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6/7 哲学・社会思想学会 シンポジウム「ネオ・プラグマティズムの現在」野家、井頭、大河内

 

http://www.soc.hit-u.ac.jp/~soc_thought/conference.htm

 

1、野家啓一反自然主義としてのプラグマティズム


(1) プラグマティズム自然主義の「密接」な関係と即断されたもの?

[a.古典的プラグマティスト]
・パース  :反直観、可謬主義、探究共同体
・ジェームズ:多元主義
・デューイ :保証された(warranted)主張可能性
 →証拠+改定可能性、という道具立て
 →ダメットの(真理条件意味論に対する)主張可能性条件の提示

[b.ネオプラグマティズム
・ここから派生した「ネオプラグマティズム」:
 ①第1世代:ウィーン学団の米国への流入・影響
  クワイン、グッドマン、ホワイト、セラーズ、(C.I.ルイス)
 ②第2世代:
  ローティ、パトナム、バーンスタイン
 ③第3世代:
  ブランダム、マクダウェル(?)


(2) クワイン「二つのドグマ」の潜勢力とその瓦解?

[a. 二つのドグマテーゼとその帰結]
・分析的真理/総合的真理の区別、は成立しない
・直接的経験への還元主義、は成立しない
 →形而上学と自然科学の間の区別の融和(ローティへの継承)
  New Fazziness主義・連続主義・ホーリズム(汎-文化的措定物化)への舵切り
 →この程度の差を実践的に埋める考えがプラグマティズムへの転換。
  ここから、自然主義-物理主義への(軽率な?)統合が始まったのではないか?

[b. 5つの里程標とその問題]
・ideas中心主義からwors中心主義へのまなざしの転換
・termsからsentencesへの意味論的焦点の転換(c.f. Fregeの概念記法)
・sentencesからsystems of semanticsへの意味論的焦点の転換(ホーリズム
・方法論的一元論(分析・総合の二元論の廃棄)
自然主義(目標としての第一哲学の廃棄)
 → Q.) しかし、この最後の自然主義が、物理主義的に理解されたのは誤りだったのではないか?


(3) セラーズ「理由の空間」、パトナム「反デフレーション」による物理主義からの離反、パースへの回帰

[a. セラーズ]
・例えば「知ること」と呼ばれる出来事とは、経験的な記述によって描写を為すのではない。正当化のできる「理由の論理空間」に置くことでなされる。(『経験論と心の哲学』1956)。規範と事実の融和。概念習得の概念所有に対する先行。社会的実践への一元化。
・長らく哲学が陥ってきた誤りは、因果的説明が正当化手続きと同視した誤り。倫理学における「自然主義的誤謬」と同じ様な誤りではないか?(ローティによる評価:relativism, pluralism) 実践の前提ではなく、実践とともに出現するのが「知」である。

[b. パトナム]
・パトナム『実在論と理性』あるいは論文「プラグマティズム」1992では、次のように示される。「因果性自体が合理性(理にかなう)という概念を前提にする概念に依拠している。規範的なものの消去(還元主義的な自然化)は精神的な自殺に等しい。」

[c. 反自然主義者であるパース「4つの無能力」1868 へと還れ!]
・内観の能力を持たない。全てが推論である。内的なものは外的基準を必要とする。(c.f. Wittgenstein
・反直観主義:あらゆる認識は已然の認識に寄って論理的に限定される。
・記号を使わずに考える事はできない
・認識付加応なものを把握する能力を持たない
 →全ての思考は記号であり、全ての精神作用が推論である。そのため、探究共同体の活動が「理由の空間」を形成し続ける実践に晒されている。
  
 

