」という課題
(2)震災後も続く減災の課題;震災の「光」
「心のケア」
震災を契機とした防災や職業選択への好影響
体験の語り尽くしおよび日常における安全刺激へのチャレンジといった解決法
トラウマとPTSD;「過覚醒」「フラッシュバック」「凍りついた記憶の箱」
「ボランティア元年」
(3)一般化;「被災と復興」の時間論
①クロノス(反復と不可逆);自然災害の反復
②カイロス(忘却と露開);痕跡を抹消しないための「慰霊」「モニュメント」探索
③人間的時間(間主観的融合と乖離);解釈学的構築
Question; 未然に防ぐための時間論とは?
「二つの自己同一性」
①被災証明と補償にかかわる客観的同一性の風化
②シンボル化の転用;記録化による「記憶保全」
③経験や記憶の再構築による自己同一性統合の努力
「生起した事象はもとにはもどせない。しかし、現在と将来に不安を抱えながらも事実に向き合い備える態度をとること、たとえば、診断治療をはやめにうける意思決定に必要な材料や選択肢を記録は提供できる」
「人間の復興」のための「社会的共通資本」の活用
2、清水;距離の操作と越境の拒絶
(1) 物理的な距離をとること、詰めること(距離の操作)
清水が震災時に感じたLocated-ness(場所にあること)の感覚
※それとは別に公には喧伝される「絆」という言葉=「距離隠蔽」
※あるいは村上龍「危機的状況の中の希望」における「我々」と「距離による東京の安全性」の両立?
※さらには「東京オリンピック」における「私たちのニッポン」と「東京の安全性」の両立?
「距離さえあれば、連続性が遮断disconnectできる」という感覚だったのでは?
「距離計算」「距離をとれる能力」による安心志向
構造的に発生する「特権」としての距離選択能力、即ち、距離選択できない弱者への搾取。
距離を任意に操作できる「特権」により弱者が翻弄される状況にある。
(2)クィア理論と情動的転回
interactive、interconnective、permiabilityと関わる情動affect性
それによる触覚(視覚ではなく)の重要性
Irigarayによる「唇」=能動+受動の可逆性・浸透性・融合性
しかし問題はIrigarayが述べたのとは異なり、他者との接触における抵抗性により問題がある。
つまり、他者における抵抗の経験を抹消する結果を生じさせはしないか?
ButlerによるIrigaray批判のポイント;私の身体であるところの私の「他者性」。
Prosserによる解剖学的身体表面と感じる身体との分離の主張。
Ahmedによるまとめ;接触における潜在的抵抗の感覚としての「痛み」、これこそ「私」だ。
(3)接触と分離という両義性
「痛み」と特権的「距離」を放置してしまう事態はあってはならない。
「痛み」とは他者による越境拒絶の徴、
出現した身体における統合を押しとどめるもの
(※編者注;特権を途絶させるための保護)
「越境」と「越境の痛み」の双方に留まること。
コンフリクトに満ちた場に留まること。
いずれにせよ触れ合い、また触れ合わざるを得ない私が、その痛みにこそ留まるべき場がある。
3、金田(住職);心の救済と希望
(1)物語的存在としての人間
時間、空間、結束点としての私(私という「仮」の存在)
傾聴活動(未来をふくむ時間・空間にわたる声を聴く
(2)宗教経験としての震災
震災当夜;無常の雪、満天の星空、三陸の大量死体という宇宙的経験
宮沢賢治「なめとこ山の熊」;宇宙の彼方からの視点
職責の全うの困難性(教理教義では解釈できないもの)
49日追悼行脚での歌の選択ができない牧師
ナーガールジュナの認識論の現れに他ならない。
(3)心のための場を作る、Cafe de Monk
フランクルの遊び心?
公共空間では不況はしない。心のこえを聴く
自他の境界性を越えていく作業;自他不二
悲劇を慈愛で、智慧の自己転回見ることとしての慈悲。
傾聴空間の構築(禅堂、祈りの場、維摩の方丈)
「衆生病むゆえに我病す」を地でいく活動。
(4)創造される物語
位牌や数珠、地蔵といった精神風土が、物語を動かし、心をケアする。
精神風土=人がそこに過去に死んだ人、物語を見出すもの。伝統行事。
ex 一つの地蔵に、どの祖父母も孫の顔を、のこされた妻は夫の顔を見出す。
ex 灯篭がひとつの場所に集まったのをみて、死後の合一を見る
ex 三年目にはじめて咲いた花を見て死者との共存を見る
傾聴活動では答えを出さない(無言の会話でもよい)、待つことのできる場の設定
ケアの方法は、その土地の歴史や精神風土から生み出された様々な文化にある。
奪い、与える海。
4、討論
(1)「置き換え」について、補足説明。
地蔵のことででていたが、震災前の時点に、その戻れないときにどう埋めるのかが問題。
ひとつは宗教であり、臨床心理の問題、他方では金銭や権力の問題。
(2)トラウマからのケアとして哲学の役割について
(3)時間の構築・統合について、記録によって構築された記憶というのは、一人称単数から一人称複数、あるいは三人称複数への主体変遷がおりこまれているのではないか?
(4)「痛みの持つ多義性」というのは、「痛み」概念自体の多様性・多義性を、すこし縮減させていないか?
→ 接触における「痛み」を確かに「還元」をしているかもしれないが、政治的に考えていくときに必要なものだと考える。
(5)
3/25−26 民法(債権法)改正セミナー memo
1日目参加、メモ取り中。
資料は非公開とのことなので、関係資料のみ下記。
1、民法(債権関係)の改正に関する要項案 www.moj.go.jp/content/001127038.pdf
2、松岡研究室HP 改正・議論箇所一覧 http://www.matsuoka.law.kyoto-u.ac.jp/research/ReformDraftofJapaneseCivilLaw201502240324.pdf
3、