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書肆短評

本と映像の短評・思考素材置き場

アニクリvol.6.1「夜は短し歩けよ乙女+四畳半神話大系特集(仮)」の発刊について:2017年文フリ #bunfree

1、検討・寄稿募集作品:

 

(1)夜は短し歩けよ乙女

(2)四畳半神話大系

 

2、寄稿募集要項

 

(1)募集原稿:上記2作にかかる評論、批評、二次創作等々

(2)装丁・発刊時期:

 モノクロ小冊子、A5、28頁程度で企画しています。
 発刊時期は、2017年春の第24回東京文フリ(5月)を想定しています。

(3)募集原稿様式

a. 文字数:
 ①論評・批評 : 3000字程度から15000字程度まで。
 ②作品紹介・コラム:500字程度から2000字程度まで。

b. 形式
 .txt または .doc

c. 締め切り
 第一稿:2017/5/1
 (※ 個別に連絡いただけましたら延長することは可能です)
 (※ その後、何度か原稿の校正上のやり取りをさせていただけましたら幸いです。)
 最終稿:2017/5/5 

d. 送り先
 anime_critique@yahoo.co.jp
 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。
 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。

(4)進呈

寄稿いただいた方には、新刊本誌を進呈(※ 進呈冊数は2を予定)させていただきます。

 

3、企画趣旨代わりの小噺がてら

 

 思い出せば随分昔のことになるのでしょうが、一つ大して気の利かない小噺を思い出しましたので、一つお耳汚しをば。

※ ちょうど高校2年生の夏になるでしょうか。私は当時東北の仙台で、凡庸極まる夏休み期間を過ごしていたのでした。高校からはじめた弦楽器が滅法に面白く思えた私は、起きてから寝るまでの間、空いた時間は殆ど楽器にしか触らないような生活を送っていたのですが、その甲斐あって、(今考えれば)随分面倒見の良かった先生に、随分なご厄介をかけるようになっていました。
 今となっては動機が何だったのかは最早思い出せません。あえて思い返そうとするならば、私を見兼ねた先生が仰ったのだと、「どこか興味のある大学のオープンキャンパスにでも行ってきなさい」と、その先生はただの一学生を広い学内から探し出して、わざわざ最上階の(音が響きづらい)倉庫兼部室にまで言伝に来てくれたのだと推し計れます(もしそうでなければわざわざは遠出しなかったくらいには不精かつ音楽に没頭していたために、そうとしか思えないのです)。

 当時の先生を美化するべきなのかどうかは、いまになっては判りかねます。ギリギリとはいえ既に21世紀でしたから、某省的な圧力があったのかもしれませんし、そもそも「オープンキャンパス」というような軽薄な響きのイベントごとに当時の私が勇んで参加したかすら定かではありません。その証拠とはいえませんが事実として、結果としては、私はその年の大学のオープンキャンパスには参加しなかったのでした。
 しかし、ならば全く徒労とも言えようことに、私はその年、私の記憶が正しければ(オープンキャンパスが終わった後の何もないはずの)京都大学に足を運んだのでした。それは紛うことなきことなのです。

 今となってみれば、オープンキャンパスは大学の主たる宣伝場という印象が強いかもしれませんが、21世紀初頭にあっては、そんな横文字は大して耳慣れた文字列ではなかったはずです。ともかく、そんな行事が催されているという話を耳にし、Windows98搭載PCで検索をしていた記憶が蘇ります。ただし、調べた結果としてはオープンキャンパス自体は残念ながら開催日を終えていたのでした。
 では諦めるかといえばそうではなく、その当時の私は「とりあえず見てくるか」という心算で青春18切符を買いに行ったのです。一つのことを始めると融通が効かずにそのまま事を続けてしまうという悪癖が露出したものと思い出されますが、そこは高校二年生で、明くる朝には仙台から京都に向けての出立のため、家をあとにしたのです。
(あまりにも唐突だったためか、父親が職場から渡されたはずの携帯電話を急ぎ私に渡す羽目になり、それによって仙台で働く父親と首都圏の若い女性との密通の事実を期せずして知ることとなりましたが、未だその事実は露見していないはずでしょう。何事にも正負の側面というものがあるものです。)

 そんなこんなでかつては定期便であった「ムーンライトながら」に揺られ京都に到達し、ユースホステルを起点として、大学巡りをすることになりました。同室のよくわからない大学生ら(思い返せばオタクっぽかった。)と話したり、同世代の女学生(なぜあの時期に京都に来ていたのかは全く不明。)を駅まで見送ったりしたような気もしますが、それ自体はまぁ通り一遍の対応で済ませたような気がします。
 一つ残念なことに、無鉄砲な私は(オープンキャンパスどころか)偶々お盆休みにかぶる時に大学に向かってしまったようで、図書館にも入れず某寮への侵入も失敗したりと散々な目に会いました。とはいえ、キャンパス内を目的なく徘徊していると、いかにもな大学生や研究者の方々と思しき人々とすれ違うことで勝手な納得感を得ていたような気がします。