2、大河内泰樹「知識の社会性と科学批判---ハーバーマス、ブランダム、ヘーゲル


(1) 批判理論:知識と理論の(理論外在的な)社会共同性の強調

・知識とは何か?: 経験的判断か(実証主義)、明証な洞察か(現象学)、規約か(現代公理論)
・理論とは何か?: いくつかの仮言命題を用いる操作(ホルクハイマー)
・理論修正についての見解: たとえば歴史の因果であれば、歴史家共同体の経験則による。理論相在的な問題ではなく、その理論が共有されている経済的社会的状況に依存する(マルクス主義)
・関心に基づく知: ①技術的関心(=科学)、②実践的関心(=歴史・解釈)、③解放的関心(=批判的学)という3つの関心


(2) 言語分析から実践的討議の場へ

[a. 討議の相対性:ハーバーマス
・信念体系を大きくは変更しない(クワイン的)プラグマティズムの保守性?
・コミュニケーション行為においては実在論的立場の採用、反対に、討議における真理だ等要求の結果としての真理合意説の二重性
・4つの含意:①ボキャブラリーの選択と原理の選択の相互依存性、②理論的討議と実践的討議の複雑化、複数化、③論証の全体性の構築、④経験との乖離、言語使用中心主義

[b. 知識の社会性:ブランダム]
・討議における「理由を与え、求めるゲーム」
・正当化主義ではなく信頼性主義(reliabilism):知識は自らの能力ではなく、別の主体からの帰属させられるもの
・主張者が置かれる場としての意味論的(推論的)ホーリズムの場(=スコア・キーピングされること)が重要
・信頼を第三者的に与える手続き:①beliefの主体への帰属、②判断権限の帰属(※正当化のかわり)、③自身のコミットメント(undertaking)
 →ここから存在的コミットメント existential commitment に基づくゲームごとの多元性と相対性を帰結する。
 →言語使用の蓄積としてのcommom lawモデル


(3) ヘーゲル主義への接続
・ローティ「ブランダムに採っての全体は、ヘーゲルのそれ同様、人類の信仰し続ける会話であり、有限の存在を苦しめる偶然の出来事に絶えず晒されている会話である」『文化政治としての哲学』p.26
・『精神現象学』と通じるホーリスティックな科学観としての自分自身の尺度で自分自身の認識評価をするもの

 

3、井頭昌彦「pragmatic naturalism / sydney planとその課題」


(1) pragmatic naturalism / sydney plan

[a. pragmatic naturalism / sydney plan]
・構成要素:①ミニマルな自然主義、反表象主義(プラグマティズム)、②形而上学的デフレ主義、グローバルな表象主義
・前者はHuw Price、後者はIsmaelによって代表される

[b. ①にかかわるものとしての、placement problem=自然への置換え問題]
・placement問題の整理: 通俗的な「正しい見解」というのは、どういう意味か?が曖昧。それらいかがわしい諸言説を「自然 nature のうちに」位置づける。
・Priceの手続きの整理 : 問題の物理的対象物を探す事(形而上学的/還元主義的=存在者探索アプローチ)、および、機能分析/存在意義分析(非形而上学的・発生的=言説探索アプローチ)
・問題や知識の定義 : タスク処理。そのために発達した組織化ツールが「知識」。その「知識」どのような自然な(natural)成立経緯から生じたか、を探索する。
・各種のplacementの可能性: 物理主義をとらずとも、体系内在主義の観点から秩序化、機能を分析するものならどれでもいい。世界の表象関係を問わない。

[c. ②に関わるものとしてのメタ倫理との比較]
・非認知主義との比較: 表象の妥当関係を問わない点、機能分析・発生論によって自然的理解を試みる点、において、類似している。世界には対象としての「よさ」はないという立場と、上記naturalismの主張の類似。fictionalism、emotionalismに典型。
・非認値主義との違い; 形而上学的静寂主義の採用=「概念の一階の真理を全て字義とおりにみとめる。「本当さ」を問わない。人類学/系譜学的探究さえ在ればよい」。過剰な「本当さ」に対する「No」をいわない。すなわち、世界の描像を描き出すことを慎重に避ける。
・まとめ : 表現(真偽が世界に対応しない言説)と表象(真偽が世界に対応してそうな言説)の区別をしない。全てを表現問題と考え、機能分析。発生分析で処理をする(Global-expressivism)


