書肆短評

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アニメクリティークvol.5.5 「新海誠/君の名は。特集号」発刊告知 #bunfree #anime_critique

2016.11.14 書影案(表紙案)更新

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君の名は。』特集号を発刊します。寄稿者等計15名参加、記事数は22本予定です。

以下の通りです。

 

 

1、コンテンツ

 

1.) 『君の名は。』読解・解説・批評・評論等 ×11本

2.) 『君の名は。』コラム ×4本

3.) 追録小説『君の名は。』 ×7本

 ※ 各評者による自身の評論+『君の名は。』への導入となるショートショート

4.) イラスト (作成中)

 

 ※ 東京文フリ11/23(水・祝日)頒布

 ※ A5, 100ページ: 頒布価格600-700円予定

 

 

2、寄稿者・参加者

 

1.) contributor.
 @WataruUmino , @wak , @totinohana , @tackerx , @SpANK888 , @narunaru_naruna , @Mrbitss , KH, @kei_furuto , @frenchpan , @diecoo1025 , @deyidan , @burningsan , @AmberFeb201

2.) illustrator.
 @yopinari , @konkatuman

3.) editor.
 @Nag_Nay

 

 

3、sample. 追録小説

 

i.) かつて敗れていったツンデレ系サブヒロイン (@wak) | Twitter

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ii.) なーる (@narunaru_naruna) | Twitter

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iii.) バーニング (@burningsan) | Twitter

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iv.) 偽うみのわたる@文フリ東京 カ-39 (@WataruUmino) | Twitter

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v.) ねりま (@AmberFeb201) | Twitter

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vi.) すぱんくtheはにー (@SpANK888) | Twitter

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vii.) tacker10 (@tackerx) | Twitter

 (under construction)

 

 

 

4、sample. 評論等

 

i.) かつて敗れていったツンデレ系サブヒロイン (@wak) | Twitter

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ii.) ぱん (@frenchpan) | Twitter

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iii.) K.H.

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iv.) 古戸圭一朗@3日目東U24a (@kei_furuto) | Twitter

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v.) バーニング (@burningsan) | Twitter

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vi.) 香川に行ったあんすこむたん(旧でりだん) (@deyidan) | Twitter

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vii.) なーる (@narunaru_naruna) | Twitter

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viii.) ねりま (@AmberFeb201) | Twitter

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ix.) すぱんくtheはにー (@SpANK888) | Twitter

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x.) Dieske (@diecoo1025) | Twitter

 (under construction) 

 

xii.) tacker10 (@tackerx) | Twitter

 (under construction)

 

xiii.) (No name)

 (under construction) 

 

 

評論・コラムは、『君の名は。』に関する読解・解説・批評・評論等を含む。
その直後に挿入されている追録小説は、各評者による自身の評論+『君の名は。』への導入となるショートショートとして補録された。なお、TwitterにおけるSS例を念頭に 140×6字=840字 の制限の下、執筆を依頼している。

なお、本冊子は、アニメクリティーク vol.5.0 「アニメにおける資本・文化・技術/不条理ギャグアニメ」 特集号(近刊)との連関を意識して作成した。アニメ制作工程にあらたな潮流を導入した製作者としての新海誠の顔とともに、アニメクリティーク vol.5.0をあわせて参照されたい。

 

 

以上 

 

 

 

------------以下、公開時 8/27 における寄稿募集文など

 

1、刊行趣旨:寄稿募集に際しての若干のメモ

 

2013年10月のたそがれ時、自らの片割れに逢いに行くために、彼女(の身体をした彼)は疾走する。しかし、自らの片割れに出逢ったがために、彼女は「あの人の名前が思い出せないの?」(=「彼は誰?」)と叫ぶことにもなる。というのも、そもそもたそがれ時に逢えるのは、この世ならざるものであり、此岸と彼岸との距離を隔てたものだからだ。
・・・
ではなぜ彼女は、現実には不在である存在を思い出すことができるのだろうか?
忘れてしまった何か・何処か・誰かを覚えていられるというのは、それが錯覚でなければ、一体どのようなことなのだろうか?
あるいは、現実に生きる私たち視聴者は、同様に知らない者を記憶し、知らない者の名を呼ぶことは(オカルト的な意味ではなく)本当にできないのだろうか?

