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世界征服〜謀略のズヴィズダー 1- 12話 備忘メモ: もし歴史が夢見る幼女の形をして顕現したならば?

ズヴィズダー最終話、観た。通して見直してはいない段階の備忘メモ

 

 

0、導入

 

『ズヴィズダー』は、今期、最も面白く見れた。

表題に掲げたとおり、(立川市=ウド川市の地下に眠る)古代文明4000年の歴史を担う幼女が世界征服を企て、東京都に反乱を仕掛けるという荒唐無稽な話なのだが、その一話一話に、暴力ならざる「征服」という真摯な「欲望」「本能」「意志」が提示されることで、視聴はそんな荒唐無稽さを忘れて強く映像に引き込まれる。そこには暴力によるテロはなく、端的に抵抗だけがある。「宛名」を欠く命令はなく、「顔」がある。支配はなく、幼女の脆弱な身体を曝け出す無防備さが、そこにはある。

『ズヴィズダー』の問題提起はこうだ。我々がその上に眠っている歴史・文明・時間という「抽象概念」にされてきた(本来は実体的な)ものたちが、仮に幼女の「顔」をして(実体として)目の前に現れたとき、そしてその幼女が世界の「征服」という夢を掲げたときに、それを荒唐無稽な夢として笑い飛ばすことが、現代の我々には出来るだろうか?という問いだ。一瞬一瞬の功利計算に駆られて、現在をひたすらやり過ごすだけの我々には、この幼女の夢や意志は、余りにも遠く、儚く思えるのに、どこかそこに憧れをもってしまうとすれば、それはなぜなのか?

もしここまで読んで、そんな問いに駆られたならば、『ズヴィズダー』を見ることは、極めて有益な体験を与えることと思われる。(以下は、観た人用に切った説明となっている。興味があれば、最初に視聴をお勧めする。)



1、征服における意志、征服への意志

最終話においても「征服実行!」を決して捨てないヴィニエイラ、そしてそんな征服を了承し、そのヴィニエイラの傍に佇みつつ、彼女の征服に「征服されてなんてやらないからな!」と征服に抗う明日汰を見ていると、征服って、文字通り「con-quest」、全き探究なんだよなというのがよくわかる。作中では「求める心」とも云われていた征服=探究は、いまだその対象を、その探究者に知らせていない(※ヴィニエイラは征服後のプランを立てていない。)。しかし、無名の群れに埋没した相手を顔ある主体へと導くそれが、自らを危険に晒しつつ相手へと向かうそれが、「抗えない欲望」と「征服」の意味するところなのだ。

もとより『ズヴィズダー』における征服は、暴力の行使では全くなく、意志を振るうものへの働きかけを意味していた。例えば3話、煙草に頭をやられたゾンビのような意志なき亡者への説得が決して届かないように、征服は(主題歌にあるように)「漂い流れる」ケムリのような存在には決して届かない。
しかし「我らが星(ズヴィズダー)の一員」は、その意志にこそ賭けなくてはならない。誰もがもつであろう天上を見上げ、降り注ぐ明日の光、その光を受ける(天球にはりつけられたように見える)星たちに潜在する固有の「本能」を、固有の抵抗(レジスト)を、見失ってはならないはずだ。この意味で、征服は、最終話末尾で示されたように、征服対象であった明日汰を、征服の実行主体に転換するものだ。即ち、征服は、(例えばその構成が絶えず動く)民から、(連綿と続くはずの)歴史から、なによりも(明日の光と共に歩む)自分から、手離してはならないもの、常に 実行中(under way)の抵抗チャンスを与えるものでなければならないものといえるだろう。

 


2、明けの明星(ヴィニエイラ)の見る夢

末尾にあるように、征服は常に実行中(under way)でなければならない。即ち、征服は一夜にしてならないどころか、成ったその次の瞬間においても、絶えず新たに潜伏し、かつ、実行されつつあるはずのものといえる。

