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【期間限定公開7】 アニクリ vol.7.0_7『Re:CREATORS』論 クリエイターとキャラクター あんすこむたん #bunfree

新刊より一部紹介します。

なお、新刊vol.7.0全体目次は下記

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nag-nay.hatenablog.com

 

 

 

クリエイターとキャラクター『Re:CREATORS』論
あんすこむたん #bunfree

 

 

 

はじめに

アニメ『Re:CREATORS』(以下、レクリ)は、単なるアクションものではない。テーマにおいて、アニメの需要、受容の現状や、産業としてのアニメを取り巻く諸現象をアニメ化することで、アニメを見ているこの我々がどのような者なのかを、極めて分かりやすく伝えている。中心をなすのは、やはり「承認」という観客や読者を巻き込んだ概念だろう。セレジアとの出会いから始まった彼ら被造物の闘いは、我々が住まう日本の商業アニメという土壌をも巻き込むものにまで発展する。


1、「承認」をめぐる闘争

「承認」という概念の応用範囲は、現代においては極めて広い。承認欲求というやや俗っぽい言葉から、多文化主義フェミニズムを背景とした承認まで、現在は「承認」が及ぶ領分を拡大させ、字義通り承認をめぐる闘争の内部にある。本作で扱われるのは、そのキャラクターがこちらを目差していると信じてしまうような、そんなキャラクターを成立させるに至る、私たち相互の間にある「承認」の力である。
さて、このことは、第1話から華々しく敵役として現れ、実は、その出自が二次創作に他ならなかったアルタイルというキャラクターにおいて顕著である。アルタイルは、二重の意味で出自がない。第一に、現実の人物ではないし、第二に、物語上にも根拠がない。アルタイルは、商業的クレジットを持たない二次創作作家(名は「セツナ」という。)によるキャラクターとして産み落とされた。つまり、起源はあれどその名はもたないキャラクターとしてそこにある。アルタイルは、世界における孤児なのだ。
本作は、この孤児たるアルタイルが、現実世界へと乱入するところから始まる。しかし、この乱入は、(現実的な意味でも、物語的な意味でも、はたまた『レクリ』というアニメ的な意味でもなく)アルタイルが、「承認」の物語を問う以上、必然なのだ。なぜなら、その孤児は、主人公、水篠 颯太(以下水篠)と、出会う前から分かち難い関係にあるためだ。
二次創作作家・セツナは、水篠と(ネット上の、ヴァーチャルな意味で)かつて懇意の中であった。その意味で、アルタイルは、自分の生みの親を失ったがために、養親というべきか、後見人に当たる水篠に会いにきたのである。あたかも、私があなたのお父さんですか、というような形で。
このように現実に死んだ人物から産み落とされた虚構のキャラクターが、その人物と関係を持った人々のところに、「承認」を求めてリアルに現界する物語として、『レクリ』の導入部は始まるのである。


2、「承認」による産声 アルタイルと初音ミク

このように、虚構のキャラクターが現実の世界に現れるという想像力もまた、現代においては、極めて広範に及ぶ。もはや古典となった初期の楽曲で「科学の限界を超えて私は来たんだよ」と歌う、電子の歌姫・初音ミクの現界を補助線にしつつ、キャラクターの成立場面を考えてみよう。
さて、『レクリ』において水篠が巻き込まれるに至った原因というのも、このアルタイルの出生に関係がある。アルタイルは生み出された直後、作者・セツナが自殺をしてしまったために、設定らしい設定はほぼない。それは、前提となる背景を持たない、いわば表面のテクスチャや輪郭に留まった地点から産み落とされたのだ。
実際、ここで初音ミクを思い出すのは適切である。初音ミクはクリプトンという会社が、特に物語性はなく生み出したDTM・楽曲作成ソフトである。その音声源(現実の出自)は、現実の人間(藤田咲)の肉声をサンプリングしたものだが、作曲行為自体は各人の自由に全く委ねられた。
ポイントは、その自由さにもかかわらず、初音ミクというキャラクターが、確固とした「初音ミクっぽさ」を形成しているという事実である。それは、現実の音の起源や、クレジット上の根拠に基づく強固さではない。例えば、音声的起源たる藤田咲は、当時は決して売れっ子ではなかったことから藤田咲以外の声優が声を充てることも十分ありえたし、そもそも初音ミクとしての声は、藤田咲という起源から離れて合成されミックスされることによって初めて初音ミクの声となる。その音声は、起源から離れることで初めて、きれいな形で生成されるといっても良い。さらに、もはや古典的トレードマークであるネギさえ、作者のクリプトンの着想ではないことも、起源からの離脱の傍証となる。設定らしい設定は無く「マスメディアや商業流通が関与しなくともユーザー同士の活発な自給自足によって(略)創出と受容」が生まれたことが、まずは着目されるべきであるだろう。
このように、設定を自由にすることによって、逆説的に「私たち」によって形成される理念は、初音ミクの制作を担当した佐々木渉によって「きれいな偶像性」と名指されている。批評家のさやわかはその言葉に注目した。すなわち、「きれいな偶像性」とは「ユーザーが自由な物語を降ろす依り代として最適化されている」ことを指す。
このような自由さを持つキャラクターについて、『レクリ』は、可塑的であり、変幻自在の潜在力を豊饒に持つキャラクターとして描いている。アルタイルは『レクリ』という物語内で圧倒的に強い。その理由は、そもそも二次創作で、物語が無く設定という縛りがほぼないために、(初音ミクのように)二次創作での様々な設定を取り入れることが可能な万能なキャラクターであるからだ。アニメでのセリフを借りるなら、「無色だったが故に二次創作の設定を無尽蔵に取り入れ、無敵に近いキャラクターとなった」ものとして描かれる。フィクションにおいて「承認」は力そのものなのである。


