書肆短評

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告知、アニバタ Vol.9 [特集]けいおん! & たまこラブストーリー寄稿

たつざわさん編集の『アニバタ Vol.9 [特集]けいおん! & たまこラブストーリー』に拙稿が掲載の運びとなりました。
http://www.hyoron.org/anibata9

 

タイトルは「物語(ラブストーリー)の外にあるもの---宇宙、遠近、大人」というストレートなものとなりました。内容としては、たまこともち蔵、二人のラブストーリー(としての成長譚)とは別の線として、トレーラーなどで導入される「宇宙の入り口(から足を踏み出すこと)」、「近くて遠い(距離を生き抜くこと)」、「(後悔をなかったことにしない)大人になること」というテーマの意味を検討しようというものです。

 

ざっと本稿の見立てを以下。本稿の見立てでは『たまこラブストーリー』においては、「変わりたい」もち蔵と「変わりたくない」たまこが対立しているという訳ではありません。つまり、最終的にたまこが「変わりたい」もち蔵の側へと移行した(京都駅で追いついた)という訳ではありません。二人は共に物語(ラブストーリー)に絡めとられすぎていて、自らが置かれた時間や歴史に対する考慮を無視してしまっているように思います。性急な決断は「変化」や「不変」という相反するスローガンとは裏腹に、それらのスローガンはともに二人の歴史を無時間的に固定してしまうからです。いわば二人の「変化」も「不変」も、ともに時間を無化するものといえるでしょう。

「いつも」から始め、「変化」も「不変」も含み込みつつ、絶えず積層・風化されつつあるまだ見ぬ「いつも」の動的な生成。この動性をこの今の瞬間に一挙に折り畳んでしまう愚をどのように脱し、どのように新たな時間と歴史へと自分を押し開くか。牧野かんなの立ち居振る舞いを梃子に、この問いへの向き合い方を検討するのが本稿の趣旨となります。

 

その意味で、本稿は『アニバタ Vol.9』では第四部「家族・大人論」に置かれていますが、第三部「日常・時間論」、第五部「みどり・かんな論」にもテーマをかぶせつつ、両者の間をつなぐ論として読んでいただければ、と思う次第です。

 

なお、もともとタイトル別案としては、「物語の前で考えること---By always thinking unto "construction".」というのも候補に挙げていました。
たまこラブストーリー』冒頭に出てくるニュートンの言を捩ったもので、あまり直截的でないという理由から不採用ということになりましたが、constructionが「construct(建築:かんなの建築志向)」と「construe(言葉の組み立て:視聴者の解釈志向)、二つの意味を兼ね備えていることから、本稿の要約としてはなかなかいいのではないかと思っています。
読み終わった後に、成る程ね、と言っていただけたら嬉しい限りです。

 

最後に、本稿で読者への謎かけとして提示した問いだけ、ここに抜粋しておきます。

「一つの物語がそこにあるとき、われわれは新たな歴史へと編み込まれる糸を組み込むことで、この現在の「いつも」において、新たな「いつも」を再構築しなくてはならないのではないだろうか。このプロセスに生きることこそ、物語を脱してなお編さんを繰り返す物語、物語なき物語の原理(プリンシプル)ではないだろうか。そしてこれこそ、「By always thinking unto them.」、「いつもその(建築 construction の)ことばかり考え
ていた」かんなの示した、(宇宙の)時間、(近くて遠い)空間、(大人という)様相を貫く物語の原理(プリンシプル)ではないだろうか。われわれは、「By always thinking unto
them.」という言葉とともに、物語にちりばめられた構造の解釈 construction を再構成しなければならないのではないだろうか。」