書肆短評

本と映像の短評・思考素材置き場

寄稿募集:東京文フリ新刊「アニクリvol.6.5(本号) 特集〈アニメにおける線/湯浅政明+森見登美彦〉」 #bunfree

 

 

  • 彼ら[ドゥルーズ=ガダリ]が言う区分された空間とは、均質で、容積の計測することができる空間である。そこでは多様な事物がそれぞれ割り当てられた場所に配列されている。反対に、滑らかな空間は配置されていない。むしろ、それは連続変化のパッチワークであり、あらゆる方向に限りなく広がる。滑らかな空間において、眼は諸事物むかうのではなく、それらのあいだを漂う。つまり、固定された標的を狙うのではなく、通り道を探すのである。換言すれば、それは環境への視覚的ではなく触覚的な知覚をもたらすのだ。ティム・インゴルド(筧・島村・宇佐美 訳)『ライフ・オブ・ラインズ』160頁)

 

  

1、特集〈アニメにおける線/湯浅政明+森見登美彦発刊趣旨のさわり/かわり


この2019年2月初旬に話題になった小話を二つだけ。
一つは、①ビリビリ動画の新たなコメント表示機能(2019/02/01)、もう一つは、②AIによるアニメ生成・中割(2019/02/06)である。

前者①については、コメントの「弾幕」を避けてキャラクターを表示する機能として、『かぐや様は告らせたい』第3話ED「チカっとチカ千花っ♡」(2019/01/19放送)を用いて、1/29にビリビリ動画公開、2/1に技術的説明を含む公式記事で紹介された。

www.youtube.com

 

このコメントの(半)表示機能は、すでに現実の歌手のライブシーンなどでは用いられていた技術であるが、これまでのところはアニメーションコンテンツには応用されてこなかった。
ビリビリ動画(公式)によれば、この理由は、(1)アニメキャラクター画の多様性、現実の人物との違い、(2)アニメにおけるシーン・背景の複雑性、フレーム間の不連続性の2点にあり、これを克服するための技術的課題としてデータセットの作成と輪郭抽出・マスク作成(その滑らかさ)の困難があげられている。
この点につき、アニメOP/EDの定石ともなったダンスシーンで、この技術が応用されたのは自然な成り行きかもしれない。『かぐや様は告らせたい』第3話EDアニメ「チカっとチカ千花っ♡」では登場キャラクターが一人、カメラワーク/背景が単純であり、さらにEDダンスシーンゆえに、背景との関連性が小さく、かつ、ほぼワンカットで描かれインパクトが大きかった。これらのことから、2019年1月時点、本技術の紹介に最も適した素材として利用されたのだろう。

※ もちろん単純に、ロトスコープを元にスカートの翻りから皺の襞の動きまで緻密にトレースさえ、描き込まれた書記・藤原千花がとりあえず可愛いというのが初発であることは間違いないだろう。ただし、後述するように、ロトスコープは元々ディズニーの『白雪姫』で初めて用いられた際に、リアルでありながらどこかふわふわした運動性とともに、不気味で、グロテスクな印象を与えてしまう点が既に指摘されていた。この「リアルな印象」と「リアル」の差異についても検討の余地があるだろう。例えば下記記事を参照。

boid-mag.publishers.fm



※なお、完全に偶然だがビリビリ公式から説明記事がでた2019/02/01の同日、『かぐや様は告らせたい』公式から、期間限定で制作過程(原画845枚(中割参考含む))が公開されていたので、こちらを見ていた人も多いだろう。貼りはしないけれどもビリビリ動画ではまだ見ることができたり...

youtu.be

 

さて、話はここから。

【提題】

そもそもコメントをキャラクターの前に表示させるか、後ろに(半)表示させるか、そもそも表示させないか、つまり「この機能を使うかどうか」はユーザー側に委ねられている。ユーザーは、コメントによってキャラクターと背景が分割されることを強制されるわけではないし、コメント職人も「職」を奪われることはない。そうである以上、個人としては選択肢は増えこそすれ、奪われているものなど何もないかに思える。
しかし、今回の機能については、ニコニコ動画的「弾幕」や「職人」文化、あるいはMAD文化やコメント文化などに慣れ親しんできたと思しきアニメファンからの違和感が、少なからず観察された。これはなぜだろうか? 与えられた一つの画面への介入という点では既存のコメントの延長線上にあるにもかかわらず、このビリビリ動画における新たな介入手法は何が異なる(と感じられた)のか?

