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【期間限定公開2】 アニクリ vol.7.0_2『メッセージ』『ブレードランナー2049』論:『ブレードランナー2049』の偽物の痛みと本物の救済(wak) #bunfree

新刊より一部紹介します。

なお、新刊vol.7.0全体目次は下記

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nag-nay.hatenablog.com

 

 

ブレードランナー2049』の偽物の痛みと本物の救済
かつて敗れていったツンデレ系サブヒロイン(wak)


「俺はお前たち人間には信じられない光景を見てきた。薄曇りの中、炎を上げるとうもろこし畑。降りそそぐ真夏の太陽の下、ひまわり畑の中で瞬く白ワンピースと麦わら帽子の少女。そういった偽りの記憶も時と共に消える。カリフォルニアに降る雪のように。俺も思い出にされる時が来た。」

 

 1982年に公開された『ブレードランナー』は、サイバーパンクにおける都市のビジュアルを決定づけた。2019年のロサンゼルスには、日本を始めとするアジアの街並みが混ざり合っている。雨によってぼんやりと光るネオン灯が照らすのは、多数の異文化が混ざり合う、戦後の闇市的な猥雑な都市だ。
 『ブレードランナー』では、人間(本物)とレプリカント(偽物)の差異は何かというテーマが語られている。しかし、問われているのは、人間と人間の間の差異でもある。デッカードが料理を注文する時に、「二つで十分ですよ」というディスコミュニケーションが発生する「怪しげな」アジア人と、他者への共感性を持たないレプリカントには、どこまで違いがあるのだろうか。冒頭でタイレル社の職員が行う人間とレプリカントを区別するための心理テストを、「二つで十分ですよ」と言い続けるアジア人の親父が受けた場合、彼は本物の人間と診断されるのだろうか。奇しくも、デッカードのような白人を本物とした場合、2019年のロサンゼルスにおけるレプリカントとアジア人達は、偽物というイメージが重なってしまうのだ。
 ネオン灯と猥雑な異国の文化が混入し、ネットワークに接続したハッカーがハッキングを行う都市では、何が本物で何が偽物か分からなくなっており、主人公が実存的な悩みを抱えている。概ね、サイバーパンクに関するイメージはこのようなものだろう。サイバーパンクが流行していた1980年代においては、異文化と密接に接続することはできなかった。物理的な距離と政治的な壁が立ちはだかり、現在のようにスマートフォンからインターネットを利用して気軽にそれを越えることもままならなかったものの、テレビがそれらを徐々に超えつつあった…そんな時代における想像力を、サイバーパンクは意匠としてまとうこととなった。そのため、ネットワークを通して混入した「異なる存在」が、猥雑で理解できない都市を作り上げるビジュアルが定着したのだろう。
 『ブレードランナー』における都市は、リドリー・スコットのオリエンタルな趣味が反映されており、現代の日本人である私が観ても、街並みにある看板に描かれた文章に特に意味を見出すことはできない。そこでの文字は背景にすぎず、コミュニケーションが可能なものではない。あのロサンゼルスに住む「二つで十分ですよ」の親父は、デッカードから見て粘り強くコミュニケーションを行う存在ではなかった。猥雑な街並みを作り上げたアジア人は、背景美術を盛り上げる存在でしかなく、特にコミュニケーションは求められていない。これは、レプリカントは偽物ではあるがコミュニケーションが成り立つことと対称的だ。つまり、人間とレプリカント、本物と偽物の区別が曖昧になる本作のテーマにおいて、人間であるはずのアジア人の方が粘り強いコミュニケーションに不向きだということこそが、それらの区別の曖昧さを浮き立たせるための前提をなしていた。
 しかしながら、Windows95の発売によってインターネットが世界中に定着した後、『ブレードランナー』のような街並みは成立していない。初めから、『ブレードランナー』における怪しげなアジア人達は、コミュニケーションが成り立つ存在であり、インターネットを通して現在に生きる私達は、既にそのことを知っているからだ。異文化同士のディスコミュニケーションが前提のサイバーパンクにおける都市は、皮肉にも、現実のネットワークが地球を覆い、異文化コミュニケーションが成立したことで、レトロフューチャーと化してしまった。想像上の2019年では可能であったあのような猥雑でオリエンタルな都市は、現実の2019年ではもはや、リアリティのある近未来SFとして成立しえないだろう。

