書肆短評

本と映像の短評・思考素材置き場

第11回神戸記念レクチャー「法と社会の発展理論を求めて 法哲学・法社会学・開発法学」より、5/31と6/3のセミナー部分。

 

第1: 5/31 B.タマナハ「法の歴史からみた法の本性についての洞察」


歴史的パースペクティヴを踏まえた法理論(法実証主義とは一線を画す法理論)の再構築を狙ったもの(※ペーパー見てあとから追記します)。
以下、講演で興味をもった部分のまとめメモ。


1、発表まとめ
 (※あとから追記)

 

2、当日気になった部分まとめ
・法システムは、規範や慣習、契約によってつくられる法、即ち現実の人によって生きられた1次ルールと、それを公的に承認し、状況に応じて変更し、裁定を加えるメタ的な2次ルールからなる。植民地法や国際法に見られるように、この法システムのうちの2次ルールは、法の享受者に対する便益付与と抑圧との間で揺れている。
・講演では、2次ルールから、法享受者が組織的・制度的に疎外される事態が何度も回帰することが指摘されていた。2次ルールが実在の人から独立に自立運用されることで、法の正統性が維持されるという効能とともに、法の形態の固定化、法へのアクセスの惰性化を招く。即ち「2次ルールの1次ルール化」である。
・私法的な調整を基礎にした自生的秩序への期待や権利の本質論への回帰は、むしろ2次ルールの1次ルール化を加速させている。法は(原則)最低限の権利保障とそれに基づく自由選択の帰結のみ見るために、それら個人の合理的な選択がもたらす2次ルールからの疎外を、ときに高度化・組織化しさえするだろう。
・その疎外は、国外の「植民地主義」が消え去っても、国内の「植民地化」を問題としてのこすだろう。だから、米国で、日本で、あらゆる国で、常に人は「法」が存在してもなお、「法システム」から疎外されつつある状況の中で、対応を迫られている。

 

3、私見
・法の享受者が2次ルールにたいしてアクセスできないように組織化が進んでいく、というのはそうだと思う。一方、この疎外への抵抗として、2次ルールへのアクセスを常時開け!という要求も、過大に思える。即ち、2次ルールとよばれてきた制度的「打ち止め」の地点を、所与の最終防衛点とすることなく分割・段階化していくことが望まれそう。
・法は(ハートが言うように)社会統治機能を持つ。この法の暴走を防ぐ正当化の限定がなされるだけで、積極的に法システムの暴走を防ぐ手法が開発されて来たとは言い難い。そのため統治性への抵抗というトピックが浮上したんだと思うけれど、抵抗が同時に2次ルールの複層化を再構築するのに役立ったとは今のところは言い難いようにも思う。
・民主主義という(簡素で単純な)正統付けプロセスは、選択の結果としての事実上の階層化を無視することができてしまう。細分化された決定手続きを導入することによって拡大してしまう差異へと目を向けさせ、その階層の再構築へと向かわせる議論として把握することができるのかな。
※統治として抵抗されてきた対象には二つ、規範が固着したものと、2次ルールが固着したものとの二つがある。けれど、後者への抵抗は、抵抗というよりは法内在的な

 

 

第2: 6/3 法曹養成と法理論:日米の法科大学院の諸問題と法理論の規範性


1、後藤昭「タマナハ教授のLaw School批判」
2、宮川成雄「日本の法科大学院制度にとっての意義」

 

【米国ロースクール問題】
①経済問題:学費高額化(500×3=1500万円の負債)、一般就職難(55%のみ職をえる)、法律職の職不足(LSによる過剰な供給)
②認証基準:学術研究成果の高度化、研究者の給料高額化
③格付問題:格付競争、免除の集中化、青田買い、
 →実務家訓練を、リーズナブルに提供できるシステムを、たとえ一部でも提供できないか?という問題

 

【改善の兆し?】
①学費競争が少し始まってきた。

②参入者の現象で競争の一部緩和が始まる事が予想される。

③一方で、LSの財政上の圧迫をも引き起こしている。廃止もするだろう。

 

