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【 期間限定公開3】アニクリ vol.7.0_3『メイドインアビス』論 上下・生死 反転・逆転する世界 あんすこむたん #bunfree

新刊より一部紹介します。

なお、新刊vol.7.0全体目次は下記

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nag-nay.hatenablog.com

 

 

 

上下・生死 反転・逆転する世界 『メイドインアビス』論
あんすこむたん


1、時間の反転


 第1話のラストシーンで示されるのが、「ここはどこか」という問いへの道半ばの答えといえようものだ。かつてそこへと姿を消した母のナレーションとともに、アビスと呼ばれる奈落が、どこまでも底なしに、下へ下へと続いている様子である。
 下に行けば行くほど、「遺物」と呼ばれるものの「貴重さ」(文明の発達度)が上がっていく。これは、我々が日常的に出会う地層とは逆の働きを持つ証拠だ。通常であれば、現在に近い浅い遺物こそが先進的であり、その下にはより原始的な歴史の産物が堆積し、層を成すはずだ。たとえ、失われた過去文明という言葉に甘美で深遠な響きがあるとしても、過去の遺物は地層を掘れば、知られるべくして姿を現す。もし失われた過去文明があるとしても、その下には過去文明のそのまた前の原-歴史があるはずだ、というわけだ。
 しかし、アビスにおいて事は別だ。アビスにおいては、掘れない地層の下にこそ、未知の空間と時間がある。それは死んで固定された積層でも遺物でもない。それは歴史の遺物ではなく、今なお生命活動を続ける、現在の我々には手がとどかない未来の片鱗なのだ。そちらは、我々の文明を超え、我々の言語や欲望や信念を超えている。「呪い」に現れているように、そこでは我々の姿形といった第一次性質さえ変容可能なものとなる。私は私の身体さえ超え出てしまうのだ。
 いわば本作でいう「遺物」とは、未来から浮き上がって来たあぶくのような存在だ。未来の彼方から、それは現在にやってくる。アビスの淵・オース周辺に属するそのあぶくたちは、現在にほど近いところにある。それが故に、なんとか到達可能な未来の予兆である。未来のその底に届かないのは我々の足が遅いからではなく、我々の力が足りないからである。そこは危険に満ち、日常ならざる稀な、危険な生物と遭遇する可能性が上がり、底は未だ掘り崩せない。現在においては掘り崩せないそのものこそが、未知の未来と呼ぶにふさわしいものだ。

2、上下の反転
 リコは、自分の母親であるライザが残したとされる封書を受け取る。リコはそこから「奈落の底で待つ」という言葉を、自分に充てられたメッセージとして受け取り、自分が発見した(あるいは発見された?)ロボットとしてのレグとともに、アビスの底への冒険へと出発する。
 アニメに限らず通常、「上」はプラスのイメージを、「下」はマイナスのイメージを強調する作用を持ってしまう。しかし本作では、設定においても画面においてもこのイメージが見事に反転することになる。一般にアニメにおいても、カメラワークによって「キャククターの心象を映像から分析できる」ものであるにもかかわらず、本作では構図が綺麗に反転していることは、本作を見る上で常に頭に入れておく必要がある。
 深遠の底は、オースの民にとっては恐れの対象でありながら、時にアビス信仰の名の通り崇敬の対象である。下を見る視線というのは、無気力さの表れではなく、未だ見えざる深遠を渇望する意欲の表れなのだ。さらに、リコにとっては、自分よりも先の時間を生きる母親を探す旅であり、自らの出生の地へ向かう旅でもある。リコの信念に従うならば、レグにとっても、アビスの底への沈滞は自分の記憶を探す旅であるのだ。下を見るというのはすなわち未来に向けられた活力に満ちた働きを指すのだ。
 EDアニメーションにおいても、アビスの底へと降りていく様子が明るい音楽とともに描かれているのは、一つの象徴である。
 この反対に、上に引き返すことは希望への飛翔ではなく、安全なオースへの帰還でありながら、「上昇負荷」「アビスの呪い」というペナルティを受けることを意味する。上への目線は不安の目線だ。リコから見れば、母親や自分の出生から逃げることをも意味してしまう。上を見るというのはすなわち現在のまま、現在の存在だけに安住したいという逃避の表れに他ならない。

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以下章立て

3、 屈折/不屈の反転
4、生/死の反転
5、希望/絶望の反転


以上--------------------------------

 

 

なお、新刊vol.7.0全体目次は下記

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