寄稿募集「アニクリvol.8.0 終わりを「旅」する少女」号 #bunfree #C94
Contents
1.批評
1_1 #宇宙よりも遠い場所 #yorimoi #よりもい
①すぱんくtheはにーさん『宇宙よりも遠い場所』論
Title:たった一つの冴えた、あるいは『宇宙よりも遠い場所』でいっぱいの旅
②Fordさん『宇宙よりも遠い場所』論
Title:彼女たちが踏み出す「最初の足跡」〜「宇宙よりも遠い場所」における「ふたつの成長」
③儚美behind.さん『宇宙よりも遠い場所』×『ゆるキャン△』論
Title:イマココのソーシャルアウト〜コンサマトリー化する物語
1_2 #ゆるキャン #Yurucamp
③儚美behind.さん『宇宙よりも遠い場所』×『ゆるキャン△』論
Title:イマココのソーシャルアウト〜コンサマトリー化する物語
④にしけんさん『ゆるキャン△』論
Title:次の日常へ
1_3 #少女終末旅行 #girls_last_tour
⑤みらさん『少女終末旅行』論
Title:崩壊する都市、懐かしい風景、終末を旅する少女
⑥あんすこむたん(でりだん)『少女終末旅行』論
Title:生きる/動く/遺す
1_4 #ヴァイオレット・エヴァーガーデン #VioletEvergarden
⑦SdRkさん『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』論
Title:火の捧げ物(La Part du Feu)ー「道具」から「自動手記人形」への旅
1_5 #キノの旅
1_6 #メイドインアビス #miabyss
1_7 #プリンセス・プリンシパル #pripri
⑧あんすこむたん(でりだん)『プリンセス・プリンシパル』論
Title:声と嘘
2.紀行
2_1 #ヨコハマ買い出し紀行
⑩wakさん『ヨコハマ買い出し紀行』論
Title:旅の目的地としてのカフェ・アルファー
3.対談
3_1 #宝石の国 ほか、アニメーション、ゲームなど
⑪Dieskeさん × tacker10さん『宝石の国』ほかゲームからVtuberまで諸々詰め合わせ対談。
Title:未定
取り扱い作品・人物:『宝石の国』、久野遥子さん、オライリー、『ワンダと巨像』、渡邉大輔さん、TPS、『NieR:Automata』、『INSIDE』、『EVERYTHING』、『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』、山下理紗、『螺旋のクオリア』、ハーツフェルト、『父を探して』、ノルシュテイン、『話の話』、『ゼルダの伝説』、『Moutain』、『人喰いの大鷲トリコ』、『FF15』、『スターオーシャン』、『ひぐらしのなく頃に』、『グランド・セフト・オート5』『Martin Cries(Martin Pleure)』、マノヴィッチ、押井守、リプセット、『ピノキオ』、『白雪姫』、猫宮ひなた、鳩羽つぐ、『ノーモア★ヒーローズ 英雄たちの楽園』、『リズと青い鳥』、月ノ美兎、キズナアイ、『エヴァ』、『きっと全て大丈夫』、フィルムロイ、『クリスティ』、『Moon』(以上、取り扱い作品・人物)
概要:※多岐に渡るため主題と節名のみ列挙
1、『宝石の国』のナラティヴと特異性
2、アニメとゲームにおける相違:視点、空間、情報、ナラティヴ
3、ゲームの現代性とリアリティ 「組み替え」、配置、動かされるこちら側
4、インタラクションを超えたゲームと評価の基準 実況文化と「切り出し」
5、現代アニメーションの二つの軸:自律的非人間とVtuberの肉体
終わりに 事後的に見出されるもの、呼び込み可能性=誰でもなさ性(No Man's Land)、時代性
(了)
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表紙はいつもの @konkatuman 、挿絵もいつもの @yopinari + @konkatuman です。
以下(掲載順とは異なりますが)寄稿紹介していきます。
