書肆短評

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11/4文学フリマについて。『Anime Critique vol.1』【特集1 岡田麿里2008-2011】【特集2 「物語の終わり」/ゴースト】にて、寄稿・デザイン担当 #bunfree

『Anime Critique vol.1』【特集1 岡田麿里2008-2011】【特集2 「物語の終わり」/ゴースト】の発刊に寄せて、寄稿しました。取り扱い作品の詳細は下記にて。 http://blog.livedoor.jp/anime_critique/ 

表紙はこんな感じ。『true tears』から乃絵です。 @yopinari さんにとても丁寧に作ってもらえました。

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創刊号は合計148ページとなかなか厚めの本になりました(9/1以降、本文を3名で作っていった割には、かなり厚い。)が、価格は本体600円(または諸々セットで700円?)を想定しているということです。

是非文学フリマ当日、オ-45まで足を運んでいただけたら幸いです。

 

以下、自分の寄稿内容・担当内容です。

 

①評論について

 下の方にjpgで載せた、目次のとおりです。自分の担当箇所は、濃いめの色の「●」が打ってある以下のものです。(個別の記事紹介は、記事の一部upとともに、追って行います。)

 

・【特集1】の内、以下の作品評

 (Outline)、『とらドラ!』、『true tears』、『CANAAN』、『放浪息子』、『フラクタル』担当:合計92,000字くらい

 (作中のセリフを用いた脚注が多いので、本文だけでみたら70,000字くらいかと思われます)

・【特集2】の内、以下の作品評

 『魔法少女まどか☆マギカ』、『EVANGELION/RE-TAKE』、(Appendix)担当:合計25,000字くらい

・巻末言:特集まとめ部分

・巻頭言の一部

・特集の接続のための文

 

②評論相互レビュー

 相互レビューとそれへの回答、という構成です。

 『花咲くいろは』、『あの花』評について、レビューしています。

 

③デザイン

 素人作業でアレですが、デザイン担当しました。寄稿と一緒の作業だったため、片手落ち箇所も多いと思いますが、開いていただけたら幸いです。

 本文の感じとか、つなぎの箇所とか、巻末とかは以下のような感じです。

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最後に、巻末言よりまとめになる様な部分を抜粋しておきます。どうぞよろしくお願いします。

 

---抜粋:巻末言より

 

「本号vol.1では、岡田作品とゴースト概念を接合することで、虚構に住まうキャラクターの眼から見えてくる、我々視聴者の実存に着目した。結びに代えて、このキャラクターの眼、視線について、簡単にまとめておこう。

 キャラクターの眼は、「この世界」に決して届くことのない、不可能な目線のことだ。視聴者である我々は「この世界」の内部から、視聴者の眼をもって物語に眼をやる。どこまでいってもキャラクターの目線は、視聴者によって見られたキャラクターの目線、という形で、対象化される。その過程は避けられない。だから、キャラクターの目線とは比喩以上のものではありえない。

 しかし、その視聴者の目線に取り込まれないものは本当に無いだろうか?揺れ動くキャラクターのもつ眼を、想像することはできないだろうか?

 この問いに本誌は肯定的に答えている。キャラクターの眼によってアニメの世界を見るとは、人間とキャラクターが一つの生を(不可能な形で)共有しているという寓話を生きることに他ならない。村上裕一氏の主張する「水子の生」とは、このような不可能な共有について語るものであった。

 キャラクターもまた、固有の「この生」と「この世界」の拘束に苦しんでいる。あたかも、人間が固有の「この生」と「この世界」の拘束に苦しんでいるように。そして、その苦しみだけは、人間とキャラクターとの間で、共有できるかのように思える。」

 

「もう一つ例を出そう。この眼は、歴史を見る考古学的視線とも並行的に捉えられる。

 (フーコー的な意味での)考古学的視線は、我々が生きる現在の歴史的条件を明らかにすることが企図される。そこでは「この世界」の成立と維持の条件、知と力と倫理とが探究されるはずだ。しかし、過去は現在を意味付けるためのものではないし、過去を救済するとは現在の「解釈」の内部に組み込むことではない、そのこともまた考古学的視線は教えてくれる。我々は過去の忘却に抗しなくてはならないが、同時に歴史を、ただ唯一の記憶に収斂させてはならない。「この世界」に回収してはならない他者をこそ、歴史において、見いださねばならない。だからこそ、考古学的視線は、過去を捉える目線となるとともに、系譜学的に過去をずらしていく視点と並走しなくてはならなかった。

 キャラクターもまた、「ありえた/ありえなかった」歴史同様に、我々の目線を逃れる。逃れることによって、自らの〈魂〉を開示する。つまり、キャラクターもまた〈私〉と同じように、避けようもない固有の死をその身に負っている、他の世界霊魂として現出しうるのである。

 本誌の随所に、ウィトゲンシュタインハイデガー、ないしデリダの痕跡を発見することは容易であるはずだ。本来であれば、この点は、より詳述されねばならなかったが、本同人誌の趣旨を越えるので、関連する理論部分は大幅にカットした。本誌とともに、この探究を共に進めてくれる読者がいてくれたならば、これに勝る喜びはない。」

 

「本同人誌は、@makito3の立案・特集決定・人選のもとで作成された、本人初の同人誌である。表紙は、@yopinari、全体のデザインは、@nag_nayが担当した。その他、文章校正につき、@sssafffが取りまとめを行った。9/1の会合の後、極めて短い時間の中で、原稿執筆がなされ、なんとか一冊の本に仕上げられたことは僥倖というほかない。本誌が、多くの読者に届くことを切に希望する。

 次号発刊予定は現在では未定であるが、現在のところ、特集としては虚淵玄作品を取り上げたいと考えている。読者の意見によって、具体的な内容を今後定めていきたいと考えている。」