 

(1) 『君の名は。』:集大成/新境地としての二面

1−1: 連続性

上記のたそがれ時を跨いだ場面には、既存の新海誠作品と『君の名は。』を繋ぐ時間的遅延・空間的距離のモチーフが現れている。
作中で述べられているとおり、たそがれ時は彼岸と此岸を繋ぐ時間であり、世界には存在しないはずの魔に逢うことのできる場である。そこで彼女は、彼女の世界には存在しないはずの彼に出逢う。山を降りた今や名前も思い出せないけれども、自分の「半分」をなしていた誰かに彼女は確かに出逢った。その記憶だけが、彼女の今(作中2013年10月)の衝動を支えている。
・・・
物理的な距離を隔ててなお自分とはもはや決して分離できないくらい距離が近づいた他者、下手をすれば何年何十年と不意に記憶を苛み続ける確固とした他者のモチーフは、『秒速』や『ほしのこえ』でそうであったように新海誠作品を要約する時の一つの常套句として通用するものと思われる。
実際、本作においても、「あの人の名前が思い出せんの!」と叫ぶ忘却の直前、爆破シーンにおいて勅使河原との会話で「(「ごめんやって」て)私が!」と述べていたのは、その片割れは「私」と未分の他者だからである。そんな他者がいた確信すら残らない過去の引っかかりとともに、大人になった今(作中2021年時点)でもまだ、彼女は自らをそんな誰かに投じ続けている。
だからこそ作品冒頭、美しい街の風景を背景とした「気づけばいつものように」「私は誰か一人を、一人だけを、探している」という二人のモノローグの重なりは、既存の新海誠作品を想起させるに相応しい場面の一つであるだろう。

 

1−2: 断絶

そんな既存作との連続性に対する予感を裏打ちするように、彼女たち二人をつなぐ携帯電話というガジェットは、いつもの通り不通である。相互通話は不可能で、互いの携帯に入れたアプリ(オンラインストレージ上)にメモを保存しておくことができるだけだ。この、2つの一方通行のコミュニケーションもまた、新海誠的であるとされやすいかもしれない。
・・・
しかし、ここで既存作との一つの断絶が走る。というのも、この不通はいつもどおりの設定考証にとどまるものではないためだ。
本作においては、携帯電話は最初から一度たりとも通じたことがない。そのため、彼女たちは、かつて通じ合った(と相互に信じた)関係の不在に縛られているわけではない。つまり、携帯電話の不通は、(不通の)ガジェットが表していた過去を表す物ではない。この点で、過去の呪縛に焦点が当てられていた既存作とは一線を画する。
本作で彼女たちは別の仕方で繋がっている。例えば、糸守町の風景画によって、油性ペンで引かれた名の痕跡によって、名でさえない衝動を伝えるだけの「好きだ」の文字によって、そして何より形に刻まれた意味や歴史を失ってしまった遺物たる組紐によって。
もちろん、名前ももたないただの線の痕跡など、結びつけられるべき場所を持たず、容易く失われてしまう。脳状態に書き込まれなかった記憶が保持しえないように、あるいは現実との整合を持たない夢は、夜を明かせば早晩(いつか)消えてしまうように。それでも彼女たちは、決して現実にはありえなかったはずの記憶の場所を手繰りよせようともがき続ける。満員電車から身体を押し出す際の自動ドアもまたある意味でそうであるように、引き戸を(手前側ではなく)奥側に開け放つ時、彼女たちは自らを焦燥とともに世界に押し出している。

 