①すぱんくtheはにーさん『宇宙よりも遠い場所』論
Title:たった一つの冴えた、あるいは『宇宙よりも遠い場所』でいっぱいの旅
概要:リハビリ経験が著者自身に与えた「身体の再獲得」という視点が『宇宙よりも遠い場所』のキマリたち4人の旅路に重ね合わせつつ論じられる。そこから「幸福な離散」のための旅というモチーフが浮かび上がる。旅を経てかけがえのない関係を彼女たちは確かに築く。しかし、旅は彼女たちの足場をさらに組み替え、そこから離脱してもなお共に「ここから」(EDテーマ)バラバラの旅を続けるための、最初の足跡(挿入歌「ハルカトオク」)として描かれる。旅とはリハビリの語源通り「慣れ」「住まう」彼女たちの可塑的足場だ。彼女たちはバラバラになり、失敗して転ぶために旅に出る。なぜか?失敗だけが一つならずの紆余曲折と(この私は)選ばなかった無限の別の道程を、共に旅した仲間たちと決して同じではない形にせよ分有させてくれるからである(了)
付記:すぱんくさんの論考にはtacker10さんからのレビューと応答、橡の花さんからのレビューと応答が付記されています。アニクリ7号台の『宝石の国』『ガンダムサンダーボルト』などに絡めて『宇宙よりも遠い場所』の論点について深掘りしてありますので、是非応答を含めてご笑覧ください。
②Fordさん『宇宙よりも遠い場所』論
Title:彼女たちが踏み出す「最初の足跡」〜「宇宙よりも遠い場所」における「ふたつの成長」
概要:キマリたち四人が個々の悩みを乗り越え「一歩踏み出す」青春物語として、各人の歩の進め方を丁寧に追う。しかしその一歩は所謂「成長もの」ではない。その一歩は、いわゆる「大人」になることで自分自身にさえ見えなくしてしまう傷を乗り越えるための仲間の存在を強く映し出す。単なる「普通」の一歩では足りない。その「普通」の先へと背中を押す。「普通」の解決と成長とされるルートがもたらす抑圧をも彼女たちは踏みつけ、投げ飛ばし、笑い飛ばす。だから、本作には「普通」の成長譚は描かれない。共にあることで初めて自分に向き合い、世界との間に横たわる溝を超えていける仲間との、いつでも初めての「一歩」先へと、彼女たちは歩みを進める。共依存的なものとは関わりなく、別々ゆえに「切なく」も、共にある「爽やかな」旅路として。(了)
③儚美behind.さん『宇宙よりも遠い場所』×『ゆるキャン△』論
Title:イマココのソーシャルアウト〜コンサマトリー化する物語
概要:第一話そして第五話のモノローグに現れているように、日常とは「淀んだ水が溜まっている」ようなものだ。だからそこからの解放が描かれるが、しかし、その「淀の中で蓄えた力が爆発して全てが動きだす」時に、画面のこちら側の我々の姿はといえば、動かず停滞したものではないか?否、そうであってはならない。我々は「○○難民」に酔ったり、コンサマトリーなミニマリズムに満足しているところから踏み出さなければならない。社会に出よ、とは逆向きに社会からの離脱は、同調や引きこもりによってでなく、共に同じ思いの下、ただ「同じ」なだけでもない旅の仲間と連れ立つことで成り立つ。抑圧と暴力が犇めく社会の中でも、自分の正しさを見つけるための、決して一人ではないがどこまでも個人的な歩みと目標にこそ、キマリたちの旅の達成がある。(了)
付記:儚美さんの論にも、すぱんくさんからのレビューとふるとさんからのレビューが寄せられています。合わせてご笑覧ください。
④にしけんさん『ゆるキャン△』論
Title:次の日常へ
概要:日常系の先にある日常系とは何か?『ゆるキャン△』は、箱庭的なゆるい「みんな」の中に潜む不自由さ(「みんなのこの関係はずっと変わらないよ」のきつさ)の先にある、個的でありつつ繋がりつつある「ゆるいつながり」を描いている。それは、例えばLINE的な画面の構成や、そこに送付されてきた最新画像がチャットルームの背景となる機能(現実のLINEには実装されていない機能)によって、時と場を隔てつつも、いつでもここからまた繋がりうることを巧みに演出しており、彼女たちの関係の微温性を描き出している。さらに本作はキャンプという非日常を日常と繋げることで、他者の細かな非日常を迎え入れる日常と、こちら側の非日常を支えてくれる他者の日常とを共に描く。公か私かという形で窮屈さが前面化する現代、泥酔する教員と一緒に焚き火をするという小さな「法外」のゆるさの重要性を映してもいるのだ(了)