 さて、思い出した小噺というのはここからです。
 その足で、出町柳に向かって歩いていた時、「もし」と声をかけられたのでした。「もし」と声をかけられること自体が(当時ですら)風情があったもので振り返ると、そこには女性が一人、日傘を傾けて立っていたのでした。
雪駄を履いた(なぜ雪駄かといえば、下らないことに私の通う高校に「下駄禁止」の規則があったため。)、見た目はズダ袋にしか見えない帆布リュックを背負う若者にわざわざ話しかけなくてもいいように思うのですが、何故かその人は私を引き止めたのでした。まぁ、東北の片田舎からやって来た洗練されない少年と言うのは、いかにも安全そうに見えるものでしょう。
 「綺麗な人だな」というのがこちらから見た第一印象で、立ち止まって話すとどうやら地下鉄の駅に行きたいのに迷っているという話。「私自身も所謂お上りさんなのですが」と言うと、「では一緒に参りましょう」という始末で、「ははぁこれが出来すぎた話というやつか」と思いつつ、彼女を今出川駅までお送りした次第です。
 道中ニコニコしながら歩む彼女に「京都の方なのですか?」と頓珍漢な質問(京都人なら迷うわけなかろう。)をする私に、「いえ、普段は大阪の方に住んでおりまして」と彼女は言う。「なるほど、では今日は偶々なわけですね」と返す不甲斐ない私に、「そうですね、今日は親類の関係で来ておりまして。私自身は仙台から来たのです」と彼女は返す。
 「なるほど遠い地だから仕方ないですね」と応じつつ、あれ?と思って「私も昨日仙台から来たのです」と付け加えると、先方の顔は見る見る内に綻び、私が通っていた学校(仙台第一)とほぼ同名の学校の名(宮城一女)を、通っていた高校として挙げるのでした。
 そこから先は、随分いろいろな話をしたような気がするのですが、あまり覚えていません。覚えているのは、先方が仙台の好きだった菓子屋の話などをするのを、大して上手くない相槌とともにうんうん頷くことしかできなかったと言うことくらいです。

 世が世なら、と言うか、私の歳が歳なら、それはとても『夜は短し歩けよ乙女』調だったと言えましょう。実際には「黒髪の乙女」とは些か言いづらいものの、お話しさせていただいたお相手は、白髪混じりでありつつ背筋がピンと張った、初老ではあれ美しい女性ではありました。連絡先すら聞くことはできず(21世紀初頭はそういう風習さえなかった。)、何度もお辞儀をして階段を降りる彼女を、私は今出川で見送ったのでした。
 今思い返せば、その女性の向かうべき場所は今出川駅から直通で行ける場所ではなく、やはり私には荷が重かったガイドだったわけですが、スマホもなく、当時は道を尋ねるべき歩行者も少ない(そんな時がかつての御所付近にまだ在ったのです。)まま、ともに見知らぬ京都の地であれこれと考えあぐねて照りつける日差しの中あるき回ったその日の記憶は、ふと意識に浮上してくる記憶の一つとなっているのです。

 その後、私は京都の大学と東京の大学(どちらも馬鹿みたいに古い寮があって、とりあえず生活はままなるだろうと言う)のいずれかを選択するにあたり東京の片田舎の方を選んだわけですが、『夜は短し歩けよ乙女』の、恐るるところなしとばかりに進む「黒髪の乙女」を見て、あの時の「袖振り合い」感を僅かながらに思い出したわけです。

 私たちは「袖振り合って」どこに行くのか?どこに行くことができるのか?『四畳半神話大系』での遅々とした歩みとは裏腹に、『夜は短し歩けよ乙女』では軽快に「乙女」が進んでいきます。御都合主義と言う揶揄すら届かぬまま、彼女は歩みを進めるのです。酒場から宴会へ、宴会から舞台へ、舞台から四畳半へ。惨めさなど些かも感じないまま、感じさせないまま。イメージからシンボルへ、シンボルからメタファーへ、彼女はくるくる変わる背景の中をずんずんと進みます。

 私たちはどこにいるのでしょう?どこに行くことができるのでしょう?そんなことを思いながら、私は「袖振り合う」数々の人たちのことを思うのです。また、そんな数々の人達の袖振り合った数々の人たちのことを、訊きたく思うのです。本作において寄稿を募集すると言うのは、そう言う問いの下にあるように思えてならないのです。

 

以上