1−3: 喪失の記憶、喪失されつつある記憶

このようにして考えていくと、時間的遅延・空間的距離という常套的なモチーフとは異なり、本作にはもう一つ、新たなモチーフが読み取りうるかもしれない。そのモチーフとは、「喪失の記憶」というモチーフである。それは、何かを失ったという喪失の記憶であるとともに喪失されていく記憶であり、失ったものが何なのかさえ忘れてしまう喪失の記憶である。「忘れちゃだめな人」を忘れてしまう喪失であり、記憶が絶えず薄らいで、幸福な時間が絶えず失われてしまう世界を忘れてしまう喪失である。
・・・
作中に「今はない景色」という言葉がある。それは、よく描けているかつて在りし牧歌的な糸守の景色であるとともに、「東京だっていつ消えてしまうかわからない」カタストロフの悲劇の風景でもある。これらの景色は、しかし実は常に一つである。美しい景色は次の瞬間、突如として悲劇の中に落ちて消えてしまうかもしれない。むしろ、悲劇が悲劇として理解されるからこそ、記憶は容易く埋没し、風化してしまうのかもしれない。例えば図書館に山と連なる本の中に埋もれてしまうように。
喪失の記憶を強調する本作は、確かに糸守の悲劇を「夢のように美しく」に描いている。しかし、その美しさに魅了されるだけで背景世界にアクセスせず、過去の記憶を反復することに拘泥していたならば、既存作品における背景美と変わるところはなかっただろう。本作では、彼女たちは背景に介入する。幻想的な美しさの中にあった残酷さに対して抗うことにこそ、彼女たちは衝動を持つに至る。
美しいのは、背景の美しさに抗い、美しさの中にある(妄想にすぎないかもしれない)歪さへの衝動を持つ彼らである。(その点では必死な滝について放っておけないという奥寺先輩のセリフは、我々視聴者の視線を先取りしているのかもしれない)。
・・・
もちろん、その衝動さえも、大人になってしまえば容易く失われてしまう。彼らはもはや2013年の出来事の当事者ではないし、ほとんどすべてのエピソードを忘れている。そうして忘れ去って誰しも大人になり、衝動を失った今(作中の2021年)になってみれば、奥寺先輩の言うように「君も幸せになりなよ」と言葉を投げかけることは容易にできる。できる、のだろうけれど、それでも幸せが何かを知るには誰もが多くを忘れすぎているのではないかという思いに、彼女たちはとらわれざるをえない。

私の片割れを、たそがれにおいて、それと意識することなく、「いつ失われるかもしれない」都市で探さざるをえない。これは呪いだろうか?祝福だろうか?

 

(2) フィクションを通過するという「ヒジョウな幸運」?

 

さて、以上のような長々しい本作のパラフレーズは、オタク的な妄想だろうか? あるいは新海誠による呪いのようなものだろうか?
そうではない、と筆者は感じる。これは非常な幸運なのだと筆者は信じる。

流れ、つまり「ムスビ」を保持することは苦しい。知っているはずの通学路を知らないかのように振る舞うこと、知っている人を知らないかのように取り扱うこと、忘れちゃいけない人に忘れたかのように出会うこと、自分の名前を知らないかのように返事をすること、そして「まだ知り合ってないのに(名を呼んで)会いに来る」こと。これらはどれも不合理で、現実にそぐわない振る舞いで、フィクションでしかありえない。有り体に言えばそのフィクションは(勅使河原のいうmulti-verse並みの)オカルト的妄想にすぎない。

それでもこんな妄想は、現実でしかない他者との間では辛く、まだ見ぬ(虚構の)他者との間では「大変な幸運」なのだ、と言うのが、本作から読み取りうる寓意であると筆者は信じる。
・・・
たとえその妄想が非情なカタストロフの希求であったとしても、その世界が美しいと思えるのは、絶えず失われつつある何かへの衝動を呼び起こさせるからだ。そして、何かに取り憑かれたかのように、既知の事実を掘り起こすのは、そこに「今はない景色」、つまりかつてあったかもしれない景色や未だあったことのない、尋常ならざる景色を重ね合わせてみることができるからだ。
こうして黄昏の妄想は終わりに抵抗する。終わりが始まることにも、終わりが終わることへも抵抗する。名を呼ぶことで既知になる何かに抵抗している。
・・・
君の名は。」の句点もまた、「君の名は(宮水三葉)」と呼ばれてしまうことへと抵抗している。命名儀式に対して抵抗している。すでに知り合った既知の人を、名前なしに呼ぼうとする衝動だけが、その言葉にまだ滞留している。
映像そのものは「君の名は。」に始まり、「君の名は。」で終わる。そのラストが、その句点の手前に留まったことは必然である。
・・・
筆者はここにフィクションのキャラクターの救いを見る。彼女たちは自らの片割れの名を知らず、現実の我々以上に片割れに出逢い損ねている。私たちがフィクションを既知のものとするより先に、彼らはフィクションの側に進んでしまう。
それでも彼女らが幸運なのは、その名指しえないフィクションを真に受けることができるからだ。その不合理な衝動こそが、現実に生きる私たちにとっては「今はない景色」である。
だから我々視聴者もまた、フィクションを現実的な形で思い起こさねばならない。フィクションの中に閉じこもるのではなく、より多くのフィクションに身をさらさなければならない。そしてより多くのフィクションを通過して、より多くの景色を眼差さなければならない。