⑤みらさん『少女終末旅行』論
Title:崩壊する都市、懐かしい風景、終末を旅する少女
概要:全てが崩壊した場所からみれば、過去はいつも新しく、未来は常に懐かしい。筆者が回顧する寂れた商店街の風景は、「本当にこれは私の記憶だったのだろうか」という問いに晒される。記憶は常に、実際には体験していない記憶が呼び覚まされたものかもしれない。他の誰かの記憶かもしれない。しかし、そうであっても構わない。なぜなら、それはまさに他者の記憶を垣間見、自らの予兆を形作り、時に心躍らせるものだからだ。記憶を記録することとはこうして、他者の記憶を自らに浸透させる過程となる。水が歌い、光は踊り、ネジがジャンプし、鉄の塊はその身を震わせる。一粒の水滴が水たまりに弾けて音楽を奏でる。夕日の光線はラジオの音と同期して彼女たちのリズム(周波数)を震わせる。「この旅路が私たちの家ってことだね」の言の通り、一瞬は永遠となり、旅は終わるまでは終わらず続くのだ。
⑥あんすこむたん(でりだん)『少女終末旅行』論
Title:生きる/動く/遺す
概要:彼女たちは廃墟の街を、食料を求めて進む。しかしそれは悲劇に満ちた凄惨な旅ではない。カタストロフ自体は悲劇ではなく、道を失った時に絶望は訪れる。ならば「絶望と仲良くする」方法を学べば良いし、旅にはそれができるのではないか。記録メディアのみならず、廃墟だって、墓だって、人工機械だって、物言わぬ過去からの遺骸として、ここにある。「終わりがあること」を持って生命だとするとともに、「生きるとは螺旋のこと」と呼ぶチトとユーリは、「終わるまでは終わらないよ」と宣言して進むのだ。チトとユーリの軌跡には戦車の足跡が刻まれる。しかし、チトとユーリの中にも、死した全ての人たちの遺物や、旅先で出会った人の残した「歴史の末端」は刻まれる。彼女たちもまたその末端を更新する。いかに小さくても他の誰かに刻むのは、メディアを再生する視聴者たちもまた同じであるように。(了)
⑦SdRkさん『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』論
Title:火の捧げ物(La Part du Feu)ー「道具」から「自動手記人形」への旅
概要:手紙は一人では書けない。本作では手紙が三人で描かれることを強調する。送り手、受け手、そして代筆者である。不可視の、卓越した、つまりは「人離れした」人形でなければならない。しかし、それは人以上に人でなければならない。未来の可能性を奪った過去を忘れ、あるいはその過去に囚われ、自らを後悔と絶望に焦がすだけのものには、人から人へ、そして自分から誰かへの「愛」を届けることはできないままにとどまるだろう。本作は自らを焦がす火とともに他者を照らす火を描く。末尾のヴァイオレットの花に落ちる朝露と、その中に燃えるように輝く朝日は、決してなかったことにはできない過去をこの今において同じく身を焦がす他者と分かち合い、時差をもつデッド・レターを届ける「人形」の役割を魅力的に描いている。(了)
⑧あんすこむたん(でりだん)『プリンセス・プリンシパル』論
Title:声と嘘
概要:自分が追い求めている願いを長く保持しておくのは難しい。抜け落ちるだけではなく色褪せることもあるし、不可逆に変形してしまうかもしれない。特に嘘が混じれば尚のことだ。決して道徳的な意味ではなく「嘘」が混入せざるを得ないところから始まるスパイたちを描く本作では、旅が容易に逃避に落ち込む様を描く。プリンセスの願いを、プリンセスの真意とともに守るためには、アンジェは自らの思いを描くだけでは足りない。カサブランカは逃げ場所じゃない。花言葉にあるように「高貴」で「純粋」で「祝福」をこれからも届けたいならば、それは単に無垢なだけでは足りないのだ。守られるだけの偽りの王女の下には「祝福」は決して訪れない。白くて黒い「嘘」を交えた、壁を乗り越えるための「嘘」が求められる。「嘘」の先のアンジェとプリンセスの掛け合いには、もう少しの猶予が求められる。(了)
