4/25 鈴木健「戦慄系宣言」講演 質疑メモ
まとめ忘れていた4/25鈴木健先生、『なめらかな社会とその敵』の発売に併せた講演会のメモが発掘されたので、とりあえず…。(Q5は事後に質問した事項)
Q1.) 『なめらかな社会とその敵』の作成経緯(19:40-)
・13年前、PICSYモデルは(シャワー中に)急に思いついた:
・元々は、ネットワーク(90'以降に割と流行った)を使った教育システムが出来るか?という問題意識から始まったが、その後、インターネットでどう社会が変わるか、という問題意識が失われていく時代でもある。
Q2.) 「なめらかな社会」とは何か?(19:45-)
(1)総論
・ベルリンの壁に象徴される「膜」原理ではない仕組み
(内外を分け隔てるオートポイエシス、ではない仕組み作り)
・膜の「息苦しさ」を可能な限り除去できる仕組みを考察していった
膜で考えて行くと、あるパターンの繰り返し、クリシェの繰り返し、その折衷案という3説しかなくなっている。それを越え出る仕組みを考えていた。
・境界を横断する「なめらかさ」を構想:
資源(メンバー・財・…etc…)の囲い込み(「ギャップ」作り)を外していくもの
ex.)偶然的に日本で生まれたならば?不条理な差異がただ生じて行く
→別方向だと、この差異を”フラット”にするという共産主義的発想がある(維持不能)
→多様性かつ自由な社会の像(お金、投票、戦争の形は変わるのでは?)
(2)具体化
・具体的には、
化学反応が膜を作ることで、膜が化学反応を維持させる
(自己維持システム=オートポイエシス)
設計の仕方によっては、一旦できてしまったこの膜以外のシステムを考察することができる
ex.)溜め込めない貨幣(投資貨幣)、委任が伝搬する投票(株主総会化)
・ex.):分人(分けられる個人)
ひとりの人が複数の存在によって成立している
「群れ」としての超個体=自己=分人
ネットワークにもかかわらずなんとか調和をしている状態として人を観念する
→かつては、個人(整合性)を採った方がたまたま効率(進化上の制約)だっただけ
→あるノードが極端に強くなってしまう場面(DNAを1bit書き換えるだけで大幅な変容を来す)を想定
→整合性・一貫性を持たなくてもよくなる仕組みへ
(3)まとめ
・想像力を働かせる事=公敵-公刑が存在しないことを受け入れ、私刑の集合として理解する
・非政治の理想=必然を作らない理想=偶有性を内包させ想像力を寛容するゲーム
・応用として、教育の画一性を除去する可能性:
Q3.) 政治について
・直接民主主義はいまいちな制度(鈴木健は採用しない。)
末端から中枢をいじれるようにするべき:むしろ媒介(議会)がなかったかのように扱うべき
・生命システムにおける「センサー-モーター」の回路をひたすら早く回すイメージ
Q4.) 戦慄系について20:30
・萌え(対象・インターフェースへの愛:要素還元と耽溺)の反対語としての戦慄
・戦慄(存在を通して非存在的な普遍的な概念とふれあえるもの)
(映像)(カントール/ヒルベルト/ゲーデル: チューリング)
・記述された自己と、記述を遂行する自己:相互還元不能が帰結する(停止問題:不完全性定理)
→これは限界を生み出す者であるという方法と、進化の条件であると考える方法がある
→生命や自己の定義によって、別の生命や自己への変容が生じるという事態
Q5.) 事後質問:
①「なめらかな社会」について:
プラス方面で繋ぐのは勿論よい。一方で、マイナス方面(負の負担分配)には過度に移転しない様な繋げ方が必要である。しかし、この問題は設計の方式でカバーできる問題である。
保険(フラット志向)とはことなる形でなめらかにする必要がある。
②「制度」の進化について:
制度」「自身」が学習する仕組みが必要である。
制度が、その土地やその時代の人間に応じて、最適化されるような運動を起こせないといけない。
それを止めてしまう様な考慮要素の固定化は望ましくない。
制度進化を起こす枠組みを内部に用意する事が必要となる。
③「政治」の考慮要素について:
政治におけるアジェンダ(それが物理的インフラ層と思想層の二元論を採用するものだとしても…)を限定する事によって、政治制度の進化は止まってしまう。
多様性を保持しようとするがために、均質化した静的な世界が志向されてしまう。
→現に存在する差異を保持しつつ、その程度に合わせた直接回路を実現するべきだろう。
→「終わり」を持たない政治制度を志向すべきである。
今見返すと、ざっくりと話をされていましたが、制度進化とセンサーモーター回路については示唆に富む含みが多かったように思いだされます。
あと、直接民主政を志向しているわけではないという言及についてはなるほどと思いました。