【類似の問題と経緯の違い】

・学費:日本だと、88万円とか128万円とか。

・教授陣の利得 :学術的な研究に応じて論文執筆に充てる時間が大きくなる。学生への恩恵が小さい。教育への時間が少ない。

・教育の質に関すること :実務家を育てることと、理論面以外の技能や専門職の価値観を提供することを、もっと推進すべき。

・法曹養成のプロセス :

 

【提示された問題】

・法曹の数量問題/法曹の質

・社会背景としての弁護士・パラリーガルの地位の多様性/法曹が置かれている環境の差異

・試験のレベル感/法科大学院・学生・弁護士という各者内の市場競争推進の妥当性

・法曹業界内部における責任の押し付け合い?(弁護士業界、大学院、学生、法務省文科省…)/各主体の努力が自分達以外には理解されておらずに互いに努力が足りないと罵り合う状況


3、タマナハ「私のLaw School批判と法理論との関係」

【問題】
(1) 法と社会の関係は何か?
 事実としての社会と規範的法との密接な関連。ループ状の関連。また法とは、法律家によって作られるもの。社会構成主義的 social constructive なもの。
(2) 法律化像の変容?
 家を買う以上の金を払える人たちによる法律家像、これらの法律家によって法が作られることの意味はどういうものになるか?かつては誰もに開かれた法律家、という社会統合機能が在った。しかしいまやその統合機能が消えつつある。金がなければ法律家にならなくなる。
(3) 法律家の行動変化?
 経済的負担と法の形の変更の相互関連。借金を抱えて法律家になった人の仕事の選択はかつてとは異なる。法律家の行動への悪影響。専門職としての自由な選択、自由な口出しが出来なくなるのではないか?という懸念。客観的な階層などといった要素によって、法の中身によって変わってしまう。(ある種、国の中でも「植民地」化することすらありうる。)

【課題の抽出】
・公益としての「法の支配」とそれを担う「法曹養成」の関係。
・これまで着目されてきた法と他の社会規範(ex.道徳とか)との関係じゃなくて、法を作る社会制度・社会階層がどうなってるのかが重要。形だけ流入しても変わらない。運用や精神、事実が異なるので、全く別の現実を作り上げてしまう事態への対応。法と社会の近接テーゼ。
・組織が人を作る。人が組織を作る。その階層化、多様性など、代理・代表問題が起こる。

【回答】
・社会と法が繋がっている。そうでありつつ、法は準-自立的なもの。専門性や技術的な知識が駆動させる部分がある。だからこそ、その関連性を潰さず、支配化させずに、維持しなければならない。
・法律家は法を学ぶ過程で法の知識が内面化される。一方で、法は不確定性がある、開かれているので、そこでどういう選択をするかどうかも自分の選択に依存する。
・法律家はあらゆる社会・経済・立法諸々の状況を認識しつつ、状況に応じた選択をする。知識と技術との対応時にはperceptionに基づく解釈過程がある。法に対する「態度」の違い。
・「instrumental」な法のみへの注力の危険。だから、法を作るのはこれだ、という要素の特定というのは難しいけれど、法の次世代の「効果」として「何か」が訪れることはわかってる。現実としての社会状況と法だ。
・法の支配ということで、「社会の一般的な方向性」orientation に影響を与えるもの。僕もあなたも、つまり法が含まれるみんなの文化として、みんながもっているというものになる。法は、抽象的に統合化された「みんな」が期待する結果を継続してもたらせるところに基づいてはじめて、維持される性格を持つ。
ロースクールが「法の支配」がいきなり全てを壊す事にはならないだろうが、一つの方向がもつとまずい。具体的には「法の支配」の中身がすこし変わっていくんじゃないか。
・コモンロー文化と成文法文化の違いについて。そうはいっても現在の弁国ではほとんど制定法化されている。コモンロー分野の中心たる不法行為、契約、財産法でさえ、立法化されている。むしろ共通性の方が重要になる。
・fairnessとreasonablenessを充たす法という方向性を維持する事。それが現実にどのような形をとるかはものによる。その変容を取り上げる必要がある。