⑨コラムページで『キノの旅』『メイドインアビス』論。
現在、『てるみな』『ぱのらま』論も準備中。
⑩wakさん『ヨコハマ買い出し紀行』論
Title:旅の目的地としてのカフェ・アルファー
概要:日常の埋め合わせとしての行楽地への移動は旅ではないかもしれない。旅が日常と非日常の往還として現れるとするならば。旅する者が全て動く者だとは限らない。旅は動かない者においても訪れる。本作で描かれるのは、物理的には旅をしないカフェ・アルファーの店主アルファーさんである。しかし、アルファーさんは動かずして旅をする。彼女はロボットの体を持ち、旅をする人であり、時間とともに成長し、老いを迎える人々をただ見つめている。彼女は人々と「同じ時代」の船には乗れない。それでも彼女は、変わりゆく人々をこちら側から眺めることで動かずして旅をし、旅する者はいつでも時が止まった日常であるカフェを訪ねることで旅をする。旅の目的地であり続ける「同じ」場所として、そうでありながら「無常」の場所として。旅はこうして古きの中の新たなものであり続けるのだ。
⑪Dieskeさん × tacker10さん『宝石の国』ほかゲームからVtuberまで諸々詰め合わせ対談。
Title:未定
取り扱い作品・人物:『宝石の国』、久野遥子さん、オライリー、『ワンダと巨像』、渡邉大輔さん、TPS、『NieR:Automata』、『INSIDE』
『EVERYTHING』、『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』、山下理紗、『螺旋のクオリア』、ハーツフェルト、『父を探して』、ノルシュテイン、『話の話』、『ゼルダの伝説』、『Moutain』、『人喰いの大鷲トリコ』、『FF15』、『スターオーシャン』、『ひぐらしのなく頃に』
『グランド・セフト・オート5』『Martin Cries(Martin Pleure)』、マノヴィッチ、押井守、リプセット、『ピノキオ』、『白雪姫』、猫宮ひなた、鳩羽つぐ、『ノーモア★ヒーローズ 英雄たちの楽園』、『リズと青い鳥』、月ノ美兎、キズナアイ、『エヴァ』
『きっと全て大丈夫』、フィルムロイ、『クリスティ』、『Moon』(以上、取り扱い作品・人物)
概要:※多岐に渡るため主題と節名のみ列挙
1、『宝石の国』のナラティヴと特異性
2、アニメとゲームにおける相違:視点、空間、情報、ナラティヴ
3、ゲームの現代性とリアリティ 「組み替え」、配置、動かされるこちら側
4、インタラクションを超えたゲームと評価の基準 実況文化と「切り出し」
5、現代アニメーションの二つの軸:自律的非人間とVtuberの肉体
終わりに 事後的に見出されるもの、呼び込み可能性=誰でもなさ性(No Man's Land)、時代性
(了)
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画像サンプル
さて、弊誌アニメクリティークでは、上記vol. 7.0の続刊となる、『vol.8.0 終わり(margin / no man's land)を旅する少女」号』を作成します。
前号vol.7.0号とvol.7.5_β号と関連した続刊として編んでいきますので、何卒どうぞよろしくお願いいたします。
1、検討・寄稿募集作品例:
「Cosy Catastrophe」を中心に、広義の「旅」概念に関連した諸作品。
ex. 「心地よい破滅」「ポストアポカリプス」アニメ
・宝石の国
・終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?
・灰羽連盟
ex. 2017-2018 「旅」アニメ
・宝石の国
・キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series
etc etc..