 

【仮説】

・一つには「制作者でも視聴者でもないプラットフォーマーが、画面への介入の仕方を規定した」と思われた点にあるのかもしれない。(しかしそれを言えば、なぜ制作者たちならば、あるいは視聴者たちならば画面への介入が許されてきたのかを省みれば、現在のアニメ制作/視聴環境に親しんだものたちの習慣でしかないようにも思われる。)


・あるいは、例えば絵画においてそうであるように「背景とキャラクターという分離すべきでないものを分離した」と思われた点にあるのかもしれない。あたかもキャラクターを物語世界から引き剥がし、コメントという舞台に載せたように感じられたように見えたのかもしれない。(しかし、キャラクターが作品間・メディア間で引き抜かれつつも同一性を保つ事態は、古くは二次創作の勃興以来、現在でもソシャゲ周りのコラボなどで広範に観察されるところであるし、そもそもあえて意識せずとも、キャラクターを突出したものとして認識する段階で一定の分離はなされているかもしれない。)


・いやそうではなく、「分割の仕方が単純すぎた」あるいは「もっとうまい分割の仕方があるはずなのに...」と思われた点にあるのかもしれない。(どうせ分割するなら背景とキャラクターだけではなく、各レイヤー間を自在にコメントが行き来できたら、Live2DやSpineのような2D立体化ソフト、カメラマップ/Light Fields技術のように介入の新たな展開として歓迎されたのかもしれない。)

youtu.be

 

※ もちろんアニメでこれと類比的なことを実現するためには、データセットが迅速に共有されることが必要であることから、(後述する『ずんだホライずん』のようにクラウドファンディングのリターンでデータセットを提供するような動きが広まる場合や、教育目的利用での提供の場合を除いては)実現可能性は権利上の課題から一般的には著しく低いだろう。しかし、プラットフォーマー側・視聴者側でレイヤーを操作可能にするアニメ作品が提供されたならば、その時のプラットフォーマー側/視聴者側による文化醸成がどのようなものになるのかは、興味深いところである。
※ なお、この点は、伊藤剛パタリロの住まう「場所」」(ユリイカ2019年3月臨時増刊号)における「コマ枠とキャラ図像の「あいだ」において、コマ内にサブフレームを構築するもの」としての(読者を宙吊りにする)マンガ表現と類比的かもしれない。

 

【解決の指針】

まとめよう。コメントを非表示にすれば制作者が期待した映像が、コメントを表示すれば視聴者側が作り上げた「ぼくらの(擬似同期の)映像」がある、と考えているのであれば、話をやや単純化しすぎているように思われる。実際には、映像配信もコメントもプラットフォーマーを媒介としており、視聴者側による介入可能性は、運営するプラットフォーマー自体の安定性に頼っている。動画プラットフォーマーの一翼を担ってきたニコニコ動画さえも、不振によりカドカワ社長が引責辞任する事態となり(2019/02/13)、先にあげたビリビリ動画でもまた、昨年来、アニメの大量削除、リアルタイムコメントの内容に基づく表示/非表示の事前規制(つまり厳密な意味ではないが「検閲」類似のもの)等、規制当局との「連携」の話題には事欠かない。GAFAをはじめとするデジタル・プラットフォーマー規制/デジタルレーニズムが同時並行する中で、アニメにおけるこうした「連携」への抵抗を、視聴者側における運営側への協働の中に探ることも、あながち牽強付会とも言えないのではないか。


2017年刊行の『アニクリvol.5.0 アニメにおける資本』では十分に展開できなかったこれら論点も、ここに再来しているように思われる。

nag-nay.hatenablog.com


...さて、あまりにも長くなりすぎたので、後者②については(名前どおりであることもあり)説明は省略する。下記の動画を参照してほしい。(2019/02/06)

www.youtube.com

 

 

※ こちらの実験は、「ずんだホライずんのデータをゲットできる特別コース:3万円」というクラウドファンディングのリターンとしてのデータを利用したとのことである。

 

アニメにおける作業効率の問題としてもしばしば取り上げられてきた中割り=動画は、3DCG側と2DCG側の研究が共に進んでいる分野でもある。これは単に原画の間を埋める作業が効率化しうる(可能性がある)点に加え、我々がアニメにおける複数の動き/リズムについての態度へと反省を迫る。
この点で、湯浅政明監督がFlashアニメでの制作に傾注していることは注目できるだろう。例えば、『夜明け告げるルーの歌』は全編をFlashアニメで制作しているが、日本での会話劇メインのFlash利用とは異なり、「異形」とされる何ものかや「異形」へと変身しつつある人間の姿、ある線と別の線との混交を軽やかに描き出す。

youtu.be

 