(2) まとめと問題

[a. まとめ]
・構成要素:①ミニマルな自然主義(体系内在主義)、反表象主義(反還元主義的プラグマティズム)、②形而上学的デフレ主義=静寂主義(quietism)、グローバルな表象主義(真理のミニマリズム論者の論破は可能 ※truthmaker論者への説得は不可能)
・利点  :静寂主義という明確な形態、哲学的自然主義プラグマティズムの融和可能性が開かれる

[b. 問題点]
・pragmatic naturalismは言説実践についての記述的研究に終始している。規範的な研究の余地は残るのではないか?(ex.権利言説の分析、特にその改築経路をどうするか?)
 →カルナップやブランダム、戸田山2014の規範的主張可能性の保存: 還元主義ではない発生論 + 概念分析を越えた概念工学
 →伊勢田2014による再反論を参照
・存在論的実在論への説得に成功しているか?
 →存在論的実在論とは、独立の世界の存在を認めているので、把握する作用こそ真理となる。実践や能力を基礎に世界構築をしようとするプラグマティズムとは別れる。
 →チャルマーズ2009やHaug2014の形而上学方法論の論争を追っていく事でどうにかなる?


4、討議


(1) 野家からの質問

Q.) 井頭の「natural」とは何か?通常では「natural」は物理主義的な自然化とかなり強く連結されると思うが…
A.) naturalismの定義が曖昧である事は間違いないが、物理主義には反対している。自然主義は物理主義を含意しない。追加的オプションとしての物理主義。
 哲学自然主義をミニマルに理解すれば、体系的内在主義+第一哲学の放棄を構成要素として成立する。

Q.) ブランダムのcommom lawモデルは現状肯定モデルでは? またヘーゲルの「現実的なものは全て合理的である」テーゼとの関係は?
A.) 過去に積み重ねられてきた判例が、解釈において一定の拘束をなす(規範の書き換えをなす運動)というものにすぎない。


(2) 大河内からの質問

Q.) 井頭のいう「内在主義」の内容には何をいれればいいのか?ローティみたいに文化とかを容れていいのか?ローティまでも自然主義にいれていいの?
A.) ローティは自然主義に属する者としていいのでは。

Q.) 井頭の「主体自然主義、客体自然主義」とは?
A.) プライスの語法。客体とは世界の側に理解される対象を措定する。主体自然主義の方は認識する人間についての理解からはじめる。

Q.) 井頭の「expressivism」という語法について。
A.) こういわれてきたから。ブランダムの規範の明示的表現=機能分析も含む。本発表ではこのブランダムのexpressivismも加えたチャンポンとして使った。

Q.) 野家。動物と人間の連続性について。
A.) デューイには進化論的な意味での連続主義は認められる。パースに置いては、人間の規定に「記号」を置いているので、動物と人間との区分は強い。ある種の最終段階としての人間を考えていた節はある。


(3) 井頭からの質問

Q.) 大河内p.3では「科学批判」という語があるが、これは「科学主義批判」なのか「科学批判」なのか?
A.) 「科学批判」です。科学が社会に果たしている現実的な機能について、批判的に検討を加えていくもの。「科学者」内部のプログラムの進め方について文句をつけている訳ではない。


(4) 会場からの質問

Q.) 水本から井頭へ。プライスはミニマリスト的見解について。「真理」という語を規範化して使える以上、disagreement(不一致)がありうる。不一致の解消が規範としての機能している。単なる好みの違いではない。コミットが在る。これがミニマリズムと整合するか?
A.) disagreementがある、不一致が在るっていうことで、実在へのコミットは帰結しない。実在論は必要ない。

Q.) 水本から井頭へ。ミニマリズムと反表象主義は整合的か?「truth-bearer」の措定はいずれにせよ存在するだろうから。
A.) 「truth-bearer」(文とか真理値の担い手)があるということは、文の対象は認める。この文の対象の、世界への対応物は認めない、という立場。

Q.) クワイン「感覚経験の裁き」のようなものを容れないで、どのようにglobal-expressivismがとれるのか?
A.) 「感覚経験の裁き」を容れない、という訳ではない。いくつかの別の要因を基準として導入したい、というもの。

Q.) 大河内p.9で、ブランダムの「undertaking」は、結局、世界のあり方との照合がなされているのではないか?ソーシャルなものが無理矢理介入されるべきだとする余地とは何なのか?
A.) ブランダムの戦略は、世界自体にない属する何か、という根拠からはある種独立の実践のことを考えている。

Q.) パトナム自然化批判の眼目は「規範」しかし、この「規範」はソーシャルなものである必要はない。世界との対応は「規範」といえるか?
A.) 言語化された命題との照合を考えている。経験そのもの、というよりは、言語行為としての社会的実践と照合している。だから、世界の内容としての経験との照合をしている訳ではない。行動主義的-動物的な刺激反応とは異なるものとして「knowledge」を考えている。

Q.) 井頭へ。社会の実在性とは?思考や言語とは独立の「joint」とはデュルケムのいう「もの」と類似しているのか?
A.) 社会という言葉を用いる。真偽性を認めるし、社会の実在を認める。知的実践内部の話しだと理解する。社会学的言説実践を越えた実在性は認めない。

Q.) 井頭へ。「disagreement」が起きるときというのは、たとえば「この絵が美しいか、いや美しくないのではないか」というゲームの際、対象の実在については疑わずに、対象の性質について言及したりする。二つの言語の使用をしている。だから、globa-l-expressivismといって一緒くたにしない方がよい。つまり、この2つ性を区分しながら言語実践を取り出せるのか?
A.) (ききとれず)

Q.) 加藤から大河内へ。コミュニケーション的行為は進化論的に説明される。討議においてもこのような事実を引きずるのでは?無限後退が何故起こるのか問題。
A.) ハーバーマスの主張では討議を特権化する事で無限後退しないことになっている。(ブランダムは反対:普遍的な規則を立ててもよいが、それを適用する規則が後退していく。) 議論の妥当性要求をする際には、ベタな理由空間中で実は既にうまくやっているので、メタ的な討議空間設定までいわなくてもいいのではないか、という考えに立ってる。

Q.) 野家へ。パース主義について。アーペルなどと比較すると「基礎付け主義」、「討議倫理の手続き」をどのように評価するかで変わってくるのでは?
A.) 究極的基礎付けをパースから引き出すのは難しいのではないかと思う。ローティは明確に反基礎付け主義。パースの主張は、歴史的な発展を受け入れる土壌のようなものの存在を信じる、というもの。プラグマティズムにカント主義をまぜたから基礎付けが出来るのであって、純プラグマティズム的には基礎付けは難しいだろう。

Q.) 井頭へ。p.36「作り上げるものとしての規範的仕事」は◎で、「到達点を実体化した上での規範的仕事」は×とされる。統制的理念が全部ダメということか?
A.) 形而上学的静寂主義における×という意味。しかし、確かに「統制的理念」の重要性が浮き彫りになる。いつ理想的状態に到達したかがわからないとか色々難点が在る。持ち出せるんだったら持ち出せばよい。不一致の拒否。タスク処理。いっている事を信じてる事、正当化できること、対立は放置してはならないこと、これが規範としてほぼ「統制的理念」的な機能を果たす。これは我々の実践においてどのようなタスクをするかに依存している。

Q.) 村井から井頭へ。静寂主義をとりつつ、言説の機能とか発生の仕組みを明らかにするということは、我々自身についての探究になっていく。その場合に、自然科学的なアプローチへの協同は必要なのか?必要だとすれば、なぜあえてミニマルな自然主義なのか?
A.) 共同していかねばならない、とは考えていなくて、基本的には科学に反して無茶をするな、というものにすぎない。争いになったら科学者に道を譲れ、というプライスの主張は妥当。