そんな征服は、前述のように、第一には意志なき者に対立するとはいえども、それに留まることなく、単なる「勧善懲悪の絡繰り」の意志、例えば白鷺のいう「大義」とも、東京都知事のような(絶えず無時間的な一瞬を繰り返し続ける)「権謀術数」に対立している。
後者、東京都知事を例に採ろう。彼の「奴ら」への屈服、彼の絶望は、合理的な権謀によってこそ、「奴ら」を受け入れ、延命させ、次代の子に「奴ら」への服従の連鎖を「コピー」させてしまう。知事は、我ら自身が住まう固有の星雲(ガラクチカ)を燃やそうとし、ウド川文明の歴史を現在の技術に従属させようとする道具的理性しかもたないことで、却って、現在の煙に囚われ、現在の煙に巻かれた存在に堕してしまう。
彼には、絶えず自らが翻弄される今日があるだけで、明日の光がない。ゲーム論的な合理的権謀(あるいは歴史に対する合理的健忘)は、固有の歴史、固有の文明の地 Raum を「掘り崩し」、現在のゲームに浮動=(天球への)磔にされることにすぎないためだ。彼はいわば、「宛名のない言葉」、自分の「コピー」(※煙草によってヒトガタが消える描写を参照)で出来た群れの連鎖に、溺れているのである。
勿論、彼の云うように、この世は「でたらめで気まぐれ」かもしれない、征服など「くだらない幻」かもしれないし、そんな世界で見られた理想など、「一瞬で通り過ぎて行くだけのちんけな理想」かもしれない。そこで彼は「コピー」の中でミニマルに自己(+東京都)を完結させようとした。
しかし、理想を諦めたところにある意志こそ「自分の絶望を他人に押し付け」る暴力にすぎない。行儀のいい諦念は、自分には絶望を、他者には暴力をもたらす。現在にしか生きない者の絶望は、時間に開かれないために、ただちに現ゲーム空間における他者の「コピー」化と破壊に向かうのだ。

それゆえ、ヴィニエイラ達は、暴力から脱し、征服へと向かわねばならない。
以上にみたような、相手をテロリストと呼び、現在の正義・合理へと短絡させる意志たち(戒厳令に始まり、あらゆる市境、県境などといった差異を抹消す暴力への意志たち)とは異なり、征服の意志とは、ヴィニエイラに云わせれば「夢」を指す。それもOPとEDの歌詞を引けば、「終わり始めた世界」における「終わらない時の中」の「夢」という、矛盾に満ちた特殊な「夢」なのである。
『ズヴィズダー』において征服とは、権謀術数に駆られた世界の相手に、その「顔」を見せ、自分を晒すことによってなされる。自らを危険に晒すことなしには「我らが星の一員」へと至る探究の道はありえない。つまり、我を、民を、歴史を、等し並みに扱う現在化の暴力にこそ、征服は抗する。「征服実行!」とヴィニエイラが叫ぶとき、それが一方通行の暴力の行使ではありえないのはその故だ。
7話を思いだそう。ヴィニエイラは、かつて秘宝倶楽部の探索活動において、その身にウドの力を宿らせ、暴走することを半ば無意識に予見しつつ、その直前の基地での会話において、明日汰に「私を見失うな」と懇願していた。明日汰がその意志を失わずに掴み、明日汰に「我らが星の一員」でありつづけるようにと願うものだった。いわばヴィニエイラは、「服従せよ、しかし同時に、服従するな!」という困難な願いを、明日汰にぶつけていたことになる。(現に明日汰は7話において、意志をもつ者でありながら、征服されないままに留まる者であった。)
「服従せよ、同時に、服従するな!」という緊迫した(危機の時代の)願いの表現。換言すれば「我ら星(ズヴィズダー)の一員たれ、しかし、単なる群れの一員ではあるな、同時に主体であれ!」と叫ぶこの言明は、明日汰に二重拘束を課すことで、その意志を進ませる。自らを、いわば征服される側(主体に対峙する側)としてその身を差し出すことで、その対峙的緊張を保持することで、征服は、その身、その時間、その明日をもつのである。

「理想を過去においてきてはならない!」とヴィニエイラは言っていた。それは「幻みたいな夢を捨て、この現在に生きよ!」という都知事的な安直な命題とは異なる。理想は、明日へ、明日とともに、投射されることで、始めてその姿を現すのである。



3、ヴィニエイラとは何者か?---文明、未来、そして分散する明けの明星

さて、このような年をとらず、文明的な時間を保持し、それでもなおかつ飽くことなく明日の征服を夢見、探究するヴィニエイラとは何ものか?ヴィニエイラはその幼女の身体で、星の下に住まう我々に、何を伝えてくれていたのか?