そう信じつつ、以上を刊行趣旨としたい。

 

(3) 寄稿募集

そんな救済をめぐる物語として、私は『君の名は。』を観た。そこに既存の新海誠作品との断絶をも見た。しかし、この見方については異論も予想される。例えば次のようなものが一案としては考えられよう。
・そもそも新海誠を論じるにあたっては、映像をこそ(あるいは『ほしのこえ』以降からほぼ全作にわたって続く映像の作り方の変化をこそ)論じなければならないのではないか?
・本稿冒頭にある疾走にしたって、運動表象として論じなければ手落ちなのではないか?
・あるいは、主観ショットが三人称のショットに移り変わる定位置回転の構図こそが、彼女たち二人のストーリーラインと画面との照応関係に立っているのではないか?
・既存の新海誠作品との連続性をむしろ強調すべきではないか?「失われつつある記憶」のモチーフは、『秒速』以来の十八番ではないか?
・あるいは、もはやMVを思わせる挑戦的な音楽の導入については触れなくてよいのか?
などなど、ざっと思いつく異論反論はこのようなものが挙げられるだろう。
・・・
編集側としてはいずれも尤もだと考える。それとともに、問題だと感じるのは、これらの問いを整合的に掛け合わせ、蓄積する場所が(少なくともWeb上では)僅少なことにある。そもそも統合思考に乏しいツイッターは時とともに流れさってしまいがちだし、思い出して見返そうとした時の一望性にかけるきらいもある。何より、著者たち相互の間で意見をぶつけ合う場の設定が、なかなか困難になりがちな点も指摘できるかもしれない。
可能ならば、弊アニメクリティーク誌が(実際既刊の編集過程で意見照応をさせ、可能ならば本誌に反映させてきたように)意見を闘わせる場所になれれば、と考えている。アニメクリティーク誌は、次号『アニクリvol.5.5_β 新海誠君の名は。』特集を文フリで無事出すことができれば、丁度3年目を迎えるとともに、計9冊目の刊行となる。長い間弊誌を支えてくださった寄稿者諸氏・読者諸氏に改めて御礼申し上げるとともに、広くご協力を仰ぎたい所存である。

以上を踏まえ、各人それぞれの観点を伴った論争的な寄稿文を、以下の要領に従い募集したい。

 

 

2、寄稿要領

 

(1)発刊趣旨

 以上の通り。

(2)装丁・発刊時期:

 オフセット印刷、A5、60頁程度で企画しています。
 発刊時期は、2016年秋の文フリ(11月)を想定しています。
 

(3)募集原稿様式

a. 文字数:
 ①論評・批評 : 3000字程度から15000字程度まで。
 ②作品紹介・コラム:500字程度から2000字程度まで。

b. 形式
 .txt または .doc

c. 締め切り
 第一稿:10/1
 (※ 早めが嬉しいです。ただ個別に連絡いただけましたら延長することは可能です)
 (※ その後、何度か原稿の校正上のやり取りをさせていただけましたら幸いです。)
 最終稿:11月上旬

d. 送り先
 anime_critique@yahoo.co.jp
 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。
 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。


(4)進呈

寄稿いただいた方には、新刊本誌を進呈(※ 進呈冊数は2を予定)させていただきます。

 

以上