 2017年秋、『ブレードランナー2049』を観た時に、筆者が最も驚いたことは、前作の猥雑な街並みを引き継ぎつつ、劇中に表示される日本語の文章が、日本人にとって意味が分かるものだったことだ。
 ロサンゼルス市警察に所属し、タイレル社が制作した旧型のレプリカントを始末する任務を行う新型のレプリカント・Kは、2049年のロサンゼルスに住んでいる。そこには、「ロサンゼルス市警察」「お酒」など、日本人が理解できる日本語が表記されている。彼が住むアパートの屋上にも、「アパート」というカタカナ表記の看板が飾られており、サイバーパンクにも関わらず、そこに表記された日本語は意味がないものではない。
 ドゥニ・ヴィルヌーヴは、『ブレードランナー』の続編を制作するに際し、前作の猥雑な街並みを引き継ぎつつも、コミュニケーション不可能な他者の存在を土台にしたオリエンタル趣味は引き継がなかった。同じく彼が監督をつとめた『メッセージ』において描かれるのは、単にコミュニケーションが不可能な相手ではなく、コミュニケーションを可能にしていく粘り強い他者である。サイバーパンクレトロフューチャーと化した現在において、何が反応かすら分からない異星人のヘプタポッドと2019年のロサンゼルスに住むアジア人を比べれば、アジア人とのコミュニケーションを描くことは、著しく容易であるに違いない。言語学者のルイーズ・バンクス博士の緻密なコミュニケーションを描いたヴィルヌーヴにとって、ヘプタポッドとは、(我々の文明レベルを大きく超え出ているために)潜在的にはコミュニケーションが可能でありながら、まだコミュニケーションが達成できていない(そして、もしコミュニケーションが叶ったならば、我々が別物へと変化してしまうような)他者なのである。
 『ブレードランナー2049』において彼が描こうとしたことは、コミュニケーション不可能な他者ではなく、偽物にすぎない主人公のレプリカント・Kと、彼のアイデンティティの関係である。

 

2.偽物と感傷マゾ

 Twitterにおいて、筆者の周辺で流行している「感傷マゾ」というキーワードがある。数年に渡って語られ続けた結果、当初とは意味が変遷し続けているが、「実在しない感傷的な思い出に耽溺するも、それは偽物に過ぎないのだとサディスティックな少女に真実を突きつけられる。それにより何かを選択する必要が出てきて、その選択と結果に付随する痛みなどの感情の揺れ動きを、偽りの罪悪感としてマゾヒスティックに消費すること」というのが、概ねの意味だ。
 感傷マゾに関して理解しやすくするために、本稿に直接の関係はない喩え話を語ることを許してほしい。
 例えば、あなたは青春時代にクラスメートの女の子と下校途中に制服デートをしたり、浴衣姿の彼女と夏祭りに行ったりするような経験がなく、青春が終りを迎えた後もそのことをずっと気にかけ続けているとする。社会人となり、独身生活を続けるには支障のない収入を得ているが、どこか心の片隅に青春時代をやり直したい欲求が、深夜の暖炉の消えかけた焚き火のようにくすぶり続けている。そんなあなたに、自身の脳内の記憶と願望を元に、理想の青春時代を再現するVRマシンメーカーが声をかける。「あなたの理想の青春を再現する、新製品のVRマシンのテストに参加してくださいませんか?」と。
 あなたは、最初は大喜びでテストに参加する。何度も寝る前に思い描いていた妄想を、実際に再現してくれる機会はめったにない。しかし、VRマシンにはバグがあり、仮想現実の世界に再生される理想の少女は、夏祭りの終わりを告げる花火が打ち上がると同時に、こう問いかけるのだ。「ここはあなたの妄想に過ぎない偽りの世界だけど、なぜ、あなたはあの時、私を夏祭りに誘う勇気がなかったの?」と。
 仮想現実内の理想の青春は、現実のあなたの記憶を元に再現されている。仮想現実の世界に住む幻の少女もまた、過去にあなたが遭遇した少女達から成り立っている。「あの時、もっと勇気を出して、あの娘を夏祭りに誘っていれば…」そういう後悔が記憶の底から泡沫のように浮かび上がり、顔をしかめた回数は数え切れない。しかし、後悔に後悔を重ねた上で、むしろ後悔そのものが快楽となってくるのだ。その上で、「仮想現実の少女とどう向き合うのか」という問題に対して、あなたが出した結論を少女は残酷に否定する。「結局、あなたの中には自分しかいない」と。そのようなメタにメタを重ねた否定や後悔に対して、マゾヒスティックな快楽を感じることが感傷マゾである。
 基本的に、フィクションのキャラクターやストーリー展開における救済に耽溺するも、現実の自分の人生は救済されていないことに絶望し、その絶望が癖になってマゾヒスティックにメタフィクショナルな妄想を行う、一部のオタク向けの概念だ。
 もちろん、唐突にスラングを導入したわけではない。『ブレードランナー2049』を読解する際、「感傷マゾ」という概念を思考の補助線として使用すると、理解がしやすくなるためだ。

 主人公のKには、複数の偽物としての属性が付与されている。時間軸と属性を元に整理すると、以下の通りである。

...(略)...

以下は節タイトルのみ。

1.サイバーパンクにおける都市

2.偽物と感傷マゾ

3.『メッセージ』におけるスクリーンの隠喩と、Kが選んだ未来

 

以上

 

 

新刊vol.7.0全体目次は下記

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