彼女は、(ロボ子ですら成長期を迎える『ズヴィズダー』において)年老いることなき幼女、連綿と続く文明(歴史)の口伝者であるとともに、勧善懲悪の現政権から見れば「テロリスト」と名指される存在であり、かつ、遍く世界へその姿を現す星(ズヴィズダー)のトップでもある。

ヴィニエイラ=金星。それは、もっとも始めに我々に明日を告げ知らせる一番星、明け=宵いの明星、それがヴィニエイラだ。ヴィニエイラは、明日の光を浴びてその身を光らせる。光に見初められることで明日を遍くこの世界に見せてくれる。たえず黄昏にあらざるをえない宵い=明けの明星、長い長いウド川の歴史の中で惑う惑星ヴィニエイラが、現在化する空間的ゲーム圧力によっては決して掘り崩されることのない文明の時間(による両義的主体化)をもたらすのだ。

それゆえ、彼女は、土地の、文明の、歴史の象徴である。と同時に、それら土地、歴史、文明の黄昏をも、そのか弱い幼女の身体によって象徴しているだろう。金星は、明星として明日を告げ知らせるが、日が昇れば消えてしまう儚さをも示してしまう。しかし、その儚い夢のような星に光を当てることでこそ、その天文がもたらす「もう一つ」の時間を見出すことができるだろう。

下々の星(ズヴィズダー)の集合だけでは時間はもたらされない。そこには有象無象の星達が、天球にはりつけにされているようにしかみえない。しかし、その固定された浮動を生きる星達の間を、か弱く、しかし、意志をもったかのように軌道を惑う惑星、明けの明星によってこそ、時間が見出され、その見出された明日の光が、かのか弱い明星を照らすのである。

 

 

補論1:ヴィニエイラの数々の「型」について

 

星(ズヴィズダー)の光は、ロビンの云うように誰しもがその身体に伴っていて、ただ時間を忘れていたが故に、その光を失っているにすぎない。星の光を遍く世界に散らし、自らもまた輝くこと。その明日は、明星(ヴィニエイラ)の惑う道の下にある。ここにおいてこそ、明日と金星が相歩むのである。明日汰は光を見付け、明星を照らすのだ。
「泣きたいときはいつでも泣け。けれど、その後は、涙を拭いて私に笑顔を見せてくれ。それが星の掟だ」。
歴史は失われることなく、地下に眠る。記憶は失われることなく、眼帯の奥に眠る。そして、その眠りは、現在において叩き起こされるのではなく、ロビンのいう「私達」あるいはヴィニエイラの云う「我らが星の一員」の「顔」によって、「心地よい目覚め」となって、明かされるのである。

そういえばOPで、「やりたいようにやったって、誰か邪魔をしてくれないかな?」と坂本真綾は歌っていた。
そんなぼやきみたいな矛盾に見える願いこそ、「絡繰り」に抗して明日を「求める心」とともに、か弱き征服がもたらしてくれる、ヴィニエイラの見せる「夢」、その願いの「型」なのであろうと思われる。

 


補論2、なぜロシアのモチーフだったのか?

不明。

①征服はどこまでいっても未到達で幼いものなのに、ひとたび統治機構ができると人はその事を忘れる…
→②治者と被治者、過去と現在、無意識と意識は、現在において何度も同一視=短絡視され、折り畳まれる…
→③短絡を避け逡巡する理念としての、不老の幼女=惑う明星=地下文明=レジスタンスが、国だかなんだかわからないロシアに通じるということだろうか?