2、寄稿募集要項
(1)装丁・発刊時期:
オフセット印刷、A5、100頁程度で企画しています。
発刊時期は、2018年5月の文フリ(5月7日)を想定しています。
是非お気軽に参加ください。
(2)募集原稿様式
a. 文字数:
①論評・批評 : 2000字程度から15000字程度まで。
②作品紹介・コラム:300字程度から1500字程度まで。
b. 形式
.txt または .doc
c. 締め切り
第一稿:2018/4/8(日)
(※ 個別に連絡いただけましたら延長することは可能です)
(※ その後、何度か校正上のやり取りをさせていただけましたら幸いです。)
最終稿:2018/4/25(水)
d. 送り先
anime_critique@yahoo.co.jp
※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。
※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。
(3)進呈
寄稿いただいた方には、新刊本誌を進呈(※ 進呈冊数は2を予定)させていただきます。
3、企画趣旨
企画趣旨に先立ち、とりあえず、以下、TVtrope "Cosy Catastrophe"記事(※ Creative Commonsライセンス)全訳。
"It's the end of the world as we know it, and I feel fine."
— R.E.M., "It's The End Of The World As We Know It (And I Feel Fine)"
「心地よい破滅」とは Brian Aldiss による造語である。「心地よい破滅」の筋書きにおいて、(読者には慣れっこの)いわゆる「世界の終焉」が到来したそのとき、物語の主人公たちはこの破滅した世界を心地よく受け入れる。
もちろん、感染爆発や地球外生命体のほか核戦争のせいで一掃されてしまった有象無象の犠牲者たちには、誠にお生憎さまなことである。しかし、安全に済んだ、そしてごく普通の(通常)疚しさとは無縁の主人公たちにとって、「心地よい破滅」はまさしくチャンスなのだ。何しろそこでは仕事をしなくてよい。罪悪感を感じることなく高価な車を盗んでもよい。5つ星ホテルに忍び込んで寝たっていい。自分の周りで世界が崩壊していく様を横目に、束の間の寛ぎを得られる。そんな又とないチャンスなのだ。
おそらくのところ往年と比較すれば、物事は大してよくはないだろう。とはいえ全体としては、主人公たちの人生は十分に楽しく過ごせるものであるろう。とりわけ、あなたが犬を連れていた場合には。
もしかすると、主人公たちは道中よりあつまり、一緒に組んで、慎ましやかだけれどもそこそこ暮らしていける(継ぎ接ぎの)前-技術社会を作り直すかもしれない。
もしかすると、主人公たちのジェンダーが複数で構成されている場合、種を再生する義務を感じたりなどするかもしれない(にっこり)。
反対に、もしかすると、主人公たちは早晩、静かに、尊厳をたずさえ、人類の絶滅を受け入れることを学ぶかもしれない。
しかしいずれにしても、この世界の終焉は、いわゆる(絶望に彩られた)「世界の終わり」ではないのだ。
「心地よい破滅」ということで、穏やかな理想郷 Arcadia を期待してもらっても構わない。「心地よい破滅」には等しく、既存の何かを汚すこともなければ、新たに何かを作り出すこともないのだから。
なお、いわゆる「ゾンビもの」がメディアでこんなに人気なのは、おそらくこの「心地よい破滅」の比喩に起因しているのではないか?と記す人も数多い。「ゾンビもの」の筋書きにおいては、あなたは肉に飢えたグールの餌食として事切れる可能性が圧倒的に高いわけだが、(「心地よい破滅」と同様に)少なくとも現代社会の生活が押し付けてくる圧力と責任に直面する必要は一掃されるのだから。
「心地よい破滅」は、人生で抱え込むすべての圧力を落とすことまでは望んではいないが、望むことをやりたいとは思うような「現実逃避癖 Escapism」の高次の形態かもしれない。
あるいは、「心地よい破滅」を、終末もの After the End やスカベンジャー(ゴミあさり)ワールド Scavenger World と比較してもらいたい。一般的に「心地よい破滅」は、終末後の物資確保 Apocalyptic Logistics と連動している。その他、破滅後の民主主義 Disaster Democracy や失うものがない不安 Angst? What Angst? もあわせて参照せよ。
©️ tvtropes "Cosy Catastorophe"
http://tvtropes.org/pmwiki/pmwiki.php/Main/CosyCatastrophe
(underconstruction)