上記文献においてティエリ・グルンステンを引用しながら、伊藤剛は次のように述べていた。「「マンガは、想像上のデッサン」と、資料など「あらゆるところから切り取られた図像の再利用」からなると同時に、その混合の痕跡を見えなくするものだとしているが、「写真のトレース」とは、その再利用の痕跡を逆に痕跡としてみせることで利用するものと言えるだろう」、と。
アニメにおける中割りの自動化という問題は、ここでいう「写真のトレース」に相当する効果をもつものと考えることができる。「リアル」を写すものとも、「リアルな印象」を与えるものとも異なる、「リアルの特徴選択」の位置付けは検討の余地があるはずだ。

 

 

...ということで、次号『アニクリvol.6.5(本号)』は、〈アニメにおける線/湯浅政明+森見登美彦〉と題した特集としたい。
大仰に〈アニメにおける線〉と書くと、本邦のアニメは(通常)ほとんど「手書き」の「線」ではないか、とお叱りを受けるかもしれない(確かに典型的なセルアニメにおいては構造上、セルに引かれた線が重ね合わされることが同時に表面=画面の構成にもなる点が特徴である)。しかし、もちろん、これに例外が多数存在することは、コメントによる画面への介入や中割り自動化の例で、既に見てきたところである。加えて、前号、『アニクリvol.6.5_β』でも、アニメにおける文字利用の諸形態を概観することで、アニメを線に還元することの危険について検討してきた。

nag-nay.hatenablog.com


次号ではこの蓄積の上で、こうした線の連なりが作り出す運動の「リアル」についても、アニメにおける視線の問題(猫鍋奨励会さんの記事を起点に先日議論がおこった)作画崩壊と呼ばれる現象(dieske氏による記事を参照)モーションキャプチャの技術向上とVtuberの実存の問題(ナンバユウキさんが硝煙画報さんやユリイカにて分析している)なども合わせて検討していきたいと考えている。(おそらくはこの延長上に、(tacker10氏が年来着目されている)顔に刻まれる「皺」を線として表象することについても、検討の俎上に上る。)
とはいえもちろん、編者のこうした思いつきを超えた論点を抽出いただければ幸いである。

 

以上より、特集1では〈アニメにおける線〉に関わる作品を自由に選択し、寄稿していただきたいと考えている。この特集を顕著に示す例として、編者としては湯浅政明監督作品と森見登美彦の映像化を念頭に置いており、これらについても是非ご考察いただきたいと考える所存である。これが特集2を置いた理由である。

 

※ なお、本号と関連して、

付属冊子(コピー本) 特集〈バグ/サイバースペースの表象〉を、

2019/04/20 金沢文フリ...はさすがに無理がすぎたので、

『きみと、波に乗れたら』(2019/06公開)レビューと、本号(2019/05刊行)の振り返りを兼ねて、

2019/08/11夏コミに合わせて刊行したい。

(変更に伴い、付属冊子ではなく薄い本(A5/50頁程度を想定)にしたい。)

ご興味お有りの方は、4/18 23:59 7/10 23:59までに anime_critique@yahoo.co.jp まで何卒。

 

 


2、検討・寄稿募集作品例


湯浅政明監督作品
マインド・ゲーム(2004年)
ケモノヅメ(2006年)
カイバ(2008年)
四畳半神話大系(2010年)
ピンポン THE ANIMATION(2014年)
夜は短し歩けよ乙女(2017年)
夜明け告げるルーのうた(2017年)
デビルマン crybaby(2018年)
きみと、波にのれたら(2019年)※未公開

森見登美彦原作
四畳半神話大系(2010年)
有頂天家族(2013年)
夜は短し歩けよ乙女(2017年)
有頂天家族2(2017年)
ペンギン・ハイウェイ(2018年)

・アニメにおける線
(自由選択可)

 

3、寄稿募集要項


(1)装丁・発刊時期:

 各々、オフセット印刷、A5、100頁程度で企画しています。
 発刊時期は、2019/05/05、東京文フリです。
 是非お気軽に参加ください。

 

(2)募集原稿様式

a. 文字数:
 ①論評・批評 : 2000字程度から12000字程度まで。
 ②作品紹介・コラム:300字程度から1200字程度まで。

b. 形式
 .txt または .doc

c. 締め切り(第一弾)
 最終稿:2019/04/21(日)
 (※ 4月初旬にドラフト段階のものでもいただいてやりとりできましたら幸いです)
 (※ 個別に連絡いただけましたら延長することは可能です)

d. 送り先
 anime_critique@yahoo.co.jp
 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。
 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。

(3)進呈

寄稿いただいた方には、新刊本誌を進呈(※ 進呈冊数は2を予定)させていただきます。

 

 

以上