3、「承認」を起源へと還元するものたち 声オタ的「聞き分け」の換骨奪胎

ここで、総集編である第13話に触れる必要がある。そこでは、メタな発言や様々な趣向が凝らされていた。たとえば、そこでの問題提起の一つには、なぜアニメを見る時に音声に着目するのか、という問題提起が含まれている。
さて、この回の回想の一部は、メテオラの妄想が混じったものだ。妄想のメテオラは声も若干雰囲気はあるものの、姿も各々違っている。それでも本来のメテオラがナレーションをしていることによって、驚きはあっても、視聴者は混乱なく「これがメテオラだ」と判断できているように思われる。キャラを判別するとき、「声」でも判断をしている一例であるだろう。
しかし、このメテオラの音の源は、現実にはやはり二人いるのだ。水瀬いのり大原さやかという二人が、メテオラの声を充てる。この場面を見返した時、「あぁやはり二人だったのだ」ということにも、「ほとんど一人に聞こえたなぁ」ということにも、いずれも大した意味はない。重要なのは、アルタイルよりは起源がしっかりしていそうな(架空ではあれ原点である『追憶のアヴァルケン』という原典を持つ)メテオラもまた、起源を一つに定めることができないものであることが、ここに示されているためだ。アニメに於いては、キャラクターの本質を決める決定的要素を、輪郭にも、造形にも、音声にも還元できないということが、このエピソードの教訓として受け取るべきものだろう。単一化できない虚構的キャラクターの本質が、そこには現れている。

ED曲はそれにもまして重要性がある。ED曲でアルタイル「役」の豊崎愛生という名の声優が歌を歌う。アルタイルの心境を表しているように聞こえる曲を、声の発生源とされる声優が歌う。この第13話の回想の時点では、詳細には分かってないアルタイルの気持ちを、ED曲だけで補完するのは偶然ではない。さらには、ポカロ風の映像で歌詞が乗せられているのもまた、偶然ではない。
再度、さやわかから引用する。「初音ミク作品は、常に、初音ミクの声の裏にどのような楽曲が流されるのか、その曲に対してどのような映像が付加されるのか、場合によってはその動画にどんな字幕が乗せられるかを作者が恣意的に選んで結合させたマッシュアップ作品として現れている」。これはアニメに於いてこそ現れる。アニメは本質的にマッシュアップとしてそこにある。
先に検討したメテオラにおいても同様であるだろう。究極的には、アニメに於いては画面がホワイトアウトしたとしても、メテオラの声が聞こえれば、そこにメテオラがいるとわかる。反対に、何も喋っていなくとも、メテオラの造形を持つキャラクターが描かれれば、メテオラがいるとわかる。さらには、メテオラがいきなり人間じみたその造形を仮に失ったとしても、メテオラならばいうだろうセリフを口にしたなら、メテオラであるという前提を我々はその画面に仮託する。
宝石の国』第3話を思い起こされたい。あれを初見で見た人は、まさにあのナメクジ状の物体がフォスフォライトであると信じるに足る力を感じただろう。少なくとも、ダイヤを筆頭とした彼女たちが、ナメクジ状の物体をわが同胞の成れ果てだと感じたリアリティを感じただろう。造形も、描線も、声もまるで違うものたちが、アニメに於いては同じキャラクターだと扱われる。このことを思い起こさねばならない。あるいは『宝石の国』にも関与した久野遥子の『Airy Me』をも、ここでは念頭に置かれたい。そこで問われているのは、我々は、何を同一のキャラクターとして名指しているのかという、我々自身の視線なのである。

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以下、章立て


4、「承認」を求めるものたちへの対抗
5、「承認」から遠く離れたものたち
6、「承認」によって生かされたものとその死


以上